ヒロイン手帖 × 森伸之

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ヒロイン手帖 その10

森伸之 

制服研究、四半世紀

文/荒玉みちお 構成/うぶモード特ロリ班


1985年、前ぶれもなく『東京女子高制服図鑑』という書籍が出た。読者は「こんな本を待ってました!」と喜び、業界人は「こんな企画があったか!」と後に続いた。著者は純粋に考現学のひとつのテーマとして制服にスポットを当てただけなのに世間は大騒ぎ。第一人者が語る「制服」の魅力とは!?


—夏休みの課題でずっと貯めていた制服イラストを提出したんです。そしたら赤瀬川(源平)さんが『面白いから本にすれば?』って言ってくれたんです。



「こういうこと(制服図鑑作成)をするようになったのは高校生のときです。漫画家になりたくて、学園漫画を描いてたけど、へたくそで。特に制服の襟とかがうまく描けない。だから勉強のためにと思って自分の通ってた高校や、近所の学校の制服を細かく描いてみた。それで10校くらいの制服イラストが集まったあたりで、『もっと集めて図鑑みたいにしたらおもしろいんじゃないか』と思うようになったんです」


その頃住んでいたのは千葉県の柏市。森少年は残念ながら受験に失敗し、予備校に通うことになった。


「水道橋の予備校でした。そこで東京の制服を改めて観察してみると、田舎とは全然違う。バリエーションがこんなにあるのかと驚きました。デザインも着こなしも、千葉とは違うなと。その頃まだ東京以外ではスカートは長めがかっこいいという時代でした。そんななかで、東京の私立の一部では短いスカートが主流になっていた。短いといってもせいぜい膝丈くらいですけど。でも膝が見える制服を履いているというだけで凄い衝撃を受けましたね」


予備校に通いながらも、制服スケッチの日々は続いた。


「まず東京の私立の女子校と共学の夏服のデータを集めようと。かなり時間がかかりましたね。3年くらいかな。夏服は期間が短いから、限られますからね。だから冬服が良かったかなとも思ったんですけど、結果として本はモノクロだったんで、白い部分が多い夏服で良かったかな」


出版の話が具体化したのは大学3年のときだった。大学に通いながら美学校にも通い始めた森青年は、前衛美術家にして作家の赤瀬川原平に師事することになった。


「その考現学研究室で、今和次郎という人物を知るんです。大正時代に早稲田大学の教授だった方で、デザイナーでもあるんですけど、その方が関東大震災で東京が壊滅したあとバラックが建ちはじめた日々の変化をおもしろいと感じ取って、逐一イラストに残しているんです。そこで自分がやっていること(制服スケッチ)も一緒だなと思ったんです。それで、夏休みの課題で何か出しなさいとなったとき、ずっと貯めていた制服イラストを提出したんです。50校くらいあった。そしたら赤瀬川さんが『面白いから本にすれば?』って言ってくれたんです」


同じ研究室の生徒に、版元となる弓立社の社長の知り合いがいた。それから2年くらいかけて上梓する。


1985年の初夏だった。当時、一部で話題が沸騰する。ひとつは我々が住むエロ本の世界。もうひとつは、描かれている当事者たち、つまり女子学生たちだった。


「女子高生が買っていたのは意外でした。考えてみたら自分たちのことだし、それをまとめて見られる資料がそれまでなかった。読書カードを見てわかったんですけど、当時、女子校にはどこも1冊は置いてあったそうです。あと中学生にとって本当は制服も受験の要素なんだけど、当時はまだそういうことを大人は分かっていなかった。でも本屋さんは分かっていたみたいで、学参コーナーに平積みされていたんですよ。最初に見たときは驚いた。一方で、芳賀書店(エロ本書店の老舗)も平積みだった。それは予想通りでしたけど」


時代の流れもマッチした。


「80年代ってちょうどバブルの入り口で、格付け文化みたいなものが流行していたんです。渡辺和博さんの『金魂巻』(84年刊行)とかもそうですよね。ステイタスという言葉がいろんなジャンルで使われるようになっていた。だから学校のステイタスも、当事者たちには意識があったんだと思います。東京の私学だと、お嬢様学校、進学校とかの伝統がステイタスだったりした。そこに実は制服も加わっていたんですね。その基準になるテキストとして、ちょうどいい時期に出せたんだと思います。だから、この本で解説している文章も時代の影響を受けているのか、何となく格付けしているみたいな文章になっているんですよ」



—女子高生の反響が大きかったのが意外でした、クラスに1冊は置いてあったそうですし、生徒から直接電話があったりもしました。「うちの制服をあの学校のより悪く書くな!」って(笑)



制服(を着用した女子高生)のイラストだけでなく、この本の秀逸なところは「解説」と「キャッチ」がリアルな情報にプラスされて、作者の印象が深く反映されているところ。


たとえば学習院女子高等科(新宿区)の解説には「Vゾーンを固くガードする八重桜の封印が、不謹慎な視線をことごとくはね返す。短いスカートにハイソックスというスタイルは昭和30年代からの伝統─」と書いてある。


桐朋女子高等学校(調布市)の解説では「東宝映画『ゴジラ』第1作を見た人は、体育館に集まった女学生がラジオを通して東京中のゴジラ被災者に慰安の合唱を捧げていたシーンを憶えているだろうか。あのとき彼女たちが着ていた制服が、これである─」とうんちくを披露。


鶴川高等学校(町田市)は「通勤通学トレインのスピーカー」とキャッチがあり、解説では「─特徴もないので本当なら地味な存在に終わるところだが、実際は小田急線の中で特に注目を集めることが多い学校。はっきり言ってこの学校、すっごく騒がしいのである。先生や先輩の悪口をしゃべりまくる勢いに、目を丸くするオバサンも多い。お願いだからたまには1人静かに文庫本などを読む姿も見せてください」と苦笑を誘う。


「キャッチコピーや解説は自分で見た印象なんです。登下校のときに駅や通学路で見る。生徒がたくさん歩いてるから、それをスケッチしながら、だいたいこんな感じの女の子が多いなと、印象をメモする。だからこの解説にはなんの根拠もないと言われたら否定できません(笑)。八王子や高尾のほうは大変でした。東京純心とか、生徒数が少ないんで、見つけるのも大変で」


その東京純心女子高等学校は「バスがなくては生きてゆけない、さいはての館」とのキャッチがつく。


「キャッチや解説は友達に手伝ってもらったんですけど、苦労して行ったからそういう文章になるんです(笑)。学校からの苦情はなかったけど、女子高生たちからは来ました。当時出版社に机を置かせてもらっていて、電話が来たら自分で出ていました。それで“うちの学校はあそこには負けるけれど、あそこよりは上です”とか文句を言われたり。公衆電話からかけてきて、45分後にまたくる。休み時間になるたびに電話してきてたんですね」


描かれている制服のイラストも、それを着こなす女子高生の姿も実にリアルである。基本的にどこの女子高生も可愛く描いてあるのだが、微妙に印象が反映されている。良妻賢母育成が売りの山脇学園高等学校の女子高生は三つ編みなど、事実は事実として描く一方で、微妙にふくらはぎが太めだったりする。実際に声をかけたり、人脈を使って取材をすることはなかった。写真を撮ることもない。あくまでもスケッチと印象のメモ書きで仕上げていった。


「彼女らが着ている“制服”は、髪型や着こなしも含まれますから。そこに校風が表れると思います」


まさに考現学の一環なのである。


「スカートの丈も意識して描いています。この当時だと、東京でも23区の外は長めでしたね。このあと改訂版を出していくんですけど、徐々にチェックのスカートが出てきます。ただソックスはまだ短い学校のほうが多い。学校も、チェックのスカートをどう扱っていいかまだわからなかったんでしょう。制服の過渡期だったんですね」


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