伏見憲明 ?コイトゥス再考? 越えがたきジェンダーという背理 3

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?おネエ系タレントの表現は、差別を受け入れ、逆にその差別に乗っかる形で行われる。差別と治外法権がバーターになっているんです。



―現代のジェンダー状況についてはまた追って聞いていきたいのですが、ひとまずは時系列順にお聞きしていきたいと思います(笑)。91年に『プラゲイ』が出版されたのを端緒に、94年にはゲイ雑誌『Badi』が創刊するなど、セックスに終始しないゲイの在り方というものが、徐々にフィーチャーされていったように思うのですが、いかがでしょう?

※Badi…1994年にテラ出版より創刊したゲイのための総合情報誌。

伏見 そうですね。業界っぽい話になってしまうけど、『Badi』以前にも『薔薇族』や『さぶ』といったゲイ雑誌というものはあったわけですが、それらは性の嗜好としてのゲイを扱った雑誌という色合いが強く、ゲイ・ライフスタイルみたいなものを提案しようという発想とは違っていたんですね。もちろん『薔薇族』にもゲイの人達を救っていこうという方向性はあったんだけど、なにせ編集長の伊藤文學さんは世代的にも上の方ですし、アメリカのゲイ・リベレーションにシンクロするような感覚というのはあまりなかった。実際の編集は藤田竜さん(故人)という方がメインでやられていたんですが、彼もどちらかといえば古式ゆかしいホモの方なので…リブみたいなものに対するアレルギーは相当強かった。「一つの嗜好として楽しんでいければいい」というコンセプトですよね。

南定四郎さんが主宰されていた『アドン』というのが唯一リブっぽい雑誌で、こちらは80年代半ばからリブ的な主張が強くなっていったんだけど、一般のゲイにライフスタイルをプレゼンテーションするというセンスには弱かった。少し政治的になりすぎたのかもしれません。カルチャーという意味では、南さんは70年代に『MLMW』という革新的な雑誌を創刊しているのだけど。

『Badi』も当初からゲイ・ライフスタイルを提案しようという目的で作られた雑誌というわけではないんだが、業界内では新しい雑誌ということもあり、時代の流れに乗っていこうという気概もあったんでしょう。その中で「ゲイとして肯定的に生きてこう」とか、「新しいライフスタイル、カルチャーを作っていこう」という方向性が段々と作られていったんですね。だから最初のうちは、HIVの問題も取り上げるのが困難だったそうですし、ぼくなんかが『Badi』に呼ばれたのも創刊から3年くらい経ってからのことです。『Badi』の創刊時には『プラゲイ』もすでに出していましたし、一般誌などにもちょくちょく出ていましたので、ふつう呼ばれそうなものですけど、なかなか誌面に出られない。それは、ぼくを含む新しいゲイの流れに対して、古い感覚の人達の中に拒否感があったからです。だから『Badi』も漸進的にゲイ・ライフスタイルの雑誌になっていったっていうのが正解なんですね。

ぼくは『Badi』の制作には携わってないですけど、ドラァグクイーンとして活躍されているマーガレットさんとか、女装家のブルボンヌさんとか、ああいう人達が内部的にそういう流れを作っていった。例えばマーガレットさんなんかは海外の情報をいっぱい集めてきて、それを従来のエログロ風ではなく、スタイリッシュに作って提示した。ブルボンヌさんは、どんな人が読んでいるのかはよく分からなかったゲイ雑誌に、読者をどんどん出していくことで身近なスターを作っていく、そういう企画を一つ一つ仕掛けていった。そういった試行錯誤の中で、ゲイライフを肯定するような一つの雑誌になっていったわけです。

―なるほど。その一方で、伏見さん自身は「キャムプ」を提案したり、またクィア運動などにも関わっていかれたわけですが、『Badi』を含め、表現サイドが活発化する一方で、実体のゲイ社会も変化してきていたのでしょうか?

※キャムプ(camp)…差別に対して「シリアス」に対抗するのではなく、「ユーモア」を用いることによって問題を横滑りさせてゆこうという戦略。

伏見 90年代以前というのは、同性愛に関する情報というのがゲイ雑誌か、あるいはふつうの風俗誌の片隅のコラムとか、そんな程度しかなかったわけですね。女装系の人たちは多少テレビにも出ていたけど、男のアイデンティティを持ちながら男に欲望する「ゲイ」は、可視化されていなかった。『プラゲイ』が最初に出た時に著者近影を載せたんですが、当時はそれだけで衝撃的だった。ぼくはゲイブームと呼んでいるんですが、『プラゲイ』が出た91年というのは文藝春秋から出ている『CREA』という雑誌に始まり、メジャー誌が次々にゲイ特集を組んでいった。また同じ年にアカーが「府中の青年の家・裁判」というのを起こしていて、それを一般のジャーナリズムが取り上げたというのも社会的な影響があった。同性愛が人権問題にエントリーしたんですね。そういう、いわゆる上半身の情報の中に同性愛情報が混ざってくるというのが一つの大きな変化だったんです。あるいは、当時クラブシーンも活性化していて、オオバコでのゲイナイトが盛んになり、そういうところが自分たちの欲望を肯定する装置になりはじめていた。そして、『Badi』などがゲイ・ライフスタイル雑誌へと変容していく流れの中で、同性愛に対して肯定的な情報の量が飛躍的に増えた。すると当然、人々の意識も変わってくるわけですよ。

※「府中の青年の家・裁判」…1990年、東京都にある「府中青年の家」という宿泊施設が、アカーに対し、同性愛者であることを理由に施設の利用を拒否したことによって、アカー側が起こした裁判。91年、原告側が勝訴。

―そうですね。その流れの中、90年代後半になるとインターネットも登場するわけですよね。

伏見 ネットが始まってからは、それはもう一気に広がっていきましたね。以前は、例えばぼくの本を買おうとして本屋に行ったとしても、タイトルにゲイとあるだけで恥ずかしくて買えないなんていう人が、いっぱいいたわけです。それがネットであれば自宅のPCで検索しただけでゲイの情報にアクセスできるし、また情報量自体も圧倒的に増していった。あと、96年には埼玉医科大学の倫理委員会で、性同一性障害の人に対する性別適合手術を正当な医療行為と位置づける答申が出て、それが非常に大きなニュースとして一般的にも流れたんですね。これは直接ゲイのことではないが、ジェンダー/セクシュアリティのステレオタイプを壊す上でインパクトがあった。こういった流れの中で、ゲイやクィアの人達の状況は大幅に変わっていったんじゃないでしょうか。

―はい。さらに2000年代に入り、特に後半になると、いわゆるおネエ系タレントというのが一大ブームを作り出していきますよね。これも90年代から続く流れの一貫として捉えられるんでしょうか?

伏見 そうですね……、確かに量ということでいえば最近は際立っているのかもしれませんが、とはいえ、おネエ系タレントの流れというのはずっと途絶えずにあったとも思うんですよ。例えば50年代には美輪明宏さんがスターになったし、その後、青江のママとかバー関係の人がお茶の間に登場したり(これは伝え聞きですが)、あとピーターさんが出てきたのも60年代末ですよね。70年代後半にはおすぎさんとピーコさんが出てくる。80年代には「笑っていいとも」なんかのテレビ番組にMr.マダムらニューハーフの人達が出てきたりしていましたね。90年代には再び美輪さん、あるいは美川憲一さんのブームがくる。後半にはピーコの再ブレイク。そして2000年代ですから、こう眺めてみると、日本の場合は割と早い時代から、気持ち悪がられつつ面白がられながらおネエの人達がテレビの中にいた。いまやそれがメインストリームになりつつある、みたいな感じでしょうか。

―確かに、おネエブームという言葉のせいか、現代にばかり特化しているように考えていましたが、こう眺めてみるとそうでもないんですね。ところで、いわゆるテレビメディアに出てくるおネエの方たちというのは、今でこそ多様化してきている感じもありますが、ある種、ジェンダーを強調しているというか、あえてホモフォービックに振る舞っているような印象もあるんですね。もちろん、それはある種の戦略であるという側面もあるのだとは思うのですが…、伏見さんとしてはいかがですか?

伏見 ホモフォービックに振る舞うって表現はよくわからないが……。まぁメディアというものが、そもそも誇張されたもの、奇抜なもの、記号化されたもの、目新しいものに反応するので、メディアの論理からすれば、そういう過剰に女性性を強調した人達が取り上げられるのは当然ですよね。ただ、そのことに対する政治的な善し悪しの判断となると複雑かもしれません。

―そうですね。伏見さんの判断としてはいかがでしょう?

伏見 それが全てだとは言いませんが、おネエ系タレントの表現というのは、ある種、差別を受け入れ、逆にその差別に乗っかる形でなされるものです。例えば、ぼくがこのインタビューであなたに向かって突然、「アンタって頭の形が亀頭みたいでかわいいわねぇ、頭悪くても許すわ」みたいなことを言ったとしても(笑)、これがおネエ言葉であれば許されるんですね。それはなぜかっていうと前提に差別構造があるからです。そもそもゲイはおかしな人で、まっとうな市民社会からは外れた枠外だから、そんな人たちに何を言われたところで、「あぁ面白い」となれる。奇抜で、毒気のあることを言われても聞き流せるし、むしろ誰も言えないことを言葉にしてくれるからスッとする……というように、差別と治外法権がバーターになっているんです。それは両刃の剣なわけです。一方では、その表現の面白さが人々の好感を呼んだり、親しみを覚えてもらえるというプラスの面もある。一方では、差別関係を固定することもあるかもしれない。だから、これはどういう塩梅がいいか、という話しで、良いか悪いかという判断が非常に難しい。「差別に乗ってるからいかん」と言うのは簡単だが、あらゆる笑いが本質的に毒を含んでいて、また力関係の差を含んでいるとも言えるし。あえて判断するのであれば、そういう毒や差別といったものが全くないけど倫理主義が行き過ぎた社会と、少し毒はあるけど風通しの良い社会と、どっちがいいかって言われたら、ぼくは後者の方がいいって思ってます。これは危険な発言ですかね(笑)

―いえ、大丈夫です(笑)

伏見 例えばマツコ・デラックスさん、彼も『Badi』の編集としてブルボンヌさんらと共に苦労して一つの時代を作っていった人ですけど、彼はタレントとしてのグリップがすばらしい。テレビを見ていてわかるのは、制作者や共演者より、常に彼の方が主導権を握っている、手綱を取っているというのが伝わってくるところですね。

―非常によく分かります。

伏見 彼(女)は、自分自身を批評的に見ていて、なにが社会にとってプラスなのか、自分にとっての利益なのかを推し量ってメディアの中に立っているのが分かる。だから肯定できるんです。反対に、芸もないのに単におネエブームに乗っかってるだけといった人達もいて、そういう人達については「バカっぽいな」と思う。ただ笑われているだけで、厳しいことを言えば、君のギャラにはなるけど世の中のためにはなっていないね、という風には思いますね。だからといってやめろとは言わないけど。それも表現の自由。でも、拙劣な表現はすぐに淘汰されますね。

―「笑わせる」のと「笑われる」のでは微妙にニュアンスが異なりますよね。

伏見 マツコさんやブルボンヌさん、あるいはおすぎさんやピーコさんなんかは、そこら辺をよく理解しているんですよ。だから、おネエキャラ一般で括るということは難しいですね。

―ただ気になるのは、おネエ系じゃないゲイの存在というのが、メディアにおいては目立ちづらいという気もするんですね。当然カミングアウトされてない方もいるでしょうから、実際には多くいるんでしょうけど。メディアが伝えているゲイ・イメージに非常に偏りを感じるといいますか。

伏見 異性愛者であるという理由でテレビに出ている人がいないように、おネエじゃないゲイという理由でメディアに取り上げられなければいけないっていう話しも変じゃないですか。映画監督の橋口亮輔さんみたいに、自らゲイですと告白した上でメディアに出ている人もいますしね。そういう人達がもっと増えてくればいいなとは思いますよ。確かにおネエってジャンルについては、ちょっと情報の中でシェアが大きくなりすぎていて、あっちばかりが目立ってしまっているという問題はありますよね。

ぼくにも、テレビ局から「おネエ系タレントを中心とした番組を作りたいから協力してくれないか」っていうようなオファーが何度かきてるんですけど、大抵そういうテレビ番組を作ろうとしている人達の志しは低い(笑)。そうすると、やっぱりノレないことが多いのでお断りしているんですが、そういう形で消極的な批判はしますけど、あえて「作るな」とは言えないですからね。

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