〈ヒロイン手帖 × 永山薫〉 「表現規制において怖いのは自主規制、問われるのは作家より編集者」

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ヒロイン手帖 その19

永山薫

表現規制において怖いのは自主規制、問われるのは作家より編集者

文/荒玉みちお 構成/うぶモード特ロリ班


規制→妄想→規制→妄想を繰り返すうちに日本人は世界トップクラスの妄想力を身につけた。それは今でも進化中だ。そこで果たすエロ漫画の役割は大きい。『エロマンガ・スタディーズ』(イーストプレス)は2006年に刊行された文字通りエロ漫画の研究書。著者が語るエロ漫画の過去と現在、そして未来は?




—宮崎事件までは美少女系、いわゆるロリコン系の漫画誌も、一般の漫画誌と同じ扱いだったんです。




まずはロリコン漫画の歴史を簡単に語っていただこう。



「美少女モノという観点だと、まず写真のほうでブームがありましたよね。先駆的な少女ヌード写真集としては剣持加津美さんの『ニンフェット12歳の神話』(ノーベル・69年刊)が出て、そのあとアリスブームがきた。代表的なのが沢渡朔さんの『少女アリス』(河出書房新社・73年刊)。今でいえば“ネタ”ですね。アリスという概念をネタに当時の文化人たちが盛り上がって少女ブームを作った。でも大衆化で一番大きな役割を果たしたのは清岡純子さんですね。少女ヌードの写真家。一時は全国のデパートを回って展覧会までやった。写真集も次々と出して、『月刊プチトマト』(KKダイナミックセラーズ)はキヨスクに置かれていてバカ売れしたという伝説のミニ写真集です。

 それがアウトになったのは80年代前半。“少女のワレメも性器とみなす”という裁判所の判決が出た。俗にいう“モペット裁判”です。海外のヌーディスト雑誌を日本に持ち込んでリプリントして売ろうとした人たちがいた。大人も子供も男も女も、すっぽんぽん。ヌーディストっていいよねって見せかけて実はエロなんだけど、それが税関で止められた。それで裁判に訴えた。でも結果は敗訴。それまでは少女のワレメは泌尿器扱いだったけど、その裁判の後は、少女のワレメも性器だからアウト、ということになった。まだ児童虐待という文脈が一般化する以前の話ですよ。

 少女モノの出版物に話を戻すと、写真集でロリータブームがきて、それを受ける形で漫画も、同人誌のほうで美少女ものをやり始めた。第1回のコミケは75年。今もなんだけど、その当時も参加者は女性のほうが多かった。それで男性参加者たちが、もうちょっと男性向けジャンルを盛り上げようという意識で美少女ものを提示したと言われています。それが評判になって次から次へ広がって規模も大きくなっていった。

 それと同時にアニメも少女キャラのブームがきていた。『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスや『風の谷のナウシカ』。宮崎駿の描く美少女がじわじわとウケはじめ、一方では『うる星やつら』みたいにキャラが立った作品が誕生していた。アニメと同人誌は原作とパロディの関係にある。その同人誌の盛り上がりの中から商業誌でも……となるのが自然の流れでね。あまとりあ社(久保書店)から『コミックレモンピープル』が出たのが82年。これが売れ、あっという間にエロ漫画界は劇画系から美少女系ロリコン系になっていったんです。『レモンピープル』『漫画ブリッコ』『ペンギンクラブ』など続々と出てきた。『漫画ブリッコ』の編集長だった大塚英志さんは、美少女漫画誌というより、男が読む少女漫画を作りたかったらしいんですけどね、話によると」


永山さんがエロ漫画と深く関わるようになったのもこの頃だ。


「『漫画ブリッコ』の後継誌『漫画ホットミルク』で商業誌の書評をはじめたんです。それがきっかけ。当時の斉藤0子編集長に“とにかく出ている漫画を全部買ってきて読んで書評を書け” と。最初の頃は少なかったんです。10冊、20冊だったのが徐々に増えてきて、いわゆる宮崎事件のあとにくる有害論争の頃にガタッと減って、1ヵ月に1冊2冊しか出なくなった。それから徐々にまた増えていき、エロ漫画を成人指定とする落としどころ(成年コミックマークを付ける)が見えて……ある意味で解禁ですよね……また一気に増えた。最盛期には1ヵ月に100冊くらいは出てましたね」


ロリコン漫画繁栄期のど真ん中でそれを体感した人というわけだ。


「宮崎事件までは美少女系、いわゆるロリコン系の漫画誌も、一般の漫画誌と同じ扱いだったんです。当時の漫画と今の漫画を読み比べればわかるんですけど、当時のエロ漫画はレイプどころか挿入シーンもそんなに多くなかった。ポルノ的なものに特化したわけでなく、あくまでも漫画の一ジャンル。だから宮崎事件が起きるまでは世間の目もそんなに特殊視していなかった」


エロ漫画は今でも読んでいるのか?


「この本(エロマンガ・スタディーズ)を出すちょっと前までかな。エロ漫画に本格的に関わっていたのは00年代の前半まで。この本が一区切りになった。だから今読んでいるのは一般の漫画の方が多いですね。そのへんでヘタなこと言うと若い連中から責められるんですけど(笑)」


あくまでも印象として、昔と今の違いを語ってもらおう。


「まあ、大きな流れとしてポルノ的な方法に狭くなってきている気はしますね。昔に比べて自由度は落ちてる。挿入の話でもそうですけど、エロ漫画でもおもしろければ挿入がなくても良かったんだけど、今はハードさを求められる。なんてことを言うと“今の時代は狭い中で表現が広がってきているんだ”と怒られるんですけどね(笑)」


確かにエロ漫画に新鮮、斬新といった印象を求める時代ではない……と私も思うが、怒られるかもしれない。


「ボクが熱心に読んでいた80年代後半、美少女系がドッと出てきた頃の読者って、明らかにエロ劇画の読者層とは違った。エロ劇画の時代は単行本はあまり成立しなかった。でも美少女系は単行本を買う。おたくですよね。おたくは買ってくれるんです。今もおたくは多いですよ。ただ、昔は特殊なイメージだったけど、今はカジュアルになっている。ファッションも普通におしゃれ。もちろん中には変わった格好してる人もいますけど。“それ、昔のおたくのコスプレ?”と言いたくなる絵に描いたような人が。でもごく少数ですよ」


不良が典型的なツッパリから、見た目は普通の男子と変わらなくなったのと同じように、ロリコン漫画好きも見た目は普通の男子化したということか。それとも総ロリコン化しているということか。


「そもそもがね。ロリコン系の雑誌、漫画を読んでいる読者が、本当にペドフィリアかと突き詰めれば、そうじゃない。もちろんいないことはないだろうけど、数字的にはかなり少ない。ただ人間の欲望の中には漠然とあるでしょう。かわいい、小さい、弱いもの、それらを愛したい、自分のものにしたいという感情。さらにいえば破壊したいといった暗い部分もある。それは否定できない。でもそれが欲望のすべてではない人がほとんどで、それは昔から変わらないと思う。そういう欲望、現実にやると犯罪だけどフィクションの中で解消すればいい。その図式も変わらない。だからロリコン漫画もブームはさておき、本来は普通にあっていい世界観だと思うんですけどね」




—エロ漫画は男のあえぎ顔は描かない。女の子が気持ちいい表情をしている絵ばかり描く。これって、女の子に自己投影する感覚がどこかにあるからじゃないかと。




エロの多様化はショタなど、さまざまなジャンルを生み出し続けている。BLは腐女子のものという印象だったが、なぜショタは男子が好むのか。


「もともとショタというのは、やおいやBLの中から出てきて、それを男も読んだ、というのが始まりで。ショタ漫画が出てきた頃はショタ系漫画誌も3パターンあったんです。完全に男性向けに作っている男性作家中心の雑誌、両方入っている相互乗り入れタイプ、女性作家中心の雑誌。だから供給側が手探りで出しながら需要を取り入れているうちにそういう流れになった、とも言える。ただ、もともと絵ですから。空想の世界ですからね。極端な話、同じボディでちんちんがあるかないか、だけとも言えるんです。本来、絵に性別はないんでどうとらえようがいいんじゃないかと、ボクは思うんですけどね」


女装ブームも続いている。


「脱がないけれども女装……脱がない女装はなんで女装っていえる? 設定はそうなんだけど、実は証明できない。『ストップ!!ひばりくん!』は男の子が女装してるんだけど、ちんちん出していないですよね。女装ではなくて本当に女の子かもしれない、という疑いみたいなもの、常にあるんですよ。設定は女装になっているけれども、最後にどんでん返しがあるかもしれないじゃんって意識。『月刊コロコロコミック』に連載された『バーコードファイター』という少年向けの漫画。ヒロインの女の子が実は男の子だった。あれを子供の頃に読んだトラウマが女装のきっかけになった人もいるとか(笑)」


漫画は現実ではない。自由な空間なのだ。


「ショタがブームになっていた頃、考えたことがあるんです。漫画を読むとき、読者はどこに自己投影するか。エロ漫画は男のあえぎ顔は描かない。女の子が気持ちいい表情をしている絵ばかり描く。これって、女の子に自己投影する感覚がどこかにあるからじゃないかと。受け身の快楽をシミュレーションするという読み方も当然ある。自分がばっこんばっこんにやられるところを想像する男がいるかもしれない。そういう読者もいるでしょうね。オナニーの妄想は自由ですから。オートエロティシズム……受動的な快楽。突き進めていくと最後には、かわいくて気持ちいい自分がいる。自分が積極的にナンパして彼女を作ってセックスしてという手順、面倒くさいでしょう。全部向こうから来てくれたら、そんな楽なことはない。自分都合。就活、婚活、現実社会には面倒くさいことがいろいろある。だから妄想までそんな面倒くさいことやるのはイヤだな。妄想こそ自分都合の世界なんだから、その素材を与えてくれるものとしてエロ漫画はある。自分都合で読んでるのだろうし、読んでいいと思うんですよ。創作物ってもともと妄想の中で完結する。妄想の中だったら自由にしていいんだな、というのがあるから、非常に幅広いエロ漫画が誕生したんですよ。それはロリコン漫画が一般化したからじゃない。三流劇画誌の時代からそういう傾向はあった。ゲイが出てきたり女装の人が出てきたり。近親相姦もあった」


だから、あえて言う。


「だからエロ漫画を規制するという行為は意味がわからないんです。妄想を取り締まるぞと言ってるようなもの。何をどうしたい? 結局は一部の人間が、自分たちの見えるところから排除したいってことでしょう。子供のためというけれど、要するにあなたたちが生理的に嫌いなんでしょって。悪影響論もよくわからないですね。だって人間は生まれてきてそれなりの年齢になればオナニーもするしセックスもするんだから。青少年の健全な育成の妨げになる? エロ漫画からは少しずれるけど、ネット規制の話もありますよね。18歳未満はツイッターもフェイスブックも禁止しようと。なぜ? 出会い系と化しているから規制して安全なインターネット環境を子供に提供しましょうと。親としては安心かもしれない。でも時代の流れは変えられないですよ。そういう大人の過剰な保護を受けて育った子供が、いきなり18歳になって大海に投げ出される。そのときどうなるか。そこのところも考えないとダメでしょう」


改正された東京都の「青少年健全育成条例」をどうみるか。


「なんで近親相姦はダメなのか? これをダメというのは民主主義の根本的なルールから外れているんじゃないか? 近親相姦ジャンルそのものは自分の好みからは外れているんだけれども(笑)、でも近親相姦をダメというのは法的な根拠がない。法的に結婚はできないですよ。でも行為は犯罪ではない。個人の道徳観の範疇でしょう。

ただ、それも含めて成人マークを付ければいいということになっている。コンビニの一般誌の中に混じっているのはダメだけど、成人コーナーならいいと。今、漫画が摘発を受けるのはわいせつ罪だけですね。結局、自主規制という曖昧なところにいっている状態だから」


自主規制はいいのか悪いのか。


「彼らも言われたくないんですよ。表現の自由を弾圧してるとか、ファシズムとか。だから自主規制という形に持って行けば、別に規制していないよと言えるから都合がいいんでしょう」


条例が職権乱用的に襲ってくることはないのか?


「当面はないでしょう。あんまり規制を怖がる必要はないと思いますけどね。やっぱり怖いのは自主規制。一番問われるのは作家よりも編集者。イケイケの編集者もいれば安全策しかとらない編集者もいる。あとは国の法律、児童ポルノ法がどうなるかということでしょうけど、いまは国会も原発問題最優先ですから……。攻める側も受ける側も特に動きはないですよね。猪瀬直樹みたいに“『奥サマは小学生』は、けしからん”とでも言ってくれたら、討論できるんですけれども」


草食系男子、肉食系女子。世の中はめまぐるしく変わっていく。


「さっきのBLやショタじゃないけど、女子の欲望も露出してきていますよね。男の欲望も露出して、実は草食系だったとバレた(笑)。今はアニメもこれは男向け、女向けってないですもんね。『少年ジャンプ』も腐女子狙いだし。『キャプテン翼』が同人誌で腐女子たちにパロディ化されてた頃は怒っていたのに(笑)」


エロ漫画とそれを取り巻く環境は時代を反映してどんどん変化していくのだ。



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永山薫

1954年大阪生まれ。漫画評論家。『網状言論F改』(東浩紀編著・青土社)などの共著がある。長年のアダルトコミック研究を結集させた『エロマンガ・スタディーズ~』は画期的なエロ漫画批評にして決定版と評価されている。





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