エロ年代の想像力 第十回

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エロ年代の想像力

#10 南澤十八/新房昭之試論のための覚書

アニメルカ出張版


 『Unbalance~アンバランス~』『BLOOD ROYAL -ブラッドロイヤル-』『清純看護学院 新人ナース“祐未”恥虐の看護実習』『旅館白鷺』『誘惑』――南澤十八監督作品が瞳を襲うそのリリカルな画面設計は、しかし、今のわれわれからすれば既視感を覚える見慣れた形式だ。


 強烈なコントラスト、鮮烈な色使い、ステンドグラスや影絵、幾何学模様、画面の劣化加工、パターン化されたモブ、レイヤー化された空間設計、スピーディーなカット割り、鏡面への反射、アクロバティックなレイアウト、印象的な止め絵の多用、露骨なシンボリズム、フレーム内フレーム、虚構的な舞台装置、ジャンプカットによる分断、タイポグラフィの挿入、目に向かう背動ズーム、異様な首の角度??その特徴的なファクターをこうしてヌキ出してみるだけで、まるでとある制作会社・監督の作風を列挙しているのかと見紛う。その理由は明確で、エロアニメ作家「南澤十八」という名はアニメ監督「新房昭之」の源氏名だからなわけだが、この秘密をまるで『清純看護学院』の廊下でぶちまけられる糞尿のように漏らしてみても、それはもはやWikipediaに載るほど公然の隠し事なのだから暴露でもなんでもない。『ぱにぽにだっしゅ!』『ひだまりスケッチ』『さよなら絶望先生』『化物語』、そして『魔法少女まどか☆マギカ』――南澤十八作品には、いわゆる新房×シャフトと呼ばれる演出スタイルの原点が秘められている。



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 もちろん、新房×シャフト的演出の萌芽はそれ以前の新房作品からも認められはする。新房が演出を担当した『幽☆遊☆白書』第74話「テリトリーを打ちやぶれ!!」などは、その代表として頻々と話題に挙がる(むろん、「テリトリー」を打ち「やぶれ」という時点で既にエロ年代的でもある)。


 またその一方で、アニメ制作会社シャフトとのコンビ以降、ことさら前景化されたスタイルといったものもあるだろう。アニメイトではなく止め絵を基調とした極短いカットの連鎖などがそれだが、その動きのなさから半ば揶揄も込めて省エネ作画/紙芝居と呼ばれることも少なくない。しかし、この方法論は、日本的なリミテッドアニメーションの正統な系譜に連なるものでもあるのだから、ただ奇を衒っただけの演出と切り捨てるよりは、身体的な接待を秘密裏に行わざるを得なくなった『旅館白鷺』のように困窮したテレビアニメ制作環境下で、現実的制約への戦略的な適用法として編み出されたクリエイティヴィティとして位置づけられてきた。豊潤なアニメイトのクォリティを見込めないならば、アート風な雰囲気をまとった一枚絵を意味深に配置して回ればいい。リッチな背景情報を生み出せないならば、虚構的な異空間をデザインすればいい。


 では、その不自由さが生む生産性への対処法はどこで手に入れられたものだったのか(なお、制約が生んだ表現史に関しては、『アニメルカ vol.1』所収、反=アニメ批評『挑発するパンツ設計――パンツ表現論序説』が詳しい)。



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 ポルノ業界は芸術史においても常に特殊な役割を担ってきた。例えば映画界では古くから、若く才気あふれる作家たちの研鑽の場としてポルノ映画が機能していた。黄金期ハリウッドスタジオシステムとの類似性すら認められるその構造が、日本映画界に一時の豊穣さをもたらしたことは論をまたない。


 そして南澤作品を一度でも体験してみれば、アニメ界においても同様の事態が起こっていたことが確認できるだろう。新房が南澤十八として18禁アニメの世界で生息ないし性息していたのは、『The Soul Taker ~魂狩~』(2001年)での商業的失敗以後から、エロゲ原作OVA『とらいあんぐるハート ~Sweet Songs Forever~』(2003年)で復帰するまでの、わずか1年半程度の期間に過ぎないが、その間になんと全5作12本もの鮮烈な作品を送り出している。これは、エロアニメ界の基準で考えても、相当に慌ただしい。また、この遍歴からは類比的にとあるシネアスト――ポルノ映画でデビューし、一時Vシネマ界に追いやられては、独特な演出スタイルをもって信じがたいペースで多作していた黒沢清の名を出してもいい(実際その作風を見ても、ゴダールの無邪気な模倣である黒沢清『ドレミファ娘の血が騒ぐ』と南澤十八作品では、エロに対する距離感が通じ合っているだろう)。低迷期とも誤解されかねないその時期の実験が、黒沢の後の洗練を支えたように、新房システムにおけるその特徴的な演出スタイルは、新房×シャフトが誕生する2005年以前から、エロさえあれば何をやっても許されてしまポルノアニメ界という隠れた実験場で、自由奔放に磨かれ続けていた。


 環境の貧しさが嘆かれることの多いテレビアニメ制作現場よりも、なおも劣悪な環境を強いられるエロアニメの土壌。そこで育まれた「南澤十八」に触れ得ない新房昭之論は、おしなべて誤謬である。



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 しばし誤解されることもあるようだが、今や、新房×シャフトとは、一つの固有名をもった作家ではなく、非人称的なシステムの呼称として見たほうがいい。新房昭之の名前は、もはやシステムの設計者として掲げられているにすぎず、事実、シャフト以降の監督作は既に20作品以上にものぼるが、意識的としか思えない形で、ただの一度も、コンテ・演出として「新房」の名をクレジットさせていない。もはや1クール2本放映など当たり前に、作品ごとにシリーズ・ディレクター、チーフディレクター、副監督といった役職を運用者として配置し、あり得ない数の作品を効率的に量産し続けている。


 現在も躍進を続けるプログラムピクチャーとしての新房×シャフト。その魅力を論じるための大前提の整備として、われわれはエロ年代的作家である「南澤十八」小特集を姦行する。次回からは年代順に、監督作全5作品を具体的に読み解いていこう。



PROFILE
反=アニメ批評(@ill_critique
アニメ批評同人誌『アニメルカ』責任編集。
思想恥部シリーズ『エロ年代の想像力』責任編集。
『エロ年代の想像力』のほうは現在、ジュンク堂 新宿店、MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店、COMIC ZIN、タコシェ、および通信販売で好評発売中。
『アニメルカ』オフィシャルサイト
反=アニメ批評