北原みのり ?コイトゥス再考? 煙るこの国のフェミニズム 3

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?煙る日本のフェミニズム


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―そういえば事前のお話では最近はフリーセックスに興味があるということでしたが?

北原 そうだった、ジェンダーよりフリーセックスの話がいいんじゃないかってメールで送ってたんだ(笑)

―是非、聞きたいです(笑)

北原 ずっとフリーセックスっていうものがなんだかよく分からなかったんです。70年代、性の解放の流れの中でフリーセックスが凄い宣伝されていて、私は「じゃあ乱交とフリーセックスはどう違うんだ」とか、「ハプニングバーはフリーセックスなのか」とか、まぁ色々思うところはあったんですが、興味を余り持てず漠然と「気持ち悪い」とか思ってたんですね。それがこの前、ドイツのベルリンで、初めてフリーセックスのパーティーというものに行ってみて、実際にフリーセックスを目の前で見た時に、「あ、これは絶対にレイプのない世界だな」って感じたんです。

―レイプのない世界とは?

北原 説明するのが難しい(笑)。全てのセックスが合意のもとに行われている、とかそういう話ではないんです…、なんていうか、ドイツでは個人というものがきちんと尊重されていて、NOはNOだってことがはっきりと言える空気がある。そういうものを前提としている社会においてフリーセックスを行うというのは、女にとってとても安全なことなんだなってことを感じたんです。もしあれと同じことを日本でやったら、その場に来ているだけで例えレイプされていても当たり前って事になると思う。「やだ」と思ってても「まぁ、ここに来てるんだからさ」とか言われて、なし崩し的にされちゃうだろうから。ヨーロッパの文化だとそうはならないんだよな。例え自分からそこに来てても「嫌なものは嫌だ」って言える。日本では「性」絡みのこととなると、なんでもごちゃまぜにされちゃって「まぁまぁまぁまぁ」の一言で済まそうとするでしょ? 突然「まぁまぁ」が始まる瞬間がある。

―確かに日本には「まぁまぁ文化」がありますね、よくもあしくも。

北原 そう、だから日本においてはフリーセックスはありえない。フリーセックスっていうのは、「自分の身体は自分の身体である」という意識をみんながはっきりと持ってないと成立しないんです。ドイツで見たフリーセックスは全然エロくなかったんだよ。だけど、楽しそうだった。

―なるほど…。

北原 セックスに対して罪悪感や薄暗いイメージとか、そういうものがあるから興奮できるんだみたいな、そういう昭和的な価値観みたいなのを一切感じさせないから、それが物凄く見ていて気持ちよくて。昔の昭和的ポルノに頭が汚染されてる人達は、「いやよ、いやよ」みたいな演出がないと燃えないって言うじゃないですか。「エロは隠されてるからいいんだ」とか、「湿っぽいのがエロなんだ」とか。エロの価値観もまた文化的、社会的に形成されているんだっていうことが、海外のエロ文化を色々と眺めていると分かりますよね。

―薄暗さや罪悪感は確かに快楽を生み出すと思いますし、僕個人は割と求めます。ただ、それがセックスの全てでは確かにないです。

北原 まぁ日本の湿度には、そういうエロがあってるのかもしれないですけど。

―多湿な感じですね。

北原 だからフリーセックスは無理なんだなって思う。一万年後でも無理だと思う。日本人は肉体への意識が低いですから。

―それはそうですね。SMにしてもヨーロッパが技術論的であるのに対し、日本は情念的ですから。

北原 そうそう。

―だからフリーセックスよりも貸し出しプレイ、肉感よりも情感。

北原 地図で分けてくれればいいのに。「ここは肉感の地域です」とか。そしたら迷い無くそこへ行ける。

―それこそゾーニングですね。

北原 単純にこの国のエロが私の肌に合わないだけかもしれないですね(笑)

―エロも変化してると思います。凌辱系は最近いまいちうけないですし。逆に今の女性達はどういうエロを求めているのかが気になります。 もっとカジュアルで利己的な、からっとしたエロを求めているんでしょうか?

北原 他のエロを見たこともないし知りもしないという状況だと、何を求めてるのかが分からないんだと思うんですね。私が見る限り、若い子も含めて、まだ混乱しているんだと思う。それは私が経験してきた混乱だから凄いよく分かるの。さっきコミュニケーション力の話をしましたけど、それ以前の問題として、「なんで私は女なんだろう」みたいな問題をいまだ若い女の人たちは考えてる。「ヤリマンってだめなのかな」とか「こんな性欲あっていいのかな」とか「こんなにオナニーしてもいいのかな」とか、いまだにそんなことで悩んでたりするんです。この社会で「女」であるということが、まだまだ特別なことな気がするんですよ。それこそ「AKB48みたいにならなきゃいけないのか」みたいな観念だってあるだろうし、「元気良くいつもニコニコして男の人たちに自信を与えてあげなきゃいけない」とか、さらにはセックスも上手くなきゃいけない、膣トレもしなきゃいけない、みたいなね。それが一体誰の欲望なのかとか考えていくと、すごく面倒くさい。そんなことに頑張っている女の子たちには「もうやめちゃえばいいのに」って思うよ。実際にそれをやめた子達、そういうのをどうでもいいって思えるようになった子達からどんどん自由になってる気はする。

この前、高校生のヤリマンの女の子と少し話す機会があったんだけど、その子は見た目は全然可愛くないの(笑)。でも18歳で彼氏が5人くらいいて、15歳くらいの頃からヤリまくってるって言うのね。その子のお母さんが私の友達なんだけど、「あんたみたいなブス、今の彼氏逃がしたらもう男できないよ」みたいなことをその子に言ったらしいの。そしたら、「今はブスでも平気だよ」って言われたらしいのね(笑)。それ聞いて、すごい面白いなって。昔とは違うんだよ、みたいな。彼女にはそれが見えたんだよね。

―ブス力ですね(笑)

北原 そう、ブス力。自由じゃん。ヤリたいと思えばヤレんだよ、みたいな。ヤリマンだから汚れた女とか、そんなこと思う必要ない、みたいなね。そもそも本当はそんなことを思わなくていいはずなのに、思わせちゃう社会ってのがある。

―そうですね。それに、それは男子にも同じようなところはあります。男の社会には女にがっついていくのが凛々しいみたいな美意識、それこそがカッコいいみたいな価値観がある、あったんです、かな。ただ、本当に女にガツガツしたいのか、と言われると、どうもそうでもない。他にも面白いことはいっぱいある。男が言う「ヤリたい」って言葉の、どこまでがチンポ的で、どこまでが社会的なものなのかは、分からないとこあります。

北原 じゃあ、あなたはずっとこれから一生妻1人でいいやって思ってる?

―それも違う、って言ったら語弊があるんですが(笑)。少なくとも浮気は文化だみたいな、性豪ぶりを誇ることがカッコいいとは余り感じないですね。

北原 どちらかと言えば、妻一人を大切にする人の方がカッコいいって感じ?

―どちらかと言えばそっちですよね。まぁ多少は遊びたいですけど。

北原 それは奥さんも同じ? 奥さんが遊んだとしても平気?

―遊び方にもよりますが、平気ですね。「貸し出しプレイ」として興奮に持ってけるんじゃないですか?

北原 へー(笑)。それ面白い。書いて下さいよ、そのこと。女の人、かなり自由になりますよ。

―一般化できるとは思わないですけど(笑)。逆にインタビューされてる感じになってしまいました。

では最後に。今後、北原さんが訴えていきたいこととはなんでしょう?

北原 私は割と一貫してますよ。今の世の中を見ていてもそうだし、テレビを見ていてもそうだし、例えば原発問題にしてもそうだし、そういう様々なことを見ていった時に感じる違和感というのがあって、それは子供の頃からずっと感じてきたものなんです。「なんで偉い人の中にこんなにも女性が少ないんでしょう」とか、「なんでこんなにも理屈の合わないことが平気で通ってしまうんでしょう」とか、「なんで震災後のこんな状況の中で韓国アイドルのライブには8万人集まって、デモは6万人しか集まらないんでしょう」とか、「なんで私たちはこんなに怒らなくなってるんでしょう」とか、「なんで私たちはこんなに諦めてしまってるんでしょう」とか…、本当に色んな思いがある。もちろん私もその一人で、何かが起こった時に、怒って投石しにいくかと言えばそうはならない。捕まったら嫌だなって思っちゃう。それぐらい骨抜きにされてる自分っていうのも感じてる。

この前、上野千鶴子さんとの対談で「日本のフェミって一体何を変えたのか」って話になったんだけど、こんなに嫌われるだけ嫌われて、男嫌いの偏った女たちとしか思われない状況になっちゃっててさ、少なくとも私はフェミニズムの本を読んで凄い元気づけられたけど、「じゃあ社会全体はフェミニズムで良くなったんですか?」と聞かれたら何が変わったのかよく分からないんよねって話になったの。一方、フランスなんかでは、例えば70年代の性解放運動やウーマンリブが起きた時でも、明確な目標がちゃんとあったわけです。中絶手術の権利獲得であったり、財産権の獲得であったり。その点、日本はすでに中絶も財産権も認められてたから、じゃあ何を目標に戦ったのかって考えてみると、明確な目標のある権利獲得運動ではなかったんですよ。

運動によって権利を獲得してきたっていうような背景が日本のフェミニズムにはないし、また日本の市民運動にもなかなかないんで、なんとなくうすらボンヤリしてる。それに日本では運動なんてしなくても、そこまで不幸を感じずに生きてられる感じもあるし、きりきりさえしていなければ女性差別すら感じなくて生きていけるのかもしれない。やな感じの男もいるし、嫌なこと言う上司もいるけど、片目つぶってさえいれば生きていける、みたいなね。

ただ、もうね、私は片目つぶってるのが嫌なんですよ。だから怒ってる。男の人も不幸なんだったら、もっと声出しなよって思いますけどね。自分が不幸だからって声を出す女を叩くんじゃなくって、自分が損していると思うんであれば、もっと社会に対して怒ってくださいって。今の若い人達にもネットマッチョはいっぱいいるけど、基本的には体制側に立って今を批判する方向なんだよね。「社会の空気を乱すな」とか。でも、あなたは個人なんです。個人なら、個人の意見を言いなよ、と。全体の側に立って皆が喋ったら、片目をつぶりたくない人の声や、大きなものを背負わず、個人として何かを発言しようとしてる人なんていうのは簡単に潰されてしまうだろうと思う。目障りなのかもしれないけど、あなたたちは権力者じゃないんだから冷静になって考えて欲しい。社会に対してちょっとでも嫌だとか言った人間に「出てけ」と言ったりするんじゃなくね。

だから「フェミニズムって何を変えたの?」って聞かれた時に、明確に社会の何を変えたとかは言えないけど、嫌だって思うようなことは嫌だって思っていいんだよってことを、少なくとも私に、教えてくれたんだとは言える。だから男も逆に利用してください、と思うんです。

―北原さんにとってフェミニズムとは社会との関わり方でもあるんですね。

北原 そう、怒ること。これは自分の感覚と合わないなってことを声に出していう。日本のフェミは90年代にちょっと盛り上がりを見せたんだけど、2000年代になって9.11が起こって、空気がガラっと変わった気がするんです。石原慎太郎が都知事になって、小泉純一郎が総理になって、あの頃から、私はなんか色んなことが言いにくくなったなって感じがした。私が18歳ぐらいの頃から、もっと色々言っていいんだ、嫌なことは嫌って言おうって空気が高まってきていたのに、2001年あたりを境にそういう発言をする人間に対して凄い口汚く罵る人間が増えてきた。それはネットの浸透ともセットだと思います。

―世界がきな臭く、不安定になればなるほど、他者の排除へと向かっていくというのは歴史の常ですね。自分の感覚に合わないことを声に出すことと、感覚に合わない人間を排除しようとすることとは全く違います。

北原 ただ私も3.11の後はセックス産業なんてもう終りだと思った。注文ももちろん止まったし、東京にいることも安全かどうか分からないような状態だったから、スタッフもみんな帰してしばらく休みにしてたんです。その時、私は「セックスなんてやってる場合じゃないだろ」って思っちゃったんだよね。女の人の欲望なんて言ったって、オナニーだって平和な時じゃないとできないし、それにこっちも気持ち良く提案できないから。でも、その後、社会がすごい変な空気になってきて、「牛乳を4本買うな」とか、「東京から逃げるな」とか、すごく抑圧的な言葉が飛び交い始めた。それがとても怖いなって思ったの。だから、やっぱりエロとかポルノとか、それがどんなに下世話なものであっても、欲望をちゃんと言う、嫌なことは嫌だって言う、自由に振る舞うっていうのは、たとえこんな局面でも大事だなって思うようになった。きちんと仕事しようと思えたんです。

―そうですね。うちも震災の週でさえ更新はしてました。迷いもありましたけど。

北原 ただ、なんだかうまぁく飼い馴らされてる感じはあるよね。警察は怖いし、いきなりやってきて営業停止になったりしたら嫌だから。本当は「店の中にペニスの形をした商品を並べちゃいけないならその理由を言ってみろよ」ぐらいのことは言いたいとこだけど、実際は「はい、分かりましたぁ」とか言ってるから(笑)。おかしなことはまだまだいっぱいあるけど、そこで戦うよりも日々きちんと仕事してった方がいいのかなっていう自分もいるんです。


北原みのり

1970年生まれ。女性向けアダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」代表。著書に『はちみつバイブレーション』(河出書房新社)、『フェミの嫌われ方』(新水社)、『オンナ泣き』(晶文社)、『ブスの開き直り』(新水社)、『アンアンのセックスできれいになれた?』(朝日新聞出版)など。



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