内なる辺境の人々 × 根本敬

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内なる辺境の人々

根本敬

チンコ描く人は沢山いたんですけど意外と精子はいなかったんですよ

文/辻陽介 写真/藤森洋介


(2009年6月/青山骨董通りにて)



「うーん、そこら辺については何通りも物語作れるからなぁ」


 少年時代について尋ねると、根本敬はそう言って、快活に笑った。ぶっきらぼうな長髪に無精髭。御年51歳とは思えぬ野性味あふれる風貌からは、一見して堅気の人間でないことが窺える。


「まぁ、小学校にはあまり行ってませんね。小児喘息をもってましたし。実際には行けなかったと言うより、行かなかった、ですけど」


 職業は漫画家。いや、正確に言うと“特殊マンガ家”。それも他称ではなく、飽くまでも自称。そもそも、“特殊マンガ家”という言葉自体、根本敬の全くのオリジナルである。


「昔の学校には特殊学級っていうのがありましたよね。そこからとったんです。まぁ、なんとなくですよ。他にも“特殊マンガ大統領”なんてのもあるんですけど、それも単にページの余白を埋めようと思って一言入れてみただけで。まぁ、せっかく定着したのだから、この際、そこに合わせようっていう。的確な表現じゃないかもしれないけど、妙なコール&レスポンスみたいな感じですかね。受け手と送り手の間でキャッチボールしてるみたいな。それにこれは俺だけじゃないと思うけど、何がヒットするとか、その人のイメージを引っ張るものになるのだとか、後にならないと分からないんですよ。多分その時は、なんとなく、なんです」


 スタンスは至って軽快。とはいえ、一事が万事“なんとなく”という訳でもない。そこには「半径四次元メートル」という、奇妙な制約が付いていたりもする。


「半径四次元メートルの自分のテリトリー内のことだったら、割と流れに任せちゃってますけど、ここはアウェイだなってところでは、失点が少ないように静かにしてますよ。まぁ、食ってくため。今更、転職は難しいですしね」


 謙虚と言うべきか、計算高いと言うべきか。


「まぁ、うわずみのうわずみを食って生きてますから」


 この男、確かに“特殊”である。




特 殊 マ ン ガ 家 へ の 道 程




 漫画家としてのデビューは81年、伝説の雑誌『ガロ』において。


「チンコ描く人は沢山いたんですけど、意外と精子はいなかったんですよ」


 彼の描く漫画は「強烈」の一言。チンコと精子と不条理、その絶妙な三位一体が、しばしば「便所の落書き」と評されるヘタウマな描線に乗って、途方もない密度で凝縮している。


 例えば、精子三部作の内の一つである『タケオの世界』は、放射能を浴び巨大化した精子タケオが、周囲の迫害に合い、様々な艱難辛苦を乗り越えサバイヴするという、初期設定からして早くも破綻寸前の怪作である。


「タケオの世界なんかは自分でも最後どうなるんだろうって思いながら描いてましたよ。アイデアしかなかったですから。まぁ、先におおまかなストーリーがあったとしても、描いている内に変わっちゃいますけど」


 その世界観は筆舌に尽くし難く、こればかりは実際に読んでもらうしかない。ただ少なくとも言えるのは、いずれの作品も、予定調和的な癒しなどとは全く無縁、有害図書路線まっしぐらである。


「ああいうの描いてるのも、ヘタウマだから許されてるとこがある。一人前の絵として扱われてないから。丸尾末広だったら許されないものも、根本敬なら許されるっていうね。逆に言えば…、そこがしめたもんじゃないですか」


 小学五年生だった根本少年にとって、『ガロ』との出逢いはそれこそ未知との遭遇であった。


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インタビューが行われたのは、渋谷区青山の骨董通り沿いにある小さなカフェ。その日は、同じく青山に在するビリケンギャラリーにて開催されていた「根本敬×アイカワタケシの共同個展」の最終日でもあった。写真はビリケンギャラリー内にて。



「実は漫画家になりたかったというわけではないんです。それより『ガロ』という雑誌に参加したいってのが強かったんですよ」


 初めて読んだのは林静一の「花散る街」。その衝撃は、思春期の少年の精神に、ある種のトラウマとなって焼きつき、その後の進路を決定づけることとなる。当時の『ガロ』の存在感について、根本敬は「妖怪みたいなもんですね」と語る。


「そもそも、『ガロ』って名前自体が白戸三平さんの漫画の中に出てくる妖怪からとられていたんです。だってノーギャラなのに、『ガロ』に描きたいって人がわんさかいましたし、青林堂(ガロの版元)の社員だって給料安いのに、競争率は講談社とか集英社の比じゃなかったですから」


 念願であった『ガロ』デビュー。喜びもひとしおであったかと言うと、実はそうでもない。勿論、嬉しかったけど、どこか「当たり前っていう感覚」もあって。自信があったというより「なんていうか、他に選択肢は考えられなかった」から。


「みうらじゅんさんに会った時はよく二人で笑いながら話すんですよ。俺達ってこういう形で世の中に出て、サブカルとかいう枠組の中で仕事しているように見えるけど、考えれば小学生の頃から、いや遡って幼稚園生の頃から、怪獣やらなんやらが好きだったわけで、言ってしまえば丁稚奉公ですよね。だから、そういう意味に於いて、デビューする以前のこととか、なんにも無駄な事はない。ごく自然と今に繋がってるんです」


 折しも時代はサブカルチャー勃興期。湯村輝彦、糸井重里らが仕掛けたヘタウマブームの時勢も手伝い、根本敬は一躍サブカル界の寵児となる。だが、先にあった通り、『ガロ』はノーギャラ。連載の傍ら、学校教師だけが読むような専門誌に掲載される、ランドセルや桜の木のイラストを描いていたこともあった。


「ふられた仕事は何でもやる。それをやってきた人達が結局は生き残ってるんじゃないかな」


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