再考非実在青少年規制_佐々木敦 2

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佐々木 だから裏返しなんですよね。70年代、高度経済成長からバブルに向かうぐらいの時期、日本のポピュラーカルチャーやサブカルチャーが育っていく中で、そういう性的な表現、ロリコン的な表現というのもかなり多く出てきたんだけど、それに伴って性犯罪が増えたかっていうと、そういうことはない。むしろ減っている。時々、宮崎勤事件のような暴発はあるけれども、でも宮崎勤事件もあれはロリコンではなく、裁判での彼の証言によると、あれは大人の女性の代替行為であったとか言っているわけで、そもそも宮崎勤=ロリコン=オタクという構図も間違っているのではないかという見方もあったりする。いずれにせよ、ある種の暴発はあるにしても、例えばアメリカなどにおいてはこういった事件がそれこそ日常的に起きているにも関わらず、それは日本では滅多におきない。ではなぜ日本では起きない、あるいは少ないのか。ではなぜ少ないのに、そういったロリコン表現などが他国に較べて自由に流通しているのか、という話になるんです。もしかしたら、これは論理が逆なのかもしれない。流通しているから起きない、いわゆるガス抜きっていうことが、ストレートな意味合いではなくても、ある程度は社会の中で起きているのかもしれないんですよね。

―ある種の捌け口になっているのは確かだと思います。

佐々木 だから外国人に詰め寄られた場合は「ニッポンはロリコン表現は多いけど、犯罪者になるロリコンは少ない」って言うしかない(笑)。これは日本人っていうのを考える上では重要な問題だと思うんですけど…、ただ今回の問題について言えば、そもそも表現の自由ということに関心がない、関与していない層にとっては、石原的な見方、ある種の頭ごなしなやり方っていうのが、割と単純に同意を受けちゃうところもあるんだろうって気はしていて。

―そもそも表現者サイドの人口なんてたかが知れてますからね。

佐々木 夫婦ともに30代で子供は小学生くらいっていう家族、そういうある種の典型的なファミリーが東京都なら東京都の一般的なマジョリティを占めていて、それは数の問題というよりも、一番声が大きいというか、その人達の声が抽出されやすい層なんですよね。いわゆるモンスターペアレンツになったり、今回でいえば買い占めに走ったりしている層とも重なっているとは思うんだけど。それはやはり明確に守るべきものがあるからであって、そういう人達にとってはこの条例は、ある種の安心の担保になるということも否めない。彼らに対して、「これは表現の自由だから」とか「犯罪自体は少ないから」と言っても、例えば数は少なくてもたった一人がそういう表現に刺激を受けて、自分の娘に何かしたらどうしようって考えるのが、そういう連中なので…、連中って言ったらいけないんだけど(笑)。そこの部分の摩擦が今の問題なのかなって気がしますね。石原っていうある種の独裁者的な人物の無理解というより、石原はある種の強行な代弁者であって、一つは外国人の目の代弁者であり、一つはさっきいったようなタイプのマジョリティの代弁者であって、実際その人達の意を受けているかどうかは別としても、それを代表しているようなつもりはどっかであるだろうなと。

―国家や地方自治体においても、対外的イメージの向上というのは大きなファクターとなっているんですかね。

佐々木 あると思いますよ。石原都政なり日本国家なり、やはり海外からの目というのは非常に気にしていて…、その考え方というのも僕はある意味ではこずるいなと思う。一方でクールジャパンというものに対してガンガン助成金とか渡して海外に輸出しているわけですよね。だがクールジャパンとオタクジャパンは完全に表裏一体なわけであって、そういう国のイメージが良くなる事、国の経済にとってプラスになることはやりたいんだけど、それに伴って出てくるある種のネガティヴファクターというのは、これはあらかじめ抑えておきたいというわけです。まぁすごくトリッキーだなとは思う。メディア芸術祭やワンダーサイトなんかをやってる一方で青少年健全育成条例なんかがあるわけですから、本当に理解しているのかと思われても仕方がない。

ーまた産業的な不安もありますよね。今、仰られたようにクールジャパンとオタクジャパンの表裏一体性を理解せずに、いわゆるオタク文化の無害化を進めていった場合に、パワーダウンは避けられない気がするんです。

佐々木 そうだと思う。ポテンシャルは絶対に落ちちゃうんだよね。西洋人の目っていうのはノーマルかアブノーマルかっていう非常にリジットな二項対立で物事を見ていて、「ロリコンなの? そうじゃないの?」みたいなことになりがちなんだけど、村上隆の作品なんかを典型的に、日本の表現というのはもっとアモルフなものであって、ある表現ひとつ取ったときにも、それが一方では無垢で純粋なものにも見えれば、もう一方では変態的でエロいものにも見えるみたいなことがままある。コンテクストとか、見る人によって見え方が全然変わっちゃって、ともすれば180度近く変わってしまうというのが日本の表現の持ち味で、しかも面白いところなんですよ。だけど、そこにはセクシュアルな表現にしてもある種のノーマルでないものが入ってきてしまう。そこを削ぎ落してしまうと、日本人が生み出しうる想像力のあり方自体がどうしても一緒にパワーダウンしていくということになりかねないと思うんです。

―非常によく分かります。ところで、佐々木さんはこの問題に関する言論状況についてはどういう印象をお持ちですか?

佐々木 この問題については藤本由香里さんをはじめ色々な人達が運動を起こしてますが、なんか一度この話題がガッと盛り上がった時に、やはり東浩紀さんの存在っていうのが非常に興味深いなと思ったんですよ。彼はオタクなんで基本的には表現の自由を認めるっていう方向がスジだと思うんですが、一方で彼にはお嬢さんがいるわけで、ある種のダブルバインドを本人がどう受け止めているのかっていうのが興味深い。

ーこの局面というのは、それこそ東さんが2001年くらいから言っていたようなことが現実化してきているっていう話ですもんね。ただ当時はこういった過剰なゾーニング意識が蔓延すると、誤配がなくなってしまうという話でしたよね?

佐々木 そうですね。ただ今は、これ単純に子供が産まれたということも大きいと思うんだけど、ゆるいパターナリズムはありにせざるをえないよねっていう方向になってきてると思うんだよね。以前、彼のツイッターかなにかを見たら、「モンスターペアレンツはけしからん」みたいなことを言ってる人に対して「モンスターペアレンツには色々問題はあるかもしれないけど、そういう人達がいるということが事実である以上はそこから考えざるを得ない」というようなことを言っていて、これはまさにその通りなんですよね。そこで考えると、彼はある種のダブルバインドの中で、現実にはゾーニングはありという結論になってくるのかなって思う。

ー表現自体が無くなってしまうのが最も避けるべきところですもんね。

佐々木 ただ、さっき小さい子供がいる人が特にネガティヴに反応するって言いましたけど 本当は娘がいようが息子がいようが、それは関係ないっていう風に言うべきなんだと思うけどね。まぁ俺は子供がいないから言えるのかもしれないけど(笑)。本当はそういうことじゃなく、あくまでも表現の自由を主張して、確率論的に生じる自由ゆえの歪みみたいなものが、自分の子どもになんらかの危害を加えそうなのであれば、それは「俺が守る」と言うべきなんですよ。でもまぁそれが難しいのが現実の親なのかな。

ーどうなんでしょう(笑)。佐々木さんはゾーニングには肯定的ですか?

佐々木 難しいところではあるんですよね。やっぱ自主規制っていうことも今後は生じてきちゃうわけじゃないですか…。話を変えれば、この前の地震の影響で、映画が結構公開中止になってしまっていて、クリント・イーストウッドの『ヒア アフター』という映画もそうなんですけど、あれには津波のシーンがあるんですよ。そのシーンの映像が、今回の震災のニュースで流れていた津波の映像と酷似しているんです。で、公開が止まってしまった。どこの機関がどういう判断基準で行ったのか僕は分からないけれども…、でも僕はやめるのはよくないと思うんですね。というのは、テレビを付けているとそれがずっと流れているというような話の場合、PTSD的なものに触れちゃったりとか、暗い気持ちになったりする人もいるかもしれないけど、映画館っていうのは観たい人がお金を払って観にいくものなわけだから、ある程度最初から分かってるわけですよ。「お金払って見に行ったらトラウマ抱えさせられちゃったよ」なんて意見があるのだとしても、それは自己責任だと思う。

そういうのに先回りして上映を止めてしまうというのは、日本の映画会社、まぁ日本の会社の意思かどうかは分かりませんが、本当に駄目だなと思う。で、それを条例の話に結びつけると、僕はそういうものを見たいっていう欲望が頭ごなしに否定されるべきだなんて一切思わないわけですよ。お金を払って買うっていうことであれば、ぶっちゃけ自己責任であって、あるいはそういうものを消費している人の中から性犯罪者が出てくることとかもあるのかもしれないけど、それははっきり言って確率論の話ですから。だからそれを規制するのは良くないんだけど、ただそれを見たくない人も見てしまう空間に置くのか、あるいは映画館のように、お金を払って劇場に入った人のみが見れるようにするのか。どうしても書物や雑誌というのは映画と違ってそんなに簡単には分けられない。だからゾーニングの話になるんですよね。

―他に落しどころがないってことですよね。

佐々木 ただ単純にゾーニングとか年齢制限だけの問題で考えれば、タバコも同じ道を先に辿ってて、タスポなどが導入されてどんどん厳しくなっているわけじゃないですか。コンビニでお酒とか煙草を買うと「年齢確認が必要です」とか機械にアナウンスされる。でも、実際は結構ばんばん売ってたりするんですよね。確認されてるのあまり見ないじゃないですか。実際はそういうもんであって、たとえある種の事務的なレベルでテクニカルな規制が導入されたとしても、売る側が売る気になれば売れちゃうっていうこともあるわけだから。つまりこれはイタチごっこですから、あまり厳密に考えても意味がないという風にも思うんですよね。厳しくなったとしても、裏道が出てくるという状況がぐるぐる回っていく。実際にはそうなっていくのかなぁという気がしますね。

―となると、突き詰めて議論していくよりは、お茶を濁す方向にもっていった方がある意味では得策なんでしょうか?

佐々木 そうそう。結局あまり固く考えると、もっともまずいことになるか、完全廃案で勝利を得るかっていう二項対立の話になっちゃう。でもそれっておそらくありえないわけで。だからふぁ~~んとね、しばらくして「そういえば、あの条例どうなったんだっけ?」みたいな話にもっていくというか。ストレートに反対するだけでは、あまり意味がない。むしろ問題にし過ぎることで、向こうを刺激してしまう可能性だってある。

計画停電とかと一緒ですよ。予測不能の大規模停電が起きるかもしれない、なんてことが地震後に言われて東京がえらいことになったじゃないですか。あの時、僕新宿にいて全然そのニュース知らなかったんですよ。そしたら駅の方に人が凄い勢いでバーッと歩いてきて。まぁ調べたら「予測不能な大規模停電が起こるかも」と海江田が言ったという話で。最初はなんてバカな言い方をするんだろう、そりゃあパニックになるだろうと思ったんですけど、まぁでも確かに、ああいう言い方をしたことで逆に絶対に停電にならないと思ったんですよね。それと同じで「ほら、表現の自由が脅かされてるよ」って細かい所で騒いでいくというのは、そのままそれが条例に対するアンチになるとは限らないってことです。だからなんかふぁ~~んってしてた方がいいのかなってね。

ー日本人らしい解決策ですね。ふわぁ~~んと、それこそアモルフな感じで(笑)。

佐々木 そう。理屈じゃない世界に持っていくっていうかさ。

―結論を出さないというのがあるいは最も妥当な結論なのかもしれないですね。本日はありがとうございました。


佐々木敦(ささきあつし)
批評家。HEADZ主宰。雑誌「エクス・ポ」「ヒアホン」編集人。著書に『ニッポンの思想』、『文学拡張マニュアル ゼロ年代をこえるためのブックガイド』など。最新刊は『即興の解体/懐胎ーー演奏と演劇のアポリア』
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