内なる辺境の人々 × 柴田剛

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内なる辺境の人々

柴田剛(映画監督)

少年時代、日向に落ちてたのがジョージ・ルーカスで、日陰に落ちてたのがエロ本だった

文/辻陽介 写真/藤森洋介


(2010年4月/吉祥寺にて)


 果たして本当にこれを活字に乗せることが出来るのだろうか。


 インタビュー後日、録音テープを編集部で聞き直しながら、私は幾度も自分にそう問い掛けていた。いや、正直に言うとインタビュー収録中すでに、薄々ながら無気味な予感を感じてはいたのだが、その時はその事実から目を逸らしたい一心からか、気付かぬ振りをしてやり過ごしてしまっていたのである。


“会話が会話として成立してない”


 それもそのはずだろう。待ち合せの吉祥寺駅前に現れた時点で、柴田剛はすでに芬々と酒の匂いを漂わせていたのだ。後で聞いた話によれば、その時点でビールの大缶を五缶は空けていたと言うのだから、当然といえば当然である。「いやぁ、僕は本当にニャン2が好きだから、そこに出るって考えたら興奮しちゃって、ついつい」とは本人の弁。精神年齢は二十歳だと言い張るだけあり、そう言ってみせる笑顔はどこか可愛らしくて憎めない。


 誤解を避けるために言っておくが、酔いどれてはいたものの柴田剛の話はどれも最高に面白いのである。ただ、話の流れに一貫性がなく、断片的。その上、飛び出す言葉がかなり辛辣で、社会や昨今の映画シーンに対する批判も、あまりの的確さゆえに逆に誌面に載せるのが憚られるほど。このような事情から、8時間近くに及んだこのインタビューの、その内の約7時間半についてはばっさりと割愛せざるをえなかったわけだが、ただ割愛してしまうには余りに勿体ないと思われる部分も多かったので、別枠『柴田剛・名言集』という形で一纏めにさせて頂いた。そこは何卒ご容赦頂きたい。


 さて、長過ぎる前口上はこのぐらいで切り上げ、まずは柴田剛なる人物を少し説明しておく。この男、ただのニャン2好きの酔っぱらいではない。柴田剛は、現在、日本の映画界で最も先鋭的な映画を作る、若手映画監督の雄である。そのキワどい人柄に呼応するように、作る映画もまたかなりキワどく、例えば4月2日に満を持する形でそのDVD版が発売となった映画『おそいひと』では、重度身体障害者の殺人という極めてショッキングなテーマが描かれている。むろん、この映画、ただ過激さばかりを狙った三流シネマなどでは決してない。映画について全きの門外漢である私が言うのもおこがましいが、この映画の真にショッキングな部分は、障害者という特殊性を、殺人というより特殊な行為の主体に据えることで、逆説的に障害者を健常者と同じ地平に立たせている点にある。詳しい内容は欄外に譲るが、誇張ではなく、ここ十年間で公開された日本映画の中でも五指には入るであろう傑作だ。


 その夜の話は、映画『おそいひと』についてに端を発し、映画論、エロ本論、スカトロ論と、めまぐるしく(本当にめまぐるしく)展開していった。





?『おそいひと』を作ることになったきっかけって何かあったんですか?


「アングラ劇団をやってた僕の先輩が、住田さんのヘルパーをやってて、なんかその人と住田さんでよく酒を飲みながら障害者版『仁義なき闘い』みたいなのをやれないかねっていうような笑い話してたらしいんすよ。んで、そういうことをやれるやつってことで僕の名前があがったみたいなんです」


?柴田さんなら撮れるって思われたんですね。


「しかもその人僕の映画を観たこともないのに(笑)」


?人柄ってことですかね(笑) 


「いや、よく分からない(笑)。んで、最初は断ったのよ。だってその当時は俺まだ若かったから。障害者なんて知らないよって話だった。勝手に生きろよって。で、実際に住田さんと会ってみたら感じ合うところがあって。…(話それる)…で、撮影自体は2000年に8割ぐらいは終ってたんだけど、いったんそこで止まっちゃってたの。まぁ、障害者のことよく分からなくて煮詰まってたってのもあるし、その前に作った映画でこさえた借金やらなんやらで逃げてたってのもあるし。あ、ビールください。…(話それる)…で、2004年にようやく残りの撮影と編集作業をしてなんとか公開できた」


3.jpg柴田剛監督『おそいひと』?いやでも、めちゃくちゃ面白かったですよ。


「ありがとうございます。まじで嬉しい」


?これは個人的な感想なんですけど、あの映画って住田さんが殺人鬼に変貌していく過程の論理が完全に飛躍しちゃってるじゃないですか。一切、言語化されてない。僕はそこに非常に感銘を受けたんですが。


「そこなんす。あれは飛躍というより欠損なの。本当はなんで殺人鬼になっていったかってことを、シーン何個か作って、脚本にも起こさなきゃいけなかったんだけど、当時の俺はそれが出来なかった。だから映画の文法としては間違ってるんだよね。“なんであいつは凶行手段に出たのか”ってところを映画としては観ていくとこなんだけど、その行為(殺人)から始まってしまっている。なんでなんだ、この“なんでなんだ”がいっぱいある。そういう映画になった。でも出来上がったものを観ると、その欠損している部分を見る人が埋め合わせなきゃいけないっていう形になってる。それが魅力になった。完全にお客さんの映画になったなって」






?そうですね。月並みな表現ですけど、色々と考えさせられる映画でした。


「常に背中にはヘルパーがいてさ、見たい景色を一人で見ることもままならない。別に憎悪とかじゃなくてさ、この背中の壁を越えたら何か変わるって、冗談とかなく本気で考える瞬間だってあるんじゃねーのって。例えば交差点でさ、道路を挟んで信号待ってる時にだよ。逆側でさ、“すげぇ変な顔した障害者いると”とかってじーっと見てる奴とかいるじゃん。でも、信号が青になって距離が近付くと目を離していくんだよな。無視するんだよ。そりゃむこうだって悪意や攻撃するつもりがあってそういう態度とってるわけじゃないだろうけど、受け取る側がそれを攻撃だと感じたら、それは紛れも無く攻撃なんだよ。じゃあせっかく映画を撮るんだからありえないことをしようって思ったの。横断歩道ですれ違う瞬間に“無視してんじゃねぇぞ”ってね。そういう伝え方をしてみようと」

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