追悼 団鬼六氏

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追悼・団鬼六氏

各界から寄せられた追悼の言葉

構成/編集部




去る五月六日、SM文学界の巨星・団鬼六氏が永逝した。享年79歳、胸部食堂がんであった。

日本のエロス表現の世界に、氏が残した功績は測り知れない。月並みな表現しかできないが、この喪失は余りにも大きい。

実を言うと、ちょうど一ヶ月程前、我々は氏への取材依頼を行っていた。すでに病状が進行していたのだろう。氏のマネージャーの方から、「現在は透析及び闘病中であり取材活動を制限させて頂いている」という丁重なお断りのメールを頂いたのだが、そのメールの末尾には「また機会があれば」という言葉が記されていた。僅か一ヶ月前、だが、いまやその「機会」は永遠に失われてしまった。この“死”によって、我々は恒久的に亡き氏の後塵を仰ぎ続けることぢかできなくなってしまった。

末端ながらも同じくエロスの道をゆく者として、我々はここに、偉大なる先達への深い敬意と哀悼の意を表する。

また、以下に各界から寄せられた追悼の言葉を掲載することで、故人のご冥福をお祈りしたいと思う。


VOBO編集部






一九六〇年(昭和三六年)といえば、五十年以上もむかしのことになる。当時、私と美濃村晃が編集していた「裏窓」という月刊誌に、花巻京太郎というペンネームで、後の団鬼六氏が時代物小説を投稿してきた。「花と蛇」以前の話である。その縁から始まって、鬼六氏、美濃村晃、私と三人連れ立ち、銀座六本木を遊び歩いた。つい先日、伊藤文学氏の出版記念パーティーのときは、元気でマイクの前に立つ鬼六氏を見たばかりなのに、今回の訃報は無念であった。

濡木痴夢男(緊縛師・作家)





団先生の訃報を聞き、一昨年だったか歌舞伎町の黒鳥の湖(オカマバー)で生前葬が行われたことを思い出しました。
あの時はものすごく大勢の方々がこられて、お客さんが全員着席するまでずいぶん時間がかかったこと、私の隣の隣あたりには愛染恭子さんがおられ映画監督、編集者、大学の先生、団先生の将棋仲間、透析をしてる病院での方々。
ステージをとりかこむようにグルッと人でいっぱいで。
もともとは一緒にショーを見て楽しもうという企画だったとかですがそうそうたる方々がこられていて、ほんとうにすごいなぁ。
そして、普段、ちょっとやそっとでは会うこともできないような著名な方々が集まる中。
飲みながらショーを見て。そして、団先生のご挨拶があったこと。
そのまま お店の端に集合して二次会でゆっくり飲んだことを思い出します。
生前葬だと、誰がきてくれたかわかるからって。その言葉、生きてる時だからこそだけど。
お土産は特製の鬼六(って確か書いてあった?)瓦せんべいと、先生の本でした。
本当にすごい規模でした。
入ってくるのと同じぐらい時間がかかって、出ていくのですから。
それを団先生が一人一人あいさつをされて。
スケールが違うなぁ、って思ったことを思い出します。
 団先生といえば、私は昔、SM雑誌に書かせていただいてたころ、どのSM雑誌にも団先生の
小説が連載されておりました。私は見開きのページだけで、毎月どうにかこうにか書かせていただけてる中、そんなにたくさんの連載をされてるなんてすごい人でした。
私は団先生の小説の中で一番好きなのは「花と蛇」の冒頭からさらってきて、さあ、これから好きに
するぞ。と、いうところ。
すごくノリがよくて。とても長い小説ですが そして、私はずっと読みたかったんですが女性にはなかなか手に入りずらい。それで、マニアの方から借りて一気に読んだのでした。
映画もよかったです。やはり、女性には成人映画は見にゆきずらいものがあったのですが、団先生の作品が大好きな方からビデオを借りて見ました。
いくつものコレクション。
「これはとても、いい作品でね。これで何度ぬいたことか・・」
と、いわれながら。ビデオがどうかしてないか触るのが怖かったんですが、家に帰って一人でみたら、本当にいい作品で感じました。
古い作品ですが「花と蛇」最初はビデオで見たのですが 映画館の大きなスクリーンで見たくて 新橋のガードしたにある映画館までみにいったことがあります。
あそこは たぶん女子トイレがないところで、少し居ずらかったですが、大きなスクリーンで見ると、なおさらよかったことを思い出します。
 団先生の実物にはじめてお会いしたのは 長田英吉師匠と一緒の時で、大塚に新しくできたSMホテル、ブラック&ホワイトのオープニングの時だったか。
早乙女宏美さんが団先生に縛られて写真を撮られたりしておりました。
京都のバルバラでのイベントで長田英吉師匠がショーをするときにおられたことも思い出します。
六本木での”復筆祭”それも師匠の長田英吉のおともでいって団先生とお会いしました。
すごくスケールの大きな一大イベントで、すごいなぁ、って師匠に言ったものです。
案内の方のお揃いの半被がかっこよくて。
六本木のとあるSMバーのオープニングでお会いしたこともありました。
ほとんど、師匠の長田英吉のおともで一緒にいる時ばかりですが、ずいぶんあちこちで、お会いしました。
オサダ・ゼミナールの会員の方に団先生の話をしたら、将棋友達とかで将棋関係の知り合いだけど、どこかへでかけてはSMショー見たり、ボーリング大会の賞品が女性だったりとか、ずいぶん遊びを楽しくするコツを知っておられるようでした。
で、賞品の女性とは 何ができるの?
って、つい追求したくなったんですが。それを話してくれた方は、どうやら賞品には縁がなかったらしく。
そこのところは うまくやってたようですよ、と。
ふくみのある言葉で かえって気になったことなど思い出しました。
団先生の思い出というと、師匠の長田英吉を思い出さずにはおれませんが。
これで、またひとつの時代が終わった。そんな気がします。

2011.5.6 長田一美(緊縛師)





体調を崩していると聞いていたが・・・
とても残念。
団先生とは2度程、コラボレーションさせて頂いた。

最初は、当時、主流だったCD-ROM作品『花と蛇』。
緊縛を担当した。
そして、
団先生プロデュース、赤坂の巨大ショーパブ『鹿の園』のライブショーの全てを任された。
豪快な人だった。
そして、女好き。スケベ(泣笑)。

また一つの星が夜空に増えた。

心よりご冥福をお祈りいたします。

乱田舞(緊縛師&AV監督)




少なくともいま40歳以上のオトコたちすべてにとって、「団鬼六」という名前は、忘れたくても忘れられない名前であるはずだ。ミック・ジャガーの声や、ジミ・ヘンドリックスのチョーキングとともに、『花と蛇』や『夕顔夫人』によって、僕らガキは精神の「精通」を教えられたのだ。昭和のエロ・スピリットを司った偉大なグルに・・合掌。 

都築響一(写真家、編集者)





亡くなられたと聞いた時、『檸檬夫人』の中にある、「若いから多くてらっしゃる」という台詞が、ずっと自我の根底に流れていることに気付かされました。
ご冥福をお祈り致します。 

マツコ・デラックス(コラムニスト)





10年ほど前に対談していただいた時に、私が「電話代が払えなくて電話が止まってるんです」と申し上げたところ、団先生から「顔の上にウンコさせてくれたら100万円払うって言うてる男を知っとるで。あんた、そのバイト紹介したろか」との有難いお言葉をいただき、一瞬、本気で迷いました。今なら躊躇なくやると思いますが、その当時の私はまだまだヘタレだったので「やっぱり、私、人間の尊厳を失いたくありません」と答えたら、先生に「買い物し過ぎて電話代も払えんような女に、人間の尊厳なんぞあるかい!」と一喝され、「そのとおりだーっ!」と目の醒める想いでした。ああ、懐かしい。団先生、大好きでしたよ。

中村うさぎ(エッセイスト)





何度もお会いしたわけではありませんが、学校の先生という感じでしたね。まさしくSMの世界の偉大なる先生という感じでした。また、着物姿がきまっていて、自分もあんな感じで着こなせたらと思って見ていたのを覚えています。

ボディカスタマイズスタジオNOON 間宮英三





5月6日、団鬼六先生が天に召された。取材者/編集者として、国内外のシーンに関わってきた者として、先生のご冥福をお祈りしたい。官能小説家というカテゴリーに閉じ込められることを嫌ったというが、まさにひとつのジャンルを打ち立てたという意味では、その存在は『ビザール』のジョン・ウィリーのようでもあり、谷ナオミとの絶妙なデュオはアーヴィング・クロウとベティ・ペイジを思い起こさせる。日本のSMを語るとき、もはや団鬼六先生なくしては語り得ないであろう。それだけに、時代の黎明期を生きた巨匠はいつまでもキラキラと輝いているように思うのだ。今、未曾有の大災害に見舞われた日本にあって、巨匠の作品は全く異なる色彩で“日本のエロス”を教えてくれることだろう。

ケロッピー前田(身体改造ジャーナリスト)





 「2000年問題」というのがあり、巷間あれは、結局何も無かったと思われている。しかし私はあの問題は生きていると思う。「21世紀の始まりが、2000年を境に丁度10年遅れてしまった」という形で。9/11はだから、21世紀の始まりではなく、20世紀の終わりの出来事なのである。21世紀は、だから今年から始まったとしか思えない。故人の急逝は、昭和の一角が完全に終わった事、日本に於ける官能という文化がとうとう21世紀を迎えた事を同時に意味している。故人がJSバッハのようにして世に知らしめた日本式の官能文化は、これからの日本人にとって前世紀の、美しく、素晴らしく、信じがたい魔術という神格にゆっくりと移動して行くだろう。巨大な真の陰翳、真の絶望、真の再生が問われる、と目され、つまりは真の官能性が蘇生すべきと目される季節の急逝に、不謹慎の誹りを覚悟の上で極上の粋を感じる。

 菊地成孔(音楽家・文筆家)





鬼六先生の超極太人生。同じ男として、非常に羨ましく、とても眩しく感じます。先生が築き育てた数々の文化はこれからどんどん混迷することが決定されたこの国で生き抜くための貴重なアイテムになるでしょう。たくさんの快楽をありがとうございました!合掌。

村上賢司(映画監督・テレビディレクター)






自分はサドマゾ的な属性を殆ど持ち合わせていないと自覚している。
だが、団鬼六氏の存在と言動には、少なからぬ畏敬の念を持ってきた。
それはたぶん、真のダンディズムとは何か、という問いにかかわるものだったと思う。
とはいえ、もちろんその膨大な作品の大半は未知のままである。
特に 晩年に著された自伝的著作の数々を、これから少しずつ繙いてゆきたいと思っている。

佐々木敦(批評家)




団鬼六さんの小説や映画は、まだポルノが今のように自由でなかった時代、若者にとっては淫靡でアンタッチャブルな世界への登竜門でした。SMの世界の存在を知ったのは間違いなく団鬼六さんの世界が最初です。現実は団鬼六さんの世界観を超えてしまったように思います。大きなひとつの愛の喪失を感じます。

JOJO広重(ミュージシャン)




大長編『花と蛇』は初め、学校の教師だった団先生がSM雑誌に投稿されていた……という話は心に残っています。いまネットなどでもやむにやまれぬ妄想を小説にしている多くの人たちの元祖であり、「SMに市民権を与えたのは私です」と おっしゃる団先生の作家としての歴史は、そのまま妄想が現実になった歴史でもあるのでしょう。生徒に試験をさせながらご自分は『花と蛇』を執筆していたという教師時代のエピソードは、永遠のときめきを与えてくれます。

切通理作(批評家)







団鬼六さんの文章には品があった。官能小説は大部分が実用的なものだから、品格など関係ないと思われがちだが、そうではないのではないか。匂い立つエロティシズムはやはり格調高い文体から生まれてくる。『花と蛇』の上流婦人が次第に堕ちていく描写は、なまなかな文章力では書くことができなかったろう。もはや後継者はいないのか。いや、そうは思いたくない。誰かが彼の後を引き継いで、日本の官能小説の底力を見せてほしいものだ。

飯沢耕太郎(写真評論家)







読書体験における人生最初のカルチャーショックが”ドリトル先生”シリーズだとすると、2度目のショックが”団鬼六”シリーズだった。高校生当時、野球部の部室に転がっていたSM雑誌に掲載されていた「肉の顔役」に打ちのめされた。その年まで触れてきた小説や音楽や映画に描かれる性善的な暗黙の了解と、子供なり の折り合いをつけようとしている頃だった。こんな不条理な痛ましい話に激しく勃起する自分が恥ずかしく、情けなく、申し訳なかった。だが、美紀夫人の更なる悲惨を求める心に勝てず、野球部以外の部室も徘徊することにしたのだった。

団鬼六の作品は、パンク以前に、既成の価値の逆転こそがあらゆる興奮(性的なもののみならず)の源だと知らしめてくれた唯一の教科書だった。

団鬼六その人と一度だけすれ違ったことがある。夕方の青山通り、その後ろ姿からしばらく目が離せず見送った。あれは、学習と引き換えに無為に放たれた自らの精子に対する慰霊だったか。

合掌。

2011年5月7日 
sinneryang from 面影ラッキーホール






僕にとってSMとは、マルキ・ド・サドでも、ザッヘル=マゾッホでもなく、団鬼六である。ことに団先生原作映画の数々には少なからず影響を受けた。団鬼六より凄いものを書くぞ、このインパクトに負けてたまるか、そんな気持ちがあったせいか、気付けば僕の漫画には残酷な表現が多くなっていた。だが後年になって気付いた。SMとはそのような残酷描写とは無関係の世界であったことに。

早見純(漫画家)





単なる日常を常に官能という視点から凝視していた鬼才。
現在の我々が共有しているエロの原点を創造したという功績はあまりにも大きい。
冥土の風景も鬼才は官能のフィルターを通して視ることであろう。
心からのご冥福をお祈りします。

アリカワ(マニア写真家)




 『花と蛇』を発表したのは、僕が生まれるより八年前だった。だから、その存在を知ったとき、団鬼六はすでにリビングレジェンドだった。
 思春期になり、男友達の間でよく名前の上がる官能小説家といえば、宇能鴻一郎、川上宗薫、そして団鬼六がトップスリー。僕は宇能鴻一郎派で、団鬼六はどちらかというと苦手だった。『花と蛇』などに描かれている世界が時代的に古く感じられたこともあるけれど、何よりその文章はとても濃密で生気に満ちており、読んでいると自分のアマチャンぶりを叱られているような気になったからだ。団鬼六の小説は、SMというよりも、旺盛な生命力の絡み合うドラマとしての印象が強い。その力強さに、圧倒された。
 今、こうして自分自身が文章を生業にするようになっても、その印象に変わりはない。
 虎は死して皮を留め、人は死して名を残す。そして、作家は死して作品を残す。団鬼六の作品はいつまでもその力を失わないまま、二一世紀の読者たちに読み継がれていくことだろう。
 作家・団鬼六の終焉に、哀悼と感謝と労いの気持ちを捧げたい。

遠野零二(文士)





団鬼六先生の短編に『赤い復讐』という作品があります。女子高の生徒と女教師が不良高校生の男女グループに拉致され、別荘に監禁される話。作中に登場する「ゴーゴーダンス」「睡眠薬遊び」「ズベ公」といった単語から、時代背景は1970年前後と思われます。いわゆる「ツッパリ」「ヤンキー」以前の不良。女子生徒のスカートがロングではなく、男子生徒のズボンがボンタンではなかった時代の話です。

なにしろ不良なので言動は乱暴だけど、いっぽう敬語の遣いかたなどが妙に適切なのは、グレてはいるものの中流家庭の子女だからでしょうか。縛り上げた相手に最大限の辱めを与えながら、同時に崇拝に近い憧れの気持ちも失わない。不良高校生たちのそんな倒錯した感情が、独特の品格ある文章で描かれているのが印象的でした。

団鬼六先生のご逝去を悼みつつ、遺された多くの作品を、少しずつ読んでいこうと思っています。

森伸之(イラストレーター・制服研究者)



性というものは、人間として避けて通れない根源的なものだと思います。
性が人間の本能である以上、僕を含め、それを表現しようと試みている
人はもちろん、それ以外の全ての人々にとっても、偉大なる先達である団鬼六先生に深 く敬意を表させて頂きます。
心よりご冥福をお祈り致します。

あきやけい(ライター)





快楽主義の価値観は時に、下品に聞こえたりして軽蔑の感情を抱いてしまうけど、自らの人生と才能で、快楽の美しさを情緒たっぷりに表現していて、彼は素敵だなと感じていました。

「一期は夢よ、ただ狂え」

彼が一期を全うした事で、この言葉も、より強く胸に響きました。
刹那的でもあり、自分を大切に、今を生きる☆という感じも受けました。。
私の一期も、夢なら、夢の中でもっと夢が、見れる様に。全うしたいものだな。。

照沼ファリーザ(写真家、AV女優)





すべてのクリエーターは人間の本質に迫り自ら昇天していく
団鬼六さんの意思は多くの支持者が受け継いでいく事でしょう
しかし 彼しか持ち得ないものは 想い出として 心に残る

マジカルパワーマコ(音楽家)






俺が団鬼六を知ったのは、高校生くらいの時に深夜のFMラジオで放送してた「街で一番の男ビートニックラジオ」でゲスト出演した時だな。その「鬼六」って名前もすごかったけど、あのマニアな業界SMトークは今でも覚えてる。そんなSM界の巨匠であり大先輩がお亡くなりになられたということでとても残念でなりま せん

横山緑(配信者)




 私にとって団さんといえば『外道の群れ』です。大正期の責め絵師、伊藤晴雨と、そのモデルであった「お葉」、そして大正ロマンの美人画家、竹久夢二。三人の愛憎模様を綴ったこの書物は、艶めいた「責め」の世界を、私に教えてくれた一冊でした。
 晴雨を捨てたお葉、お葉を奪った竹久夢二、そしてお葉を忘れられず、七転八倒する責め絵師、晴雨。三人の演じる愛憎劇を通じて、私は「責め」が単なる肉体への暴力ではないことを知りました。
 責めたつもりが責められているのか、責められたつもりが責めているのか。まさに縄のように絡み合う愛憎こそが「責め」なのだと、私はこの書物から学んだ気がします。
 そして歌舞伎の名場面のように、豪奢に見得を切る文体の美しさ。豪放にして端正、芳醇にして鋭利な色気をたたえた団さんの筆が、再び揮われることがないのかと思うと、本当に寂しい思いがします。
 私にとって団さんは、超のつく大先輩です。同じ関西学院の卒業生とはいえ、団さんは私より三十年以上も学年が上。しかも団さんは中学部からの関学生、私は大学からの入学で、まったく格が違います。それでもいつかは同窓のよしみで、お会いしていただける日もあるかと楽しみにしておりました。
 もう少しこの下界に留まって、いろんなことを教えていただきたかった。それだけに、このたびの訃報が残念でなりません。どうか安らかにお休みになってください。

樋口ヒロユキ(評論家)





 また一人‥昭和を代表する鬼才が鬼籍になられてしまいました。そして、また1つの時代が終わりを告げました。
 少しの間でも、先生とSMという接点があった事を誇らしく思います。
 先生の小説を読み、どれだけの人がSMと言う永遠に広がる、夢のある世界に足を踏み込んだ事でしょう。
 先生が築き上げたSMと言う世界。私は一生をかけて守り続けて行きたいと思います。
 今まで沢山の夢を有難う御座いました。 心からご冥福をお祈りします。

三代目葵マリー(ライター・イベントプロデューサー)




勇気を出して初めて買ったSMの本が文庫版の『花と蛇』でした。漠然とあこがれていたSMは体を虐めるものではなく、社会的に堕ちていくことだと知り、怖くてたまらなくなりました。それなのに、何度逃げてもまたSMに戻ってくるのです。SMでだけ、男の人を愛することができました。団先生のご本と出会わなかったなら、私は私になることができませんでした。ほんのしばしのさようならです。先生、私の寿命あと何年でしょう。堕ちられるところまで堕ちて咲いて、それからそちらへ伺います。

神田つばき(ライター・イベントオーガナイザー)





真の快楽主義者とは、禁欲に身をおける者のことである。
性を通して人間の深奥を活写した、表現者の死を心より悼みます。

ヴァニラ画廊・代表 内藤巽





もともと団鬼六先生の代表作はなんとなく読んでオナってはいたんですが、ちょっとオナねたにしては硬い感じがして、宇野さん川上さんとか、泉大八さんのほうがオナるのには好きでした。

そんなダメなわたしでしたが、「果し合い」を読んでから団先生への印象はがらりと変わりました。たこ八郎や小池重明に対する団先生の優しいまなざしに何回涙したことか。

当時わたしたちの間では、いざとなったら下落合の赤塚邸か、鬼六屋敷に行けば何とか食客にしてくれるのではないか、という根拠のない確信が、ともすれば鬱になりがちな不安定な日常にほのかな慰安を与えてくれていました。

結局、赤塚邸には出向いて、赤塚先生と楽しいお酒をご一緒できたのですが、鬼六屋敷はやはりわたしたちのような半端者には敷居が高く訪れる勇気はありませんでした。

それでも、一度くらいは団先生の酒席の末席を汚して、叱られてみたかった。

さびしくなりますが、団先生の「ただ遊べ帰らぬ道はみな同じ」をかみしめて、何とかやっていければ、と思っています。

団先生、ほんとうにありがとうございました。 

花咲政之輔(太陽肛門スパパーン)



すいません!実は団鬼六さんの小説、文章ではひとつも読んだことありません!代わりと言っては何ですが映画化された『花と蛇』は見てます。谷ナオミ版と杉本彩版。ご主人様が奴隷女を支配してたと思いきや、実は奴隷側が主人の行動を支配していたという逆転劇。世の中の縮図を見ているようです。

駕籠真太郎(漫画家)




団鬼六先生は少年のように純粋な心を持たれておられました。
「清濁合わせ飲んで清しか残らず」
そんな人格を宿していた方だと思います。
先生と初めて会った人間は「SM耽美小説家」という先生の世評の肩書きと比べて、
その実像との落差にとまどいます。
そして別れた後、何か惊みとられたような爽快感を覚えるのでした。
文学や芸術をなすものは、えてして事像をはすに構えて
意地悪く見ることが上等の証しであるかごとくの錯覚をもっています。
先生は違いました。
先入観にとらわれず素直にありのままの心でのぞみました。
そしてあの独創的な世界を描かれていったのでした。
創造する人間の資質とは華やかでも知識の蓄積でもなく狭い価値観にとらわれることない
「自由な心」こそが大切であることを知らしめてくださいました。
「作家道は修羅道である」と岡本かの子は言いました。
放蕩無頼の先生の人生はまさに作家の宿命を生きられた生涯でした。
先生は重い病いに患かれてもなお最後まで發刺とされていました。
先生は亡くなられたのではなく、
自ら世を捨てられることを決め、颯爽として去られて行かれたような気がしてなりません。
生前「理想の死に方は腹上死である」と語っておられた先生は
いまごろ天国でどんなポーズでイタシながら下界を見下ろしておられるでしょうか。
ご冥福をお祈り致します。

合掌  

村西とおる(AV監督)






団鬼六氏との個人的な想い出は、いまから30年ほど前、六本木のお店でご馳走になったことです。
あのときは、ありがとうございました。
豪快でいて繊細な、器の大きな方だったと思います。
心からご冥福をお祈り致します。

白夜書房編集局長 末井 昭





団鬼六先生は、まさに鬼のような人でした。
生涯を通して「爛れた」情念を求め、追求し、ついには生きながら忘我の極致に達した方でした。
合掌。

飴村行(小説家)





団鬼六先生は、エロ年代文学選集を編む機会がありましたら(編むというよりは縛ると言ったほうが宜しかったでしょうか)最優先で掲載させていただきたかった憧れの存在でございました。また『花と蛇』におきましては、映画化のみならず、18禁ゲーム化、コミカライズ、そして18禁アニメ化までなされております。いま、そのアニメを視聴しながら、目頭と鬼頭が熱くなるのを感じております。

エロ年代の想像力 反=アニメ批評






父から生前親交があったと聞きました。生まれ変わっても奇才である魂は継続されることだと思います。またの活躍を楽しみにしています。 

角川慶子(ライター)



先生、御苦労さまでした。リアリストの冷徹な目と少年のように飾らない純粋な心を併せもった方――先生の矛盾と両義性が私にとっては謎であり大きな魅力でありました。おそらく小説家としての団鬼六の正当な評価はこれから始まるのでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。そちらでの生活、大いに楽しんで下さい。浜田山のうなぎ、ご馳走様でした。

新東宝映画株式会社 福原彰





 団先生の自伝の中のお言葉
「教師がSM小説を書く事にうしろめたさを感じるのではなく、SM小説を書く人間が教師をやる事にうしろめたさを感じなければならないわけだ。」
 これを読んで以来僕は、いつの日にか子供向けの童話を書いてみたい、と思い始めてしまったのです。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

町田ひらく(漫画家)




僕の『少女と恋愛する方法』を出してくれた出版社兼書店(下板書房といいます)にも団鬼六先生のファンがよく来ていました。男性8割・女性2割というところでしょうか。とにかくこの女性2割という数字がすごい。女性が「鬼六マジック」で自分の性癖を隠さないでレジに行く。それは小説を書いたことのある人間なら本当に大変なことだと理解できます。ましてやエロです。そんなすごい光景を団先生はお作りになった作家でした。私は現在、携帯小説を執筆していますが、どれだけ人の欲望を揺さぶることができるか分かりません。もっと頑張りたいと思います。本当にお疲れ様でした。もっともっと人間の「欲」について貪欲に勉強します。団先生ありがとうございました。安らかにお休みください。

宮島鏡(小説家)



 エロ表現ばかりか個人の恋愛性癖にまで弾圧の魔手が迫る現在、エピキュリアンとしての生き方をいま一度、考えています。快楽のためのピュアさと、我を通すためのブレない強さを。大変な生涯だったと思います。おつかれさまでした。

器具田こする(マッドサイエンティスト)




近世~近代文学、また武士道や切腹にも指摘される日本のSM的心性を土台に、支配や羞恥といったエロチシズムの本質を大衆文化に広く根づかせた大家。日本の性を語る上で、その影響はあまりに大きい。一方でSMというジャンルの確立は、結果的に80年代以後フェティシズムの多様化につながり、セックスを巡る無数のサブカルチャーが生まれた。いずれも人間が逃れられない性の両側面であり、根底には生の本質が横たわる。団氏が気づかせてくれたことは今後も大きなテーマであり続けるだろう。

高月靖(作家・編集者)




作品を通して、先生の後を追い続け、追い続けるうちに逝かれてしまいました。

改めて、その作品に感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします

タコシェ 中山亜弓








『あけすけの美学~最後の文士・団鬼六』



団鬼六の最大の魅力は、その余りにあけすけな飾りのない語り口にあると思う。あけすけに己のサガを、そして波瀾万丈で数奇な人生をいささかの粉飾もなく語り尽くす。
しかし何よりも驚くのは、あけすけにかなりにきわどいことを書き連ねながらも、それが決して下品に墜ちないことだ。
いや、それどころか、団鬼六の文章からはひとりの実に魅力的な人物像が、つまり団鬼六という人格が立ち上ってくるのだ。
そしてその人物がたどる人生が凄まじいばかりに面白いのだ!


俺は以前、映画人たちとの飲みの席で「団鬼六って、なんてかわいい人なんだろう!!」と言い放ったことがある。
すると団さんと親交のあるキャメラマンが驚いた顔をして「池さん、会ったこともないのによく分かるね!? 本当にあの人は実にかわいい人なんだ」と言った。
俺は「当たり前だよ。文は人なり、と言うじゃないか。団鬼六の小説読めばすぐわかるさ。ハハハ…!!」とうそぶいたものだ。


俺はSMの巨匠としての団鬼六には全く興味はなかった。
しかし10年ほど前に手にした一冊の文庫本がそのすべてを変えた。
ちなみにタイトルは『美少年』という短編集。(はっきり言って大傑作!!知らない人には一読を勧める。たちまちあなたは団鬼六のとりことなる!!)


お会いしたことはなかった。
しかし世に氾濫する団鬼六原作ものの映画を見るたびに忸怩たる思いを禁じ得ない。
違うだろ!
なんで俺じゃないの!?

俺ほど団鬼六という方の魅力に気づき惹かれているやろうはいないんだぜ!

俺がやるしかない!!


待ってて、団先生!


さらば最後の文士・団鬼六!


池島ゆたか(映画監督/俳優)





懲りる、ということのないお方でした。


それだけいつも一途だったのでしょう。


ここ6,7年はお会いできる機会に恵まれないままでしたが、


何をされるにも本気でいい加減がお嫌いのようでした。


いい加減とか、もったいないとかがもてはやされるよになりましたが、


破天荒、波乱万丈がお似合いになる団さんには少々、まとまりすぎて


住みづらい時代になりつつあったかもしれません。


将棋マガジンをやるぞ、と笑われたときの邪気のなさは、


天国では大いに歓迎されると思います。


きっと、素晴らしい居場所が待っていますよ。



志茂田景樹(作家)





「パリに行った方がいいよ、僕も一緒に行きたかった」、それが最後の言葉でした。

パリ映画祭に招待された当初、私はお断りしようと思っていたんです。映画の世界を離れて久しい私が、そのような立派な舞台に立つことは、おこがましくもあるし、どこか気恥ずかしさもあるし。だけど、団さんはそんな私の心情などお構い無しに「ナオミがどう思っていようが、映画がまた上映されるってことは、今も君は女優なんだよ。一緒にパリへ行こうよ」って。団さんにそんな誘われ方したら無碍に断ることなんてできないし、それに確かに団さんと歩くパリの街は、想像しただけで魅力的。結局、根負けして、7月2日、二人一緒にパリ行きの便に乗る約束をしたんです。

7月2日、私はひとりでパリへと発ちます。団さんがお話を作って、私が演じた映画を、もう一度だけ観に。

谷ナオミ




ただ遊べ、帰らぬ道は誰も同じ
柳は緑、花は紅

 団さんの好きだった川柳…、そのままに生きた人だと思う。

 この浮き世は、ただただ狂え…と教えてくださったが、女好きで…、欲深で…という表を装いながら、ある種、恬淡とした覚悟を持っている、でもそんな覚悟を持っていると思われるのが恥ずかしくて、猥雑なジジィを演じ続けた人だった。

 女優、谷ナオミさんに会うため、熊本に同行したのだが、基本的に団さんは、女性編集者でないとご機嫌が悪い。それが男二人の飛行機旅行になってしまった。しかも熊本は国際会議があった上に、コーディネートの編プロ女が手を抜きやがって、ホテルを手配できず、編集野郎のオレが、大先生と同部屋に泊まる事になった。

 オレがいたら気詰まりだろうと思うから、部屋に先生を残して、熊本の夜の店をはしごして、明け方、スッテンテンになって帰ったら、部屋のドアにスリッパが挟んであって、隙間が空いている。

「なにしとんじゃ、閉めたら入れんと思うし、開けたままなら誰かが入って来るかもしれんから、一睡も出来んかったやないか」

 団さんは、怒ると少しどもるのだ。

「わしを旅行に引っ張り出しておいて、部屋が一緒とはどうゆうこっちゃ」

 すっかり嫌われてしまったが、団さんは、あの小僧のことなど勝手にしろ…と寝てしまう人ではないのだ。無頼な顔して、心配性だった。

 だが勝負どころでは、めちゃくちゃ雑駁、大胆きわまりないやくざのように肝が据わってしまうことがある。

 その話は、またいつか…。

ニャン2倶楽部代表 夏岡彰


(順不同、敬称略)


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団鬼六
(だんおにろく)

一九三一年滋賀県彦根市生まれ。関西学院大学法学部卒業。
五七年「親子丼」で文藝春秋オール新人杯に入選。
バーを経営したり、教師をしたりしたが、六○年代『花と蛇』が人気を博し、官能小説の第一人者となる。
一時断筆していたが、九五年に『真剣師 小池重明』で復活。
著者には、『悦楽王』『往きて還らず』『死んでたまるか』『地獄花』など多数ある。
二〇十一年五月六日、永眠。



心からご冥福をお祈りいたします。