オタクの細道 河本ひろし

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伝説マンガ紀行『オタクの細道』#02

河本ひろし

マンガ家人生26年、オレはこれから<代表作>を描く!!

取材・文/おおこしたかのぶ 構成/吉岡


あのマリナーズのイチローが、雑誌のインタビューで「学生時代によく読んでいた雑誌は『コミック・ジャンボ』」と答えたことがあった。『ジャンプ』ではなく美少女コミックの『ジャンボ』と。その表紙を担当していたのが河本ひろしだ。彼が描く、いかにも少年誌っぽい溌剌とした女のコはマニアではなく、一般層の支持を集めた。野球少年だったイチローを虜にしていた(かもしれない)河本ひろしとは、いかなるマンガ家なのか!?


—100 冊近くも単行本を出しているのにウィキペディアに載っていないんです。求む!! ウィキに書いてくれる人!


 古い話で恐縮だが、昭和63年、筆者はたまたま一編集者として「コミックジャンボ」(※注1)の新装刊に立ち会っていた。オタクではなく一般層をターゲットにした戦略は成功し、結果的にジャンボはバカ売れしたが、成功のキーマンはやはり河本ひろしだったと思っている。当時、河本氏は多忙でゆっくりと話をしたことがなかったが、今回、初めてマンガ描くきっかけなど、興味深いお話をいろいろと聞くことができた。


(※注1)コミックジャンボ
昭和62年創刊。平成19年8月号が最終号。今はなき桃園書房より刊行されていた月刊美少女コミック雑誌。


——およそ20年ぶりの再会ですね。本日はよろしくお願いします。

河本 その節はお世話になりました。前から聞きたかったんですが、どうして美少女コミックの表紙に、当時あんまりエッチな絵を描いてなかった僕を使おうと思ったんですか?

——「コミックジャンボ」が新創刊することになったとき、新しく編集長に抜擢された人がまったく美少女コミックに興味のない人だったんです。で、少年ジャンプが売れているんだからロゴから何まで徹底的にジャンプの真似をしようと(笑)。「コミックジャンボ」のコンセプトは<オタクではなく、運動部活帰りの高校生に売れるちょっとエッチなコミック雑誌>だったんです。だから表紙はエロを排除して元気で溌剌としたイメージにしようということで河本先生にお願いしたんですよ。

河本 そうだったんですか。僕は「あまりエッチにしないでくれ」とか「表紙を描いてくれたら連載マンガは好きなこと描いていい」と言われて、何か変だなぁと思ってたんですよ。

——お蔭様でコンセプトはズバリ当たり、あのイチローまでもが愛読者だったというんだから驚きました(笑)。

河本 確かにジャンボの表紙は当時出ていた美少女コミック雑誌の中では一番買いやすかったと思います。

——ただ、先生の連載『DANGER凱』(※注2)の原稿をもらって、袋から取り出して見るときはドキドキしましたよ。いったい今度は何が出るのかと(笑)。1ページまるまる使ってカマキリの怪人やロボットが出てきたり、北海道が原子爆弾で消滅してしまったり……あれ、今だったら絶対発禁ですよ!


(※注2)DANGER凱
コミックジャンボに連載。編集者に「制御不能」と恐れられた。その破天荒ぶりは一読の価値アリ!


河本 あの作品はプロットも何も考えていませんでした。しかもネームはノーチェックでしたからね。実は編集さんを驚かそうと思って描いてたんですよ(笑)。

——充分、驚きましたよ!

河本 締切りに遅れたり、ページ数を短縮してもらったり、いろいろとご迷惑をおかけいたしました。若気のいたりです。

——こちらも河本先生対策として常に代原を用意してましたから。でも、表紙は毎回イメージ通りのものを1回も休まずに描いていただけたのでノープレブレムです。

河本 当時はまだパソコンが主流となる前でしたからね、一枚の紙にカラーポスターやカラーインクで色付けして表紙イラストを完成させるのは苦労しましたよ。最後の最後で塗りに失敗したらそれで全てオジャンですからね。途中で下書きをコピーしてそれに色を付ける、というテクに気づきましたが(笑)。

——今はパソコンを使いこなしているんですか?

河本 いや〜、難しいですね。やはり主線は使い慣れたスクールペンで描いてからスキャンして、パソコンに取り込んで加工していく方法です。若い作家さんたちはタブレットに直接描いちゃうんだからスゴイですよ。僕もパソコンで全部描ければそれにこしたことはないんだけど、なかなか技術が伴いませんね。まっ、おっさんはおっさんのやり方でやっていきますよ。

——おっさんといえば、最新の同人誌『ヤボウノユキボン』(※注3)はおっさん全開でいいですね〜(笑)。この太モモとケツのボリュームはたまりませんよ!


(※注3)ヤボウノユキボン
今年の夏コミで販売された最新同人誌。『ドロロンえん魔くん』の雪子姫の太モモがすごいことに! すでに完売。


河本 ずっと巨乳と太モモフェチでやってきて、それは今も変わらないんですが、最近はシリがどんどん大きくなってきちゃって(笑)。やっぱりおっさんになるとケツにいくんですよ、フフフッ。AVはよくレンタルして見るんですが、「あ〜、ついにオレもこんなの借りるようになったかぁ」と思うことがよくありますね。ワキ毛とか絶対NGだったんですが、もう全然平気ですもん(笑)。

——同人誌の購買層はやはりおっさんですか?

河本 そうですね〜、最近は同人誌を買ってくれる女のコがめっきり減りましたね。昔、女のコが買ってくれていた頃は「よし、このセンでいいんだ」と自信がついたものですよ。今はちょっと不安ですが、いちおう完売したんでいいかなぁ、と。

——ところで、先生のマンガの原点というと何でしょう?

河本 やはり『ドラエもん』です。実は小学5、6年の頃、藤子不二雄先生に憧れて、マンガ好きの友達を誘い、二人でマンガを描いたんです。

——いい話ですね〜。

河本 二人ともマンガの描き方なんて何ひとつ知りませんからね、ケント紙とインクとペンを買ってきてストーリーも考えず、下書きもなしでいきなり描き始めたんですよ。そりゃもう、ひどいマンガですよ(笑)。

——どんな内容だったか覚えてます?

河本 たしか「植物人間」の話でしたね。

——えっ、小学生にしてはヘヴィなネタですね。

河本 いや、そっちじゃなくて、木の化け物が出てくる話(笑)。で、「あれ? ボクらマンガ描けないや」と悟りまして。それ以来、しばらくはマンガ家になるなんて考えもしませんでしたね。その後、中学生の時に『ガンダム』を見て、今度はアニメに目覚めてしまったんです。

——あの頃はみんなフツーに『ガンダム』に夢中だったでしょ?

河本 いやいや、爆発的人気の出る前の初放送の時だったし、僕らの学校ではアニメは全く流行ってなかったので、クラスメートとガンダムの話なんてできる雰囲気じゃありませんでしたよ。ところが僕らの学校は御殿場の自衛隊東富士演習所が近くにあったので「軍マニア」がけっこういたんです。で、彼らに遠回しに「今、『コンバット』みたいなアニメやってない?」ってふったら「それ、ガンダムでしょ。いや〜、実は僕も見てたんだよ!」って言うわけ。実はみんなガンダムを見ていることがわかって次の日からみんなでガンダムの話題で大いに盛り上がったという(笑)。しかも、ちょうどその頃、吾妻ひでおさんのイラストを見て女のコを描くことに目覚めてしまいまして(笑)。

——先生の女のコのルーツは永井豪じゃなく、吾妻ひでおだったんですか。それは意外です。

河本 学校で吾妻ひでおの模写をしてたら、友達がそれを教室の壁に貼ったんです。そしたら意外と評判が良くて、それが嬉しくてまたマンガを描き始めたんです。それからアニメや特撮、美少女マンガ三昧の高校時代を経て、東京デザイナー学院アニメ科に入学しました。

——では、マンガ家になる前にアニメーターのお仕事をしていたんですね?

河本 いや〜、学校にはうまい人が山ほどいましてね、自分にはアニメの才能ないな〜と完全に挫折しました。こりゃアニメーターになるのは絶対に無理だぞ……と思っていたところに学校の友人が「卒業前に記念として同人誌を作ろう」と言いだして、それに参加することになったんです。当時流行っていた宇宙刑事などの特撮本を作ってコミケに持っていったら、あっという間に完売したんですよ。おおっ、こりゃ面白い!ということになって、第2号はもっと売ろうと女のコ中心の本を出したんです。そしたら、ラッキーなことにそれが講談社の月刊少年マガジンの編集さんの目にとまって、なんと僕にお声がかかったんですよ。

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