永山薫 ?コイトゥス再考?

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コイトゥス再考 #17

永山薫 

エロ漫画の盛衰史 ?マチズモ崩壊?

文/辻陽介 協力/佐藤広大 写真/小川カントン

―「萌え」の震源地の一つであること

―マチズモとヘテロ・セクシズムの崩壊過程が如実に反映されていること

―考えつく限りのセクシュアリティとエロティシズムが表現されていること

―要はエロ漫画と接したことがない読者が予想している以上に、間口も奥行きもある面白いジャンルだということ

これらはいずれも、永山薫氏の著書『エロマンガ・スタディーズ』のまえがきにある「エロ漫画というジャンルにおいて意外と知られていない事実」からの引用である。

コアマガジンの編集者としてはあるまじきことだが、正直、筆者はこれまでにエロ漫画というものをきちんと読んだことがない。ゆえに、これらの「意外と知られていない事実」が、果たして本当に事実であるのかについて、現時点で自ら検証することはできないが、『エロマンガ・スタディーズ』における永山氏の論考にはそれらが事実たることを信じるに足る充分な説得力があり、また事実であれば、「エロ漫画」は性の再考を掲げる本欄にとっても、迂回すべからざるテーマである。

コイトゥス再考#17、マンガ評論家・永山薫氏をゲストにお迎えした今回は、豊饒かつ濃密なエロ漫画の世界、また、その歴史が照射する日本の性について―



(2011年10月・高田馬場)


?この度、今更ながら永山さんの著書『エロマンガ・スタディーズ』を読ませて頂いたんですが、エロ漫画の世界についてはほぼ全くの門外漢ながら、非常に面白く読めました。まぁコアマガジンにいながらこんなことを言うのもなんですが、エロ漫画というのは本当に奥深い世界だな、とあらためて認識した次第です(笑)

永山 ありがとうございます。

―いや、大変勉強になりました。では早速お話を聞いていきたいのですが…、読者の中にはエロ漫画に全く馴染みがないという人もいらっしゃると思いますので、まず最初に、永山さんの方からエロ漫画というメディアについて、簡単にご説明頂けますか?

永山 そうですね…、まず「エロ漫画とは一体何を指していうのか」っていう疑問があると思うんです。一応、『エロマンガ・スタディーズ』の中では便宜的に成年マークのついたマンガを中心に語っているんですけど、実際は非常に曖昧な領域で、その括り自体に政治的、制度的な要素が含まれているんですね。

―永山さんご自身はどのように定義されているんですか?

永山 かなりざっくりとしたものになってしまいますが、「エロティックな表現を作品の中心としているマンガ」というのが一番無難な説明になると思います。また現状に即して言うのであれば、成年コミックマークが付けられているマンガをエロ漫画と呼ぶのも便宜的にはありかなと思ってます。ただ残念なことに、最近では成年コミックマーク付きのエロ漫画が一般人の目の届かないところにどんどん追いやられてしまっていて、出版社の人のお話なんかを聞いても、売上げの大部分は通販であったり、いわゆるマンガ専門店における売上げが中心となっているらしい。実際、街の本屋さんを覗いてもマーク付きの本はほとんど見られない。配本自体がないんですね。

―新しい読者が生まれづらい状況になってしまっているんですね。

永山 そうです。また市場規模自体が最盛期に比べると非常に小さくなってしまっています。それこそ僕が『漫画ホットミルク』(※)で、エロ漫画の単行本を毎月全部買うって企画をやっていた時代というのは、タイトル数でいうと月に50タイトルくらい出てました。その後、いわゆる有害マンガ騒動があった時に一度ガタっと減ったんです。月に1冊とか2冊しか出ず、しかも内容も全然エロじゃないソフト路線のものばかりという状態。すると当然、ある種の飢餓状態が起こるわけです。そこに成人マークが導入され、それを契機に一挙にエロマンガバブルに突入していった。最盛期にはマーク付きのエロ漫画が月に120タイトル出てましたからね。今はその半分以下ですよね。


※漫画ホットミルク…白夜書房が86年から88年まで出版していたロリコン漫画誌。大塚英志が編集長を務めていた『漫画ブリッコ』の後継誌。


―そうですね。

永山 単行本一冊あたりの部数も、最盛期にはどんな売れそうにない本でも1万部は刷っていたと聞きますが、今は不景気も手伝い、1万部刷れる作家が少ない。逆にコアマガジンさんに聞きたいです。現状はどうなんですか?

―結構、極端になってましているようです。売れる作家さんの作品をみんなが買っているという感じですね。売れる人は5万部、あるいは10万部という方もいらっしゃいますが、売れない方だと6000、7000部スタートで増刷がない、という状況でしょうか。

永山 ですよね。その辺の格差がかなりはっきりしてきている。だから全体で見ると、非常に小さい市場になってきていて、おそらく今後も先細りはしていく。ただ、その一方では拡散現象というものも起きているんです。

―『エロマンガ・スタディーズ』に書かれていた「拡散と浸透」ですね。

永山 そうです。エロ漫画には大きな柱が3本あって、これは「抜き」、「萌え」、そして「物語性」の3本です。これらが拡散を始めた。エロマンガ市場が細るにつれて、あるいは市場が細った原因であるとも言えるんですけど、まず最初に大手出版社が、「萌え」の方に手を出し始めたんです。まぁ角川とか、あっちの方ですよね。なんせ『萌え王』なんて雑誌まであった。

―ありましたね。

永山 つまり「萌え」がそっちの方に流れていってしまったんです。一方で、「物語性」という柱もまた竹書房や秋田書店などから出ているソフトエロ路線に流れてしまった。今あの辺で描いてるエロ漫画家さんの中には、かつて『漫画ホットミルク』で描いていたりした人も多いですから。まぁ、このような流れの中で「物語性」と「萌え」というのがエロ漫画の外に流れ出てしまい、他方、残存しているエロマンガ誌がどんどん過激化していったんですね。

―「抜き」に徹していったということでしょうか?

永山 そういうことです。実際問題として、「抜き」に徹すると売れ筋としては固いというのもある。だから自ずとそっちを追求していく。しかし、そうなってくると、編集者の方にも一種のノルマ的発想が出てくるんです。例えば16ページの作品だとしたら、物語に割いていいのはせいぜい数ページで、あとは全部絡みにしてくださいとかね。すると当然、突っ込んだ物語は描けない。僕から見てもやはり表現の幅は狭くなったと思う。

―なるほど。

永山 ただ、僕の考えに対し「そうじゃない」って言う若い人達もいるんです。現在のエロマンガは、セックスの描写であったり、絡みの描き方といった部分では非常にバラエティが出てきていて、そこで色んな凄いことが起こってるんだってことを言う。厳しい縛りの中でも表現の幅を拡げようとしている。それは否定しません。僕自身、エロマンガ評論家としては現役とは言えなくなってるので無責任なことは言いたくない。ただその広がりが非常に狭い枠内で行われているような気がしちゃうんですね。もちろん、エロマンガ的な表現が、マンガ界全体にフィードバックされていくって道筋は当然今でもあるでしょうけど、ただ同時にエロマンガというものがゲットー化、特殊化の一途を辿っているんじゃないか?

―永山さんが言うところの「エロさえあればなんでもあり」といったアナーキーさ、ある種の自由さというのは、大幅に損なわれてしまったということですね。

永山 「エロさえあれば」じゃなく「エロが絶対」になっていますね。80年代初期のいわゆるロリコン漫画全盛の頃なんて、セックスシーン自体がないものも多かったですから。逆にハードなセックスシーンなんかがあると、読者が怒るというような状況すらあった。

―そんな状況があったんですね。

永山 「~ちゃんにそんなひどいことしないで」とかね。拡散現象が起こる以前の、萌え系の読者や物語系の読者というのは、必ずしもセックスシーンが見たいわけじゃなかったんだろうなと思いますよ。

―当時の編集サイドの方針も今とは大分違うものだったんでしょうか? もちろんエロマンガである以上「抜き」を意識しないってことはなかったにせよ、今程はっきりとしたものではなかったんでしょうか?

永山 例えば『漫画ホットミルク』の前身である『漫画ブリッコ』なんかもそうですね。あれも一応はエロマンガっていう括りで出してはいたんだけど、大塚英志さんがあそこでやろうとしてたことっていうのはニューウェーブの少女マンガなんですよ。それだけを企画としてやろうとしたら難しいけど、エロ漫画ってことにすれば出せる、と。

―建前としてエロマンガという括りを利用していたんですね。

永山 そう。『漫画ブリッコ』に限らずかつてのエロ漫画…、まぁ80年代前半くらいまでのエロ漫画というのは、今で言うエロ漫画ではなかった。どちらかと言えば、発行部数の少ない、マイナー系の出版社が出している漫画雑誌というイメージですね。

―なるほど。ちなみにゼロ年代以降の「拡散と浸透」という現象について、『エロマンガ・スタディーズ』では不景気や表現に対する規制強化を主な要因として挙げられていますが、やはりそれらが決定的要因だったと言えるんでしょうか?

永山 やはり規制というのは大きかったと思いますよ。ただ、「それだけかな?」という疑問もあります。いわゆる政治的、制度的な外圧によってのみこうなったのかと問われると、どうもそうとも思えない。つまり、割と読者がこうなることを選んだ部分もあるんじゃないかな、と思うんです。あるいは「絵に描かれたセックスシーンが好きで好きでたまらん」って人がそもそもそんなに多くないんじゃないかなって気もするんです。

―あぁ、なるほど。

永山 もちろん、それは需要として必ず一定数はいると思うんですけど、実際はその周縁領域の方が大きかったのかな、と。

―つまり、以前は作り手側が割と自由に作っていたエロ漫画の世界が、徐々に読者のマジョリティのニーズに合わせて自らをフィットさせていった結果が現在ということでしょうか?

永山 その結果ですよね。エロマンガ内部で、それまでうまくフィットさせることができなかったのが、いわゆるドエロの部分以外ですから。つまり「萌え」や「物語性」なんです。それを準大手とか大手がやってしまったら数の上でも勝てないし、ギャラの面でも勝てないし、部数の面でも勝てない。アナウンス効果も全然違う。そうなると「抜き」に徹底するしかない。

ただ逆の発想をしてみると、つまりソフトエロもエロ漫画に含めるという立場に立つなら、エロ漫画の世界は広がっているって見方が成立するんですよね。要はハードコアって実はそれほど必要とされていないんです。多くの人間にとってはハードコアがなくても、設定やキャラなどで脳内補完できればいいわけですよ。このように自然な流れの中で市場が変化しているのであれば納得もしやすいものですけど、ただ外圧の部分が効いてることは効いてる。そこは作り手側としても悔しいだろうなと思いますね。

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