内なる辺境の人々 × 佐川一政

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内なる辺境の人々

佐川一政

美味しかったというよりも、それは美味しくなければならなかった


文/辻陽介 写真/藤森洋介


(2009年3月/佐川一政宅にて)


「カステラですか。嬉しいなぁ、僕カステラ大好きなんですよ」


 二〇〇九年三月某日、私は都心から少し離れた郊外にある佐川一政氏の自宅を訪ねた。手土産にと持参したカステラを手渡すと、彼は丁重に礼を述べ、西洋風のクラシックな家具が気品良く並ぶリビングへと案内してくれた。


「最近は経済的に厳しくて…、ろくなもの食べてないんですよ」


 そう言ってやや自嘲気味に笑う佐川氏からは、あの忌まわしい過去の面影は感じられない。ただ彼の口から放たれた「食べる」という言葉に、否が応でも二十八年前の事件が脳裡をかすめる。


「ご自身で料理などなされないのですか?」 


 何気のない質問、もちろん言外の意味など孕ませたつもりはない。それゆえ、佐川氏の思わぬ返答に、私はすっかり狼狽してしまった。


「全然しないですね、僕が料理したのはルネの肉ぐらいです」


 一九八一年六月十一日、フランスのパリ第三大学に留学中であった佐川氏は、同じくパリに留学中のユダヤ系オランダ人女性ルネ・ハルテベルトを、「ドイツ語の詩を朗読して欲しい」という口実で自宅アパートに招き、詩を朗読する彼女を背後からカービン銃で射殺、その死肉を食した。俗に言う「パリ人肉事件」である。

 事件後、収監されたサンテ拘置所内で佐川氏がしたためた手記は、『霧の中』と題された小説として出版され、殊に「マグロのとろの様」、「まったりとした感触」といった人肉の味についての生々しい描写が反響を呼び、二十万部を越すベストセラーとなった。


「一体、自分は何をしでかしたのか、混乱した意識を整理したい、そして何より、鮮明な意識の中でもう一度ルネを食したい、そのような想いで書き綴ったのが『霧の中』でした」


 そもそも、佐川氏には『霧の中』を出版するつもりなど毛頭なかったと言う。だが、氏が拘置所の薄闇の中で小さな大学ノートに書きなぐった豆粒の文字群は、彼の目の届かぬうちに世に出され、その圧倒的なリアリズムで文壇に一石を投じた。


「実を言うと、ルネの肉の味をあまり覚えていなかったんです。犯行時は気が昂っていましたし、生で見る死体は想像以上にグロテスクなものでしたから。ですので、『霧の中』は概ね私の願望に基づいて書かれているんです。人を殺めるということは、殺された側の人間のみならず、殺した側の人間の人生をも棒に振る行為ですから、それだけの犠牲を払ってまで食べた肉が不味かったというのでは許されません。美味しかったというよりも、それは美味しくなければならなかった」



「 猿 の 子 」 か ら 「 モ ン ス タ ー 」 へ



 佐川氏は一九四九年に兵庫県神戸市に生まれている。未熟児であった佐川氏は、幼い頃より虚弱体質で、医師からは十歳までもたないだろうと告げられていた。同年代の子供達と較べても著しく身体の小さかった幼年時代の氏は、周囲の者から「猿の子」と揶揄されることもあったと言う。


「小学校にまだ入りたての頃、病弱だった僕は鉛筆のように細い足をしていたんです。周りの男の子たちはみんな僕より健康そうで、いつも歯痒い思いをしていました。ある日、成績も良く運動もできるクラスでも人気者の男の子が体操服に着替えていたんですが、その時、その子の健康そうな太股がぷるぷるっと震えたんです。うらやましい、なんでこうも自分と違うんだろう、あの太股を食べれば僕もああなれるのかなぁ、子供心にそんな事を思っていました」


 健康な肉体を食せば自分も健康になれる、身体に対する過剰なコンプレックスがあったにせよ、それ自体はごくありふれた幼ない妄想であったに違いない。だが、やがて中学生となり思春期を迎えると、その幼稚な妄想は「僕もああなりたい」という当初の目標を失い、ただ「人の肉を食べたい」という倒錯へ屈曲してゆく。また、それは同時期に目覚めた性意識とも癒着し、少年の心に歪なエロティシズムを形成することとなる。



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(応接間の風景。キャビネットに飾られた多数の人形は亡き母の形見だという)


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「人の肉を食べたいなんて誰にも言えませんでした。もちろん両親にも。なにより恥ずかしいという思いが強かったんです。僕にとって性欲とはセックスではなく食人でしたから。高校生の頃、あまりにも辛くて何度か精神病院に電話したこともありました。面と向かって話す勇気はなかったので、せめて電話でと思ったのですが…、真面目に取り合ってはくれませんでした」


 屈折した妄想は、少年の心の内に幽閉されたまま、日増しに肥大し、やがて飽和点へと達する。


「いつの日からか、僕にとって食人は、もはや願望というよりも、強迫観念のようなものになっていたんです」


 一九八〇年、フランスに留学した佐川氏は、毎夜のごとく娼婦を家に連れ込み、その度、背後から銃を突き付けた。しかし、引き金にかけられた人差し指が引かれることはなく、想いはことごとく未遂のうちに途切れた。


「女性の背後に立ち、カービン銃を構え、狙いを定める。そこまでは割と簡単なんです。しかし、そこからは難しい。引き金を引けないんですよ。そこにはものすごく深い溝がある。ジキルからハイドに変わるわけですからね、それも無意識にではなく意識的に。おそらく犯罪者というのは、皆この漆黒の溝を跨いだ人なのでしょう」


 誤解を避けるために言っておきたいのだが、佐川氏はいわゆる快楽殺人者ではない。彼はただ“美しい女性の肉を食べたい”だけであり、人に対して殺意を覚えたことなどは一度たりともなかった。


「美しい女性を見れば、単純に愛おしいと思います。もちろん傷つけたくなんてありません。ですが『貴方の太股を切り取って少しだけ食べさせて下さい』と頼むわけにもいかない。となると…、殺すしかないんです。少なくとも当時はそう思ったんです」


 霧のようなジレンマの中で、佐川氏は三十二歳を迎えていた。一九八一年、事件の年である。


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