ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ03 【巨乳♡愛好】

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ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ03

巨乳♡愛好

BREAST FETISHISM: BIZARRE GLOSSARY by KEROPPY MAEDA


「巨乳」がフェティシズムの1つとしてはっきりと認識されるようになったのは、ラス・メイヤー監督に負うところが大きい。第二次大戦中、戦場記録映画を撮っていたラスは、50年代よりストリップ小屋でショーの合間に上映されるバーレスク・フィルムの監督を経て、その後ポルノ映画に転じ、「巨乳」ワールドを開いた。彼は、巨乳娘たちが胸をぶるぶると震わせるドアップ映像が続く記念碑的作品「ヴィクセン」(68年)で「巨乳」監督としての地位を築き、「スーパー・ヴィクセン」(75年)「UP! メガ・ヴィクセン」(76年)「ウルトラ・ヴィクセン」(79年)と立て続けに傑作を生み出し、「大きなおっぱいを見る快楽」としての「巨乳」フェティシズムを世に知らしめたのだ。


 また、70年代のアメリカは、ベトナム戦争に対する反戦運動やヒッピー・カルチャーを背景に、フリー・セックスやポルノ解禁などの性解放の時代であった。ラスが映像化した揺れる「巨乳」のイメージは、女たちの大らかな性を象徴するものとして、反戦や平和とオーバーラップし、戦争に疲れた男たちに安らぎを与えたのだ。


 80年代に入ると、ラスがこだわり続けた「巨乳」のイメージはメディアにおけるアイコンとして受け入れられ、「おっぱいは大きい方がいい」という風潮が世間的にも広がり、「巨乳」専門雑誌や「巨乳」愛好者たちを生み出した。この時期、アメリカでは豊胸手術が普及し始め、ラスが夢見た「巨乳」ワールドは医学的な女体改造によって現実となったのだ。マニア化した「巨乳」愛好者たちは、バスト100センチ以上の「巨乳」娘を求め、豊胸手術により人工的に肥大した乳房のアンバランスさがますます変態的な「巨乳」のフェティシズムを増幅させていった。


 一方、70年代に「巨乳」ポルノ女優として名を上げたアニー・スプリンクルは、80年代以降NYの伝説の変態パーティ「ヘル・ファイヤー・クラブ」などに出没し、アート・ギャラリーで自分のオマ○コを芸術作品として観客たちに覗かせるなど、「巨乳」とアングラ・カルチャーを、結び付けて、変態文化そのものをポップでキャッチーなものとしてアピールしていった。アニーの活躍は、のちのフェティッシュ・ブームへと繋がるもので、女の子たちのおっぱいパワーが男たちのじめじめした変態ワールドを浄化したのだ。


 90年代後半になると、世界の「巨乳」愛好者たちは日本の漫画やアニメの中に「巨乳」のアイコンを発見するようになっていった。特におっぱいの大きなロリ娘たちが愛好者たちの理想となり、「巨乳」はメディアの中でますます変態的な女体のイメージを膨らませ続けている。「巨乳」のフェティシズムは「おっぱいを見る快楽」として男たちに悦びと安らぎを与えてきた。そして、21世紀になっても変態趣味のカテゴリーの1つとしてその地位を譲ろうとはしない。




※70年代ポルノ女優として人気を得たアニー・スプリンクルは、「巨乳」を武器にNYのアンダーグラウンド・アート・シーンにもデビュー。よく熟れた「巨乳」を音楽に合わせて弄ぶ「ポゾム・バレエ(おっぱいバレエ)」はその代表作の1つ。


※「ヴィクセン」4部作で知られるラス・メイヤー監督は、「巨乳」に執着し続けたことで世の男たちに「おっぱいを見る快楽」を刻み込んだ。「ウルトラ・ヴィクセン」(79年製作、85年日本公開)の邦題「大巨乳たち」が日本に「巨乳」という言葉を定着させるきっかけになったと言われる。


※豊胸手術が盛んなアメリカでは、ナチュラルな「巨乳」たちに加え、手術によって乳房を恐ろしく肥大させた女たちが男たちの「巨乳」に対するフェティシズムをますます倍加させた。雑誌「バスティ」「ジェント」「ヴァクサム」などが80年代~90年代の「巨乳」ブームの全盛期を作った。



ケロッピー前田


1965年生まれ。身体改造、サイボーグ、人類の未来をテーマに取材を続ける。主な著書に「スカーファクトリー」(CREATION BOOKS)、監修DVD「ボディ・モディフィケーション・フリークス」(ワイレア出版)など。ツイッター「keroppymaeda」にて改造イベント情報など発信中。keroppymaeda.com



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