巖谷國士 —コイトゥス再考— 血と薔薇の時代

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コイトゥス再考 #18

巖谷國士  Kunio Iwaya

血と薔薇の時代

文/辻陽介 写真/藤森洋介


川端康成がノーベル文学賞を受賞し、多くの大学や路上で学生たちの騒擾がくりひろげられていた1968年、『血と薔薇』という一冊の雑誌が創刊された。

責任編集はかの仏文学者・澁澤龍彥。「エロティシズムと残酷の総合研究誌」と銘打たれ、堀内誠一による禍々しい装丁デザインに飾られて世に放たれたその異貌の雑誌には、澁澤龍彥当人をはじめ、三島由紀夫、稲垣足穂、埴谷雄高、吉行淳之介、野坂昭如、種村季広、松山俊太郎、加藤郁乎、巖谷國士など、いま考えれば奇跡にも等しい顔ぶれが一堂に会し、一冊千円という当時としては破格の高級誌でありながら、発売日には書店に行列ができるなど、この手の雑誌としては例外的な売上げを誇った。

『血と薔薇』がいかなる雑誌であったか、全三号すべてに掲載された『血と薔薇』の顔とも言うべき「血と薔薇宣言」には、こう書かれている。

「本誌『血と薔薇』は、文学にまれ美術にまれ科学にまれ、人間活動としてのエロティシズムの領域に関する一切の事象を偏見なしに正面から取り上げることを目的とした雑誌である」

また、こうも書かれている。

「およそエロティシズムを抜きにした文化は、蒼ざめた貧血症の似而非文化でしかないことを痛感している私たちは、今日、わが国の文化界一般をおおっている衛生無害な教養主義や、思想的事大主義や、さてはテクノロジーに全面降伏した単純な楽天的未来信仰に対して、この雑誌をば、ささやかな批判の具たらしめんとするものである」

エロティシズムを刀とした、進歩主義への鮮烈なカウンター。

しかし、『血と薔薇』の試みは長くは続かなかった。創刊の翌年である69年、『血と薔薇』はたった三号を刊行しただけでその幕を閉じてしまう。実際的には原稿料の未払い等の経済的な事情があったともいわれるが、時代の風ということも大いにあったのだろう。

学生運動が過激化・先鋭化をたどる一方で、市井にはシラケのムードが蔓延しはじめていた。そして未曾有の経済成長。世相は血と薔薇の精神にではなく、「テクノロジーに全面降伏した単純な楽天的未来信仰」のほうに味方したように見える。

たしかに『血と薔薇』は、期間にしては半年あまり、刊行数にいたってはたった三号だけの雑誌であった…のだが、それにしてもその三号はいまなお憧憬され、読み継がれている。

2003年には別の出版社から『血と薔薇』復原版が出版され、またその後、『血と薔薇』文庫版までも出ているのだ。こんな雑誌が他にあろうか。

いや、逆に考えれば、『血と薔薇』にかわる雑誌がこの四十年あまりの間で作られていない、とも言える。ではなぜ、作れなかったのか。あるいは、なぜあの時代にそれが作れたのか。

シュルレアリスムの大家として知られ、また当時、25歳という若さで『血と薔薇』の錚々たる執筆陣に名を連ねていた仏文学者・美術批評家の巖谷國士氏は、当時を「遊び」の時代と振り返る。また「アナロジー」の時代とも…。

あの頃、なぜ『血と薔薇』が可能だったのか。

また、『血と薔薇』以降、我々は何を得て、何を失ったのか。

たった三号で終ってしまった雑誌『血と薔薇』と、その時代をめぐって―



★このインタビューには巖谷國士自身のエロス論、オブジェ論、フーリエ論、そして日本のコンピューター化された社会と、大震災・原発についての新たな発言がふくまれている。




(2011年8月/信州の巖谷國士氏の別荘にて収録)



―本日はよろしくお願いいたします。それにしてもこちらはすばらしい環境ですね。

巖谷 そうですか。でも別荘ではないですよ。仕事場として、僕も気にいっています。

―森の中の仕事場なのですね。そこでまず、あらためて本日の取材内容をご説明させていただきたいのですが、この媒体はVOBOというネットマガジンです。

巖谷 いちど拝見しました。あまりインターネット的ではありませんね。好感をもてるところもありました。こちらの発言をネット用語に翻訳されてしまうのでは困りますが、そういうことはなさそうだし。単にいわゆるニーズのある情報を流すだけなら、僕の出る幕ではありませんから。

―あまり情報的にならないようにというのは、我々も意識しております。インターネット媒体の多くがあまりにも情報的なきらいがありますので。

巖谷 よくは知らないのですが、そうかもしれませんね。それも過去の情報データです。先を見る、想像力をめぐらすということではなくて、なにかにつけ既存の数値に還元されてしまう傾向がある。言葉づかいにしても、いわゆるネットふうにパターン化されて、本来の意味からずれていたり、ニュアンスが消されていたりするケースも多いようです。
つまり字義どおりにディジタル、計数型・数量化の思考になりがちだということでしょうか。

ーはい、そのとおりです。数値によるランキングみたいなものもネットの特徴ですね。

巖谷 ディジタルのディというのは、二分、二元化という意味への連想を誘います。1+1が2にしかならない世界みたいで、連想や類推が働かない。なかなか横とつながらない、というか、他との思いがけない出会い、偶然が生まれにくいようですね。
一方、アナログという言葉が反対語ですが、ご存じのように、この言葉はアナロジー、類推から来ていますから、情報を数値化・符号化しないで連続してとらえる。情報も類推で横にひろがってゆくもので、1+1が2ではなく、3にも10にもなるし、0にもなりえます。世界がひろがりもするし消えもする。過去の数値的データではない未知にもつながります。
ところで人間の思考というのは、もともとアナロジーにもとづいているもので、つまりアナログなわけですね。僕の訳した『類推の山』(ルネ・ドーマル著、河出文庫)という戦前の小説は原題がモン・アナログですから、『アナログ山』と訳してもよかったわけで、アナログ思考から導きだされた未知の山、未知の大陸にそびえる地上の最高峰なるものが実在してしまうという話ですが、すでに何かを予言していたともいえそうです。

―ネットにはリンクという機能がありますが、それはどちらかといえば「1から1への移動」であって、たしかにアナロジカルではありません。

巖谷 たとえば僕はいろんなことに興味があって、今年も展覧会の監修をして『森と芸術』(平凡社)という図録を兼ねた著書を出したり、シュヴァンクマイエル展や谷川晃一展や瀧口修造とマルセル・デュシャン展の序文を書いたり、かと思うと港区の歴史について講演したり、あるいは植物や漫画や旅やヴンダーカマー(驚異の部屋)について書いたりしていますが、インターネット情報だと、それがみんなつながっているということもわからない感じがします。案外、肩書きとか、旧態依然たる専門分野みたいなものがまかりとおっている。
事実、僕も「シュルレアリスムの専門家」と決められてしまうと、それ以外は「専門外」となり、趣味や余技とみなされたります。ところがシュルレアリスムというのは、そんな肩書きや専門という枠を壊す思考のありかたなんで、アナロジーが基本です。
そこから見ると、インターネットでは意外にも、官僚的な縦割りの傾向があるみたいですね。何かを説明するときに、既知のデータで割り切って枠どりしてしまうと、横のひろがりがなくなりますから。ニュアンスも消えてしまう。
もちろんインターネットの使い方によりますが、一言で片づけてしまう傾向はあるでしょう。一例は「いいね!」ボタンかな。場合にもよりますが、ある種のトリックがあって、「いいね!」を押されないものは無意識にも二分法で「よくない」ほうに分類され、中間にあるはずの無数のニュアンスが消されてしまう感じがする。極端にいうと、そこに一種のファシズムが内包されているかもしれません。

ー僕たちもツイッターなどを利用していますが、コストなしで記事の宣伝ができるなど便利な側面も感じつつ、これは非常に厄介な装置だなと感じることもしばしばです。

巖谷 いや、そんなに気にしないでください(笑)。あくまでも使い方の問題ですから。
そういえば、いま笑いが出ましたが、ネット的な文体にも、「(笑)」というのがありますね。もともと聴き手のいる対談とか講演とかで笑いが出たときに、(笑)として記録するというのは古くからあった方法ですが、インターネットの「(笑)」は自分で勝手に笑う、というか、相手の行為を先どりしてしまうというか、読んでいておかしくない箇所に「(笑)」と入っていたりすると、なんだか自己正当化をはかっているみたいで、むしろ内向きの哀しいナルシシズムが伝わってくることもあるでしょう。
自分の言葉を自分で回収してしまうというのでは、あんまりコミュニケーションが成り立たないですね。そういうところもおもしろいな、とも思います。

―耳が痛いです。意識はしていませんでしたが、気っかぬうちに馴致されてしまっている部分は少なからずあると思います。

巖谷 気にしないでください(笑)。そもそも言語というのはアナログにできているということだけを言っているので、他意はありません。過去の数値化されたデータだとか、二分法や縦割り思考に馴らされると、どうしたって画一化を免れないから、「マガジン」や出版の世界も困っていることはたしかでしょうけれども。
ところで、本題は何でしたっけ?

―用意した本題は、インターネットなどなかった時代のことです。本欄はエロスの再考ということをテーマとしているのですが、今回はとくに「血と薔薇の時代」をクローズアップしたいのです。

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