ヒロイン手帖 × 鏡裕之

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ヒロイン手帖 その16

鏡裕之

過剰な規制の先にあるものは悲しき荒野しかない

文/荒玉みちお 構成/うぶモード特ロリ班


鏡氏は巨乳フェチゲーム、巨乳フェチ小説の第一人者である。
ロリコン界とは少し離れたところにいる。けれども漫画やゲームも絡めて法律がエロに対して規制を強化している現状に憂慮している立場は一緒だ。巨乳フェチ界きっての理論派が吠える!!



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非実在青少年論―オタクと資本主義



—規制法案反対論者の第一人者が語る
二次元の少女趣味すら受け入れられない窮屈な社会になった理由



鏡氏の論理は明快だ。


「ポルノは、資本主義と近代国家の誕生とともに生まれている。近代国家の維持には必要なものです。それを、ポルノの論理、すなわちエロティシズムを知らずに規制しようとするのは、わざわざ国家を不安定に陥れる自殺行為です。まともな為政者のすることではない。国家を預かる者が国家をぶっ壊しにかかっている。資本主義は、他人が持っているものが欲しいという欲望を量産して、大衆に消費させている。当然、欲望を充足できない人たちも生まれる。結果、不満が生じる。不満を持つ人間が増大すれば争乱が発生する。その争乱を、オナニー→射精という回路によって消散させているんです。だから、規制はいかにエロティシズムを機能させるかという視点で行うべきであって、けしからんから取り締まるというのは国家運営的に一番愚行です」


淡々と語っていく。


「近代国家というのは初めて人口管理、すなわち性の管理を行おうとした国家システムです。近代国家にとっても資本主義にとっても、人口=労働力の増加というのは重要でした。そこで、人口増加につながらない性的行為や性的嗜好は、変態として排除されてきたのです。オナニーは害悪、アナルセックスもダメ。ゲイもダメとかね。ロリータというのはいろいろ意味が変遷していますが、今の日本では、初潮を迎えてから高校を卒業するまでの生徒のことだと考えています。ロリータの誕生には、近代国家と近代的な学校教育の誕生とが関係しています。近代国家の建設には、学校教育の整備が不可欠です。近代的な学校というのは、未来の労働者を整備する場所です。その未来の労働者(就学児童)にお手つきをして、学校教育からコースアウトさせてしまう——そう危惧されたので、生徒(ロリータ)に対する性的禁止が生まれてしまったのでしょう」


確かに、近代以前には就学児童は存在せず、ロリータの問題もなかった印象がある。だが、それにしてもなぜ日本では、ロリータ文化が発達しているのだろうか?


「一番大きいのは、そもそもこの国は母性性が強くて、男性性のレベルが欧米に比べて格段に低いということです」


男性性とは、いわゆる男らしさのことだ。男が男らしいこととして求められることである。その感覚は、欧米とは微妙に違うようだが。


「日本だと、たとえば不祥事を起こした会社の社長が頭を下げ、涙を流せば受け入れられてしまうところがある。でも、アメリカの大統領選挙でお涙頂戴作戦なんかやったらアウトです。“公衆の面前で泣くとはなんだ。それでも一人前の男か!”ってことになっちゃう。基本的に欧米の男性は英雄神話の中で生きているんです。成熟した男性すなわち英雄は、成熟した女を求める。だから、ロリータ嗜好は、未成熟さを象徴するものとしてマイナスの意味づけをされてしまう。欧米では、男性性が非常に高いレベルに設定されているんです。でも、日本では非常に低いレベルが設定されている。基本的に男性は、自分の男性性と同等か低い女性性の女性をイメージ的に求めるので、日本では欧米に比べるとロリータが嗜好されるし、みんな男性性が低いから、欧米ほどロリータを強く排斥しないということなのだと思います」


そしてもうひとつのポイントは、1985年に施行された男女雇用機会均等法だという。


「仕事をすると、男性性を酷使します。すり減った男性性を回復しないと男性的自信を喪失してよろしくない状態になります。それを、かつては家父長制が守ってくれていた。家父長制とは、妻や子供が父の男性性を回復させる装置です。でも、家父長制が衰退した結果、男性性を回復する機能が社会全体で低下していく。そこへ、85年の男女雇用機会均等法が来たんです。あれによって、恋愛市場が自由化してしまった。近代国家というのは、2つのものを求めます。1つは国家に経済的に寄与すること、つまり納税。もう1つは人口増加に寄与すること、つまり結婚です。昔は結婚は職場が斡旋してくれました。上司に勧められて見合いをしてそのまま結婚とか。だから、負担は納税だけで済んだ。ところが、だんだん恋愛結婚が流行ってきて、85年の自由化で恋愛市場が自由化してしまった。上司に頼らず、自分で恋愛して、自分で結婚相手を見つけなきゃいけなくなったんです。おまけにセックスの負担までついてきた。昔は、セックスは結婚とワンセットになってたんです。だから、“やらせろよ“と言ったら“じゃあ、結婚してくれる?“って答えが返ってきたりした。セックスの負担は今ほどなかったんです。でも、恋愛市場の自由化とともにセックスは結婚を離れて、恋愛とくっついてしまった。ただ恋愛するんじゃなくて、セックスもして、その上で結婚までこぎ着けるってことになってしまった。納税だけじゃなく、恋愛、セックス、結婚ってふうに負担が3つも増えてしまったんです。おまけに恋愛市場の自由化によって、より高いレベルの男性性が求められるようになった。でも、日本には高い男性性をつくるためのシステムがない。欧米にはエスコート文化なんかがあるけど、日本にはない。ないから男性性は発達しない。しないから、低い女性性をイメージ的に求める流れが発生する。それがロリータ的嗜好なんです。そして、それを“おれは男性性が高いから女をゲットできたぜ“と勘違いした連中が叩いた。それがオタク問題です。オタクは恋愛能力がない、ファッションセンスがないって理由で叩かれたんです。恋愛能力がないというのは、恋愛→セックス→結婚をして人口増加で国家に寄与しないってこと。ファッションセンスがないっていうのは、国家が求める上昇志向に沿った消費をしないってこと。基本的に上昇志向を使って近代国家は消費をさせますから。おまけにオタクは未来の労働力に対して妄想をしている。まことにけしからんってわけです。これ、基本的にオナニーやゲイを叩くときの理屈と同じなんです。オナニーもゲイも、人口増加に寄与しませんから」


そういう流れでみると、ポルノもわかりやすいという。


「ポルノは、必要があって続いているのです。その必要とは、男性性を回復させるということです。男性性の回復は、仕事では必須条件です。男性性がすり減り低下した状態では、いい労働はできない。それは国家にとっても大問題です。だから、男性性の回復装置という観点を外してポルノ規制を考えてはいけないのです」



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たとえば凌辱系に例をとる。


「90年代、凌辱系官能小説は1冊100万部売れるほど大ヒットしました。規制を考える人は、人間は模倣する動物だからフィクション(ポルノ)も安易に模倣すると考えて規制を叫びます。いいとこの大学を出た人がね。馬鹿な話です。今推理小説がものすごい流行っているけど、まねして犯罪をする人が何人いますか? 『ONE PIECE』は1巻出せば五百万部売れるけど、誰が海賊になってますか? 模倣するのは幼児や小学生ぐらいで、それ以降の年齢の人は安易に模倣はしないのです。模倣の理屈で読み解く限り、あらゆる性的嗜好もポルノもわからない。

凌辱系がなぜ流行したのか。あれは男女雇用機会均等法で社会に女性が急激に進出してきたことで、若い女性に対してストレスを感じる男性が非常に多く生まれたってことなんです。男性性も傷ついたんでしょう。あの頃、女性がオヤジをからかう漫画も出てましたからね。ただ、今ほどまで男性性の損傷はひどくなかった。「この野郎」と思えるほど元気だった。それで、欲望ギラギラのオッサンが非常に女性性の高い若い女性を肉欲の奴隷に堕とすという話を読んですっきりしてたんです。でも、バブル崩壊やら格差社会の到来やらで、すっかり男性は元気がなくなってしまった。女性に「この野郎」って思えるほどの元気もなくなっちゃって、昔みたいな欲望ギラギラの主人公に感情移入できなくなっちゃった。高い男性性の象徴である千人斬りも、理想として持てなくなっちゃった。ポルノの世界では、凌辱型のビジネスモデルはとっくの昔に崩壊してるんです。今は、優しく女の子がリードして癒やしてくれるビジネスモデルです。2009年に凌辱系ゲームがバッシングされたけど、あれほど無意味でばかげたものはない。エロゲー市場でも凌辱系は1割ほどしか占めてなかったし、時代は凌辱型から癒やしリード型に切り替わってたんだから。人にいないところに機銃掃射していい気になっているようなものです」


男性性の損傷具合は、オジサン向けハードポルノでも、若者向けの美少女ゲームでも本質的には変わらないという。


「美少女ゲームとフランス書院の官能小説の主人公は、男性性のレベルにおいて共通性があるんです。美少女ゲームの場合、萌えと言われるヒロインの精神年齢は、小学生レベルです。したがって主人公にも小学生的な要素が大きく入り込んでいる。そしてフランス書院の場合、主人公は中学三年生という設定になってたりするんですが、義母に対してママ〜ママ〜って甘えるんですね。正直、小学生レベルです。なぜ小学生レベルなのかというのには、男性性の問題が絡んでいます。思春期というのは、男性性の問題が始まるわけです。つまり男として男らしく振る舞わなければいけなくなる年代です。ところが、オタクの子のように男性性の発育が非常に低いレベルだったり、あるいはオジサンのように仕事で男性性が相当損傷を受けてしまった場合、高い男性性の主人公やある程度の男性性の主人公を通して物語を鑑賞するのがつらくなるんですね。ちょうど凄い貧乏をしちゃうと、貧乏な主人公の暗い話がつらくて見られなくなってしまうのと同じです。それで男性性を背負わなくて良かった時代、小学生まで戻るんです。それだけ男性性の維持や男性性の成長が難しくなっているということなんです」


そしてそれは、ロリータやツルペタとつながっているという。


「男性性が極度に低くなった場合、女性が女性的な肉体を持っているだけでも自分の男性性が圧倒されてしまう。その場合、ツルペタ、すなわち肉体的な女性性がないヒロインが、年齢を問わず求められることになります。そういう背景を理解せずに規制さえすれば無問題と考えている人が、一番問題児です。ポルノは、模倣ではないんです。基本的に男性性の回復装置なんです。女の子を調教したいけどできないからポルノを鑑賞するっていうんだったら、90年代に日本中で監禁事件が起きてます。でも、そうはなっていない。ポルノと実際の性犯罪とは、求めているものが違うんです。例えば、実際の強姦は、性的な欲求で行っているわけじゃないんです。自分は強いんだ、自分の方が凄いんだって誇示するためにやっている。だから、わざわざ弱そうな女性を選んでやるんです。つまり女性性の高い人を外している。でも、ポルノの場合は、凌辱されるのは、女性性の高いヒロインです。女性性の高いヒロインを凌辱した方が、読む方はすっきりしますから。そういうことを理解せずにポルノを規制しようという人を見ると、政権側にいるくせにわざわざ男性性の回復装置を奪っておまけに社会争乱が起きやすい状態にして、何を考えてんだって叱責したくなります。それが国家を預かる者のすることか!って」


その時代の社会システムが作り出す男性性の回復装置の要、つまりヒロインはめまぐるしく変わる。


「一昔前は“攻撃しない女”の象徴はメガネだった。でも今はシスターがいいと言う。昔ほど女性が男性を立てなくなって、女性が怖い存在になってきているからでしょうね。ダンスをやっているような今の高校生でも、“女子は怖い”って言いますからね。言い方が凄いきつくて怖いそうです。だから現実社会の女子はイヤだと」


巨乳フェチの巨匠に聞く。巨乳ロリキャラとは、いったい誰が求めるのか?


「巨乳好きも一枚岩ではないし、一筋縄ではいかない。母性的な部分をもの凄い強く求めると肉体全体の豊満さに向かったり、垂れ乳に向かったりします。DNA的な欲求、妊娠能力の高い健康的な女に孕ませたいという欲求が強い人だと、プレイメイトみたいなボンキュッボンにいく。では自分の男性性が非常に低い段階で、なおかつその人が母性的なものを求めている、自分が優しいがゆえに母性による癒やしを強く求めている人だと、ロリ巨乳にいくと思います」


細かな嗜好はいろいろあれど、ロリキャラという分野を世間は過剰に嫌う。なぜ?


「ロリコン思想が、近代国家=資本主義にケンカを売っているように見えるからでしょう。学校は未来の労働力を整備するシステムだけど、そこにお手つきをして学校教育を壊すように見えるんでしょうね。あと、“男は英雄であれ! ”“英雄は成熟した女性を求める者であれ! ”という欧米的価値観をすり込まれた人には、ロリコンは、英雄になれない敗北者のいびつな姿に思えるのでしょう。そういう考えにとらわれるほうがいびつですが。とかく性的嗜好の世界はおぞましいという感想を持ちやすい。食の世界ではおぞましいという感覚は、あまりない。ただ最近は、他国の食文化にケチをつける馬鹿が問題を起こして英雄気取りになってますが」


規制の強化と表現の自由というせめぎ合いは、いつの時代もある。『非実在青少年』というトンチンカンな言葉こそ削除されたが、表現の闘いはまだ続く。出版界はどう攻めればいいのだろうか。


「まず、びびらないこと。びびっちゃだめです。過剰な自粛こそ自粛すべき。一般の人には“未来の子供にとって余計に危ない世界になるよ”って言っちゃえばいいと思う。規制は一時の不安を消すかもしれないけど、長い目で見ると、社会はボロボロになるよって。ガチガチの社会にバラ色の未来なんかありません。アメリカの性犯罪者のプロファイルを見るとよくわかります。性犯罪者は子供のときに親から性的にガチガチにしめつけられていたというケースがとても多いんです。自分の子供を性犯罪者にしたければどうぞガチガチにしなさいって、言えばいいんです」


理論武装はエロ表現にも必要なことだ。鏡氏の言葉に頷きながらそう思ったのだった。



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鏡裕之(かがみひろゆき)

1969年生まれ。多数のアダルトゲームの製作に携わった後、ゲームのノベライズ作品で小説家デビュー。近年は『非実在青少年論~オタクと資本主義~』といった本も出版し、性の規制に反対する運動にも取り組んでいる。

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