オタクの細道#04 岩村俊哉 『ライク・ア・ローリング・ストーン』

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伝説マンガ紀行『オタクの細道』#04

岩村俊哉 全身全霊で漫画家という職業を全うする男

『ライク・ア・ローリング・ストーン』

取材・文/おおこしたかのぶ 構成/吉岡


ギャグ・ミステリー・釣り・歴史・オカルト・競馬・パチスロ・株・萌え……その男はあらゆるジャンルの漫画を描き続けた。そして、つかんだ栄光。……挫折。ときに病と戦い、副業に失敗して自己破産。手に握ったペンを離すことなく、転がり続ける漫画家・岩村俊哉。


—汚い大人の世界に激怒!実力だけでマンガ賞を取ってやる、と決意しました。万年中2病なんですよ。


 一見、髪を染めた長髪の中年ロッカー。口を開けばまるでDJのような快活なしゃべりでギャグを連発。周りにいる人の心をあっという間に掌握してしまう……そのあまりに過剰なエンターテイメント性・奉仕精神こそが漫画家・岩村俊哉の本質なのだ。それはこのインタビューを読んでもらえばわかるはずだ。


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岩村 ふ〜っ、暑い、暑い!(取材場所のルノアール高田馬場店・会議室に入るなりTシャツ1枚になり、持参のウチワで扇ぎだす)

—えっ、そんなに暑いですか? 空調システムは店内と繋がっているから、この部屋だけ切ることはできませんよ。

岩村 大丈夫ですよ。冷たいもの飲んで、ウチワで扇いでいればなんとかなりますから。昨晩も暑かったから『ガリガリ君梨味』を5本も食べちゃいましたよ(笑)。さっき専門学校で漫画の授業やってきたんですが、僕が教室に入るなり暖房のスイッチ切るもんだから、生徒たちはみんなダウンジャケットなど着込んで聞いてましたよ。僕はTシャツ1枚でOKなんですけどね。困ったもんですよ。

—困ったのは先生の方ですよ!(という言葉を呑み込み)、冷たいものが足りなくなったら、いくらでもたのみますので言って下さい。

岩村 実は、僕の暑がりは出生の秘密と係わりがあるんですよ。

—えっ! 出生の秘密?

岩村 僕、首にへその緒が絡まったかどうだかで、死んだまま生まれてきたんですよ。「おぎゃあ」とも泣かないで。産婆さんが僕を振ったり、水に漬けたりしても動かないので「この子は死んでおる。魂の代わりに他のものを入れましょう」と言って<火>を入れたんだそうです。その産婆さんがとある宗教の術を使える人だったので助かりましたよ。産婆さんは母に「この子は一生暑がりで水を飲みたがるが、それを止めてはいかんぞ」と言い残したそうです。

—面白い作り話ですね(という言葉を呑み込み)、へ〜っ、すごい。

岩村 本当ですって! 母の日記にこのことがちゃんと書いてあったんですから。おかげで助かったのはいいんですが、まるで生きた原子炉ですよ。体に燃料棒が入ってるようなもんだから、これを冷し続けるために子供の頃から水をがぶがぶ飲まなきゃならないんです。

—アイアンキングか!

岩村 「お前は浜田光夫みたいだな」ってよく言われました(意味のわからない人はウィキを参照のこと)。

—話が『ムー』みたいになってきたんで、漫画家になったいきさつを教えてください。

岩村 大阪の桃山学院大に通っていたときの話なんですが、漫画家志望だった友人のところに東京からわざわざ講談社の編集者が漫画を見にくる、ということになったんですよ。で、友人から「君も漫画描けるんだよね。一緒に見せに行きませんか?」と誘われまして。たまたま遊びで描いたものが1本あったので、持っていたんです。そしたら「これはダメだね。もっと丁寧に描かなきゃ」って言われました。

—まぁ、そんなものですよね。

岩村 それでお話を聞いていたら「次の作品を賞に出してみましょうか。賞を取らせてあげますよ」って言うんですよ。

—へ〜、良かったじゃないですか。

岩村 何言ってるんですか。僕は大激怒ですよ!

—えっ、何で?

岩村「何だ、この談合みたいな話は、何だ、その汚い大人の世界は……ふざけんな! 僕は絶対に『少年マガジン』になんか描くもんか!」って思ったんです。まぁ、世間知らずというか、こんな時に中2病が出ちゃったんですねぇ。で、必死に次作を描いて『少年サンデー』のコミック大賞に応募したら、入選しまして。それがきっかけで漫画家になってしまいました。

—ええっ、すごい! 天才ですか?

岩村 降って湧いたような話ですよ。僕は漫画家になろうなんて思ってなかったですから。しゃべるのが好きなので、本当はDJになりたかったんですよ。『少年マガジン』への怒りが漫画の才能を目覚めさせてしまったようなもんです。マジで30歳頃までは漫画家であることにずっと疑問を感じてましたよ。

—どうやって漫画の技術を磨いたんです?

岩村 完全に独学です。釣りが好きだったので矢口高雄緒先生の『釣りキチ三平』を模写したり。あとは車田正美先生の作品が好きでした。

—その後、プロの漫画家として順調だったんですか?

岩村 東京に出て、アシスタント生活をしながら自分の作品をコツコツ描いてました。で、『週刊少年サンデー』に念願だった釣り漫画を描くチャンスがあったのですが、見事不発に終わりまして。この頃、あまりに漫画に集中しすぎたのか、極度の腰痛になったり、糖尿病を患い、苦労しましたね。腰痛はシビンと松葉杖が欠かせない生活が半年も続き、ウンコする時にちょっとでも腰に力が入ると激痛が走るんです。もう地獄ですよ。

—そうなるまで気づかなかったんですか?

岩村 僕、集中力が半端ないので。3日間座りっぱなしで椅子とケツの皮がくっついちゃったこともありますよ。で、釣り漫画はダメでしたが、その頃は競馬漫画や、当時はバブル時代の真っ只中だったので株漫画を描いたりして食いつないでました。



—『モアイくん』の大ヒットで豪邸に住み、若い女のコのアシスタントに囲まれた薔薇色の日々……?



—そして、ついに『月刊コミックガンガン』の『電撃ドクターモアイくん』(注:1)でブレイク!


注:1 『電撃ドクターモアイくん』『月刊少年ガンガン』(エニックス 現スクウェア・エニックス)にて1992年10月号より連載。全49話、単行本全5巻。電子書籍配信サイト「Jコミ」で絶賛配信中。


岩村 実は『モアイくん』は、第1話から読者の票が真っ二つに割れたんです。「こんな下品な漫画は二度と見たくない」という意見と「すごく面白い!」という意見で。こんなに反対票が来るならダメかなぁと思っていたんですが、編集者は「こんなに反響があるのはスゴイ!」って言うんですね。しばらく連載を続けていたら、反対派の読者たちが肯定派に転んできたんです。最初は嫌いでも、読んでいるうちにクセになっちゃったんですね。シメシメですよ。

—『モアイくん』はどれだけ売れたんです?

岩村 第1巻は、1回につき3万部の刷りで11版までいきました。おかげで12畳の部屋が5つもある2階建ての豪邸に住んでましたよ。仕事部屋がひとつあればいいんですけどね。あとは100インチの映写機と200万円以上するスピーカーを備えたAVルームや、ペットのイグアナがたった1匹いるだけの部屋がありました(笑)。

—漫画は当たると怖いですね〜。羨ましいです。で、アッチの方は?

岩村 アッチ?

—女ですよ。

岩村 いや〜、これが振られまくり! 『ガンガン』に持ち込みするのは女のコが多いんです。だからウチに来るアシスタントも女のコばっかり。仕事場はキャバクラ状態だったんです。で、アシの女のコに片っ端から「つきあってくれ〜」って頼んでも「イヤ〜〜ッ!」ってものすごい勢いで拒絶されました。

—お金があってもダメなものはダメなんですねぇ。仕事は忙しいし、周りは女のコだらけでモンモンするし、相当ストレスが溜まったんじゃないですか?

岩村 そうなんですよ! この頃からパチスロにハマッてしまったんです。徹夜で漫画を描き終えて、そのまま寝ないでパチスロ店に通ってましたね。生きててこれほど楽しいことはないな〜って思いますよ。えっ、パチンコ? パチンコはダメです。あれは運ですから。やってて眠くなっちゃいますよ。パチスロは技術なんです。パチスロにはATとかストック機能というのがありましてね、メトロノームを使って体に1.8秒を覚え込ませるでしょ……(延々とパチスロ攻略法の話が続くが省略)。で、福島のパチスロ店で100連チャン出して、お店から表彰状もらったことがあるんですよ。

—だってお金はいっぱい稼いだじゃないですか?

岩村 お金じゃないんですよ! メダルがジャラジャラと出るときの高揚感が堪らないんです。メダルがだ〜い好き。僕はメダルフェチなんですよ!

—だから仮面ライダーオーズのガチャポンのメダルを子供みたいにたくさん持ち歩いているんですか?

岩村 はい。

—……。じゃ、この辺で漫画家人生の起承転結でいうと「転」にいきましょうか?

岩村 『モアイくん』も連載が終わり、次は何を描こうか迷っていたとき、『週刊少年ジャンプ』で連載を持ちたい、という野望がメラメラとこみ上げてきたんです。

—お〜っ。

岩村 ジャンプは賞に応募して下から順番にはい上がって週刊連載を勝ち取るシステム。しかも新人扱いですから原稿料は一番下の8千円からスタートです。望むところよ、と全てを捨てて挑みました。ホップステップ賞入賞、月刊誌掲載と順調に進んで、いよいよ夢の『週刊少年ジャンプ』で2週連続掲載のところまでこぎ着けました。それが『爆裂給食当番ランチくん』です。

—ああ、あの!(すいません、本当は読んでません)

岩村 結果から言いますとね、人気はイマイチで連載は勝ち取れませんでした。

—面白かったんですがねぇ。

岩村 ストーリー性を持たせたかった編集側と徹底的にギャグを描きたかった僕とで対立しましてね、激しい応酬があったんです。で、結局折れてしまった僕が悪かったんですが、美味しいギャグの部分をメチャクチャ削られてしまったんですよ。確かに下品で、掲載したら苦情もくるかもしれない…でも、一番面白いギャグまで削られてしまったんですよ! それが悔しくて悔しくて……。

—どんなギャグだったんですか?

岩村 ウンコとカレーのロシアンルーレット。

—それ、ボクでも削ります!

岩村 いやいや、本物のウンコじゃないですよ。明太子の上にカレーがかけてあってウンコに見えるだけなんです!

—絵にしたらただのウンコですよ。

岩村 そうかなぁ……。で、その後、『タロットマスター』という占い漫画を『週刊少年ジャンプ』で連載しようと企画をつめていたんですが、当時の編集長の「35歳以上の作家の新作は、週刊では連載しない」という鶴の一声でポシャッてしまったんです。「月刊のほうでどうか?」と言われたんですが、例の中2病がまたぶりかえしまして、「年齢で差別されるのはごめんです!」と断ってしまったんです。

—いや〜、漢ですな〜。

岩村 『タロットマスター』は、カードからモンスターが出るという要素を加え、1年後にポプラ社から創刊された『コミックブンブン』に連載されました。その頃ですかね、趣味だったパチスロの漫画をパチスロ誌5誌に連載していたのは……。

—5誌もですか? すごいですね。

岩村 パチスロ漫画は美味しかったんですよ。原稿が早く上がるんです。本気出すと1日で上げることができる。なぜかというと、メインのスロットマシーンの絵は、一度描いてしまえば、あとはそれをコピーして貼りつければいいんです。非常に純利益が高いので、ものすごく儲かりましたね。

—なるほど。

岩村 ところがですね、あまりにパチスロの賭博性が強いということで社会的に問題になりましてね、規制が入ってパチスロの博打的面白さか骨抜きにされてしまったんですよ。これで一気にパチスロ人気は下降。攻略雑誌もやがて全滅するだろう、ということで収入の穴埋めをする仕事を見つけなきゃならなくなったんです。それが2年前くらいかな。そんな時に当時流行っていた「メイド喫茶を経営してみないか?」という甘い誘惑がありまして……。

—うわ〜、なんか危険な匂いがプンプン漂いますね。

岩村 ですよね〜。でも、メイド喫茶経営なんて男の夢じゃないですか? よ〜し!ってんで、中野ブロードウェイの4階に店を出すことにしたんです。

—4階はダメでしょう? ガラガラじゃないですか!

岩村 だから逆にオタクの隠れ家的なものにしようと思ったんですよ。人がいっぱいいると入店するのが恥ずかしいし、ゆっくりできないでしょう? それにね、家賃が全然違うんですよ。3階は月30万円、4階は8万円ですよ! この差はでかいです。

—うわっ、安っ! そりゃ食指が動きますね。

岩村 でも、メイド喫茶の経営を甘く見すぎてましたわ。オタクは基本、お金を使わないんです。コーヒー一杯500円で長時間粘るし、普通の喫茶店よりも人件費がかかるわで採算がまったく合わないんですよ、これが。

—特にブロードウェイは秋葉と違ってコアなオタクしか来ませんからね。彼らはモノにお金を使っても飲食には使いませんよ。

岩村 そうなんです。で、やればやるほど赤字がかさむ結果になりました……。



—自己破産して心機一転、再スタートですよ。野望は漫画で世界制覇です。



—でも、女のコとイチャイチャして楽しかったんでしょ?

岩村 いやいや、とんでもない! そりゃね、確かに自分オンリーのキャバクラが出来るんじゃないのかぁ? ウヒャヒャ〜! みたいに思ってましたよ。何が恐ろしいかってね、可愛いコがまったく面接に来ないんですよ! 毎日8人くらい求人の応募に来るんですけどね、Mサイズが絶対に着れない子とか、絶対勘違いしてるよね、というような女のコばっかり。採用してもすぐに店の中で派閥を作るんです。で、すぐに喧嘩を始めて「私たちのほうが正しい」「いや、私たちが正しい!」……って。こっちからしたらね、どっちが正しいなんか関係ないんですよ。利益か不利益かだけなんです。君達両方とも不利益だからやめて!ってな感じですよ。もう、明けても暮れても女のコのバトル処理ばかり。漫画にも集中できないし、赤字は続くしで7ヵ月で店を閉めました。残ったのは600万円の借金だけですよ。

—え〜っ、そんなに!? どうすんですか、そんな借金!

岩村 弁護士と相談して今年の初めに自己破産することにしました。

—そうなんですか……。家財道具一式取られるんでしょう?

岩村 今はそれはないです。10年間ローンが組めなくなったり、6年くらいブラックリストに載ってお金が借りれなくなるくらいなんですよ。

—へ〜、それだけなら破産したほうが得ですね。いいことを知りました。それで、今はどのような感じですか?

岩村 専門学校で漫画の描き方を教えながら、萌え漫画(注:2)に挑んでます。


注:2 萌え漫画…現在、岩村氏は『月刊COMICリュウ』(徳間書店)に連載予定の萌え漫画を執筆中。最近の流行を研究しつくしたというから、掲載が楽しみだ。


—今度は萌えですか。しかし、よくそんなにいろいろな漫画を描けるもんですね。感心します。

岩村 僕は修行が好きなんです。自分が苦手だと思ったら次にそれをやるときに得意だと言えるようにしたいんですよ。萌え漫画もアシスタント仲間で集まって、今流行っている萌え漫画をみんなで模写して勉強したんです。で、一週間後にもう一回勉強会を開いて、みんな批判し合うんです。

—見えないところでそんなに努力していたんですね。すいません、漫画家さんは何でもすぐに描けるもんだと思ってました。

岩村 実はオッパイを描くのが苦手でした。オッパイにうるさい読者は多いですからね、ちょっとでも形が崩れると読者が逃げちゃうんです。フリーハンドで描くところと、テンプレを使って描く曲線をきっちりと繋げるのにものすごい集中力を使うんです。オッパイは朝起きてパフォーマンスが高いうちに描くようにしてます。疲れているときにオッパイは描けませんよ。「オッパイは地獄」です!

—学校ではオッパイの上手な描き方を教えているんですか?

岩村 いやいや、主にネームの切り方ですよ。でも、エロ漫画家になりたい、と言う生徒さんも多いですね。そういう生徒さんには、エロは女のコの裸がうまくかけてナンボ、ちゃんとデッサンを勉強しろ、と教えています。あと、動きのあるエロシーンを描けるようになるには、2次元を参考にするよりも、エロビデオでも写真集でも何でもいいから立体を見て勉強しろ、と。

—最新作は?

岩村 アンソロジーコミック『思い出食堂』(注:3)に、懐かしい食をテーマに描いてます。あっ、このコマのサバ缶は生徒に描いてもらってるんです。自分の描いた絵が印刷されるとどうなるのかがわかりますからね、いい授業になるんですよ。


注:3 『思い出食堂』…少年画報社より発売中のコンビニ本。懐かしい食にまつわる、笑いと涙のアンソロジー集。最新刊で岩村氏はサバ缶の思い出を披露。


—タダで描かせて楽してるだけでは?

岩村 いやいや、ちゃんとごはんおごりましたよ。安ランチですけど。

—最後に今後の野望をお聞かせください。

岩村 今や漫画もネット配信の時代です。これまで描き溜めた作品や、今描いている携帯で読むエロマンガの海外配信を目指します。日本の人口は1億3千万人ですが、インドだけで10億人いますからね。その10分の1がたった1円払ってくれるだけでも1億円ですよ! 『モアイくん』はなんとなくインド人が好きそうな気がするんですよね〜。

—だといいですね。もし、億万長者になったらどうします?

岩村 今、悪がはびこっているじゃないですか。そろそろ「善」の逆襲をしようじゃないかと思っているんです。悪い心を改心させる装置を作って、政治家たちを片っ端から誘拐して無理矢理矯正してやるんです。

—どんな機械なんですか?

岩村 キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』に出てきたみたいなヤツですね。椅子に縛りつけて目を閉じないように固定して『あらいぐまラスカル』や『アルプスの少女ハイジ』などの感動ものアニメを見せ続けるんです。「うわ〜っ、ラスカルはもう見るのもイヤだ〜!」と叫んでも、他人に対して思いやりを持てる人間になるまで絶対にやめません。

—いいですね。それ、漫画のネタにしたらどうですか?

岩村 そうっすね。帰ったらさっそくネーム切りますわ。

—本日はまるでギャグ漫画のような体験談をありがとうございました!



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 文章では彼の語りの面白さはなかなか伝えられないが、抱腹絶倒の2時間あまりだった。おそらく彼の破天荒な漫画家人生に凡庸な「結」はないだろう。転、転、転…の連続。これからも転がり続けていくに違いない。



岩村俊哉
1961年生まれ。1985年『月刊少年キャプテン』でデビュー。代表作は『電撃ドクターモアイくん』『機動戦士Vガンダム』。総合学園ヒューマンアカデミー東京校のマンガカレッジ非常勤講師。最新情報はブログで。http://ameblo.jp/eruri21/




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