映画『ピュ?ぴる』インタビュー

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松永大司監督とピュ?ぴるが語る

映画『ピュ?ぴる』について

文/辻陽介 写真/藤森洋介


「性同一性障害」という言葉は誰のためにあるのだろう。

先日公開されたドキュメンタリー映画『ピュ~ぴる』を観て、ふとそんなことを思った。

そう名指される人達のアイデンティティを保護するためか、あるいはそう名指される人達を“咀嚼可能”なものにするためのフツウジンによる方便か…。

いずれにせよ、「名指す」という行為のもつアンビバレントな性格は、善きにつけ悪しきにつけ、少なからず現実を疎外する。多様性は一つの名のもとに統合され、致命的に損なわれてしまう。

現代アーティスト・ピュ~ぴるが果たして性同一性障害なのかどうかは、あまり重要なことではないのだと思う。それは「そうだ」とも言えるし「そうじゃない」とも言える、ナンセンスな問いである。それゆえにピュ~ぴるに対し“性同一性障害の現代アーティスト”という肩書きを付すことを躊躇せねばならない。それが誤っているからではなく、それによって惹起されるであろう思考停止をおそれるがためだ。

本作『ピュ~ぴる』は、ピュ~ぴるの古くからの友人である松永大司監督が2001年から2008年の8年間にわたって撮り続けた、ピュ~ぴるという一人の人間の記録である。「彼」と「彼女」の狭間で悶え、呻きを具象化するように作品を制作し続けるピュ~ぴるの姿は、時に美しく、時に拙く、時に痛々しいほどに青い。そこには性同一性障害というパッケージでは回収しきれない過剰さがあり、剥き出しの人間の慟哭がある。ゆえにこの映画は観る者を攪乱する。

クライマックス、過酷な葛藤の果てに去勢手術を経たピュ~ぴるが、横浜トリエンナーレの観衆の只中、分厚い衣裳から敢然と“脱皮”するパフォーマンスの、その美しさには、誰しも息を飲まずにはいられないだろう。蛹から蝶へ、そんなありきたりなメタファーでさえ、異様な説得力をもつ。

だが一抹の疑問も生じる。「彼」と「彼女」の狭間にたゆたうことをやめ、“モンスター”から女性へと変化(進化?)した今、あるいはピュ~ぴるがピュ~ぴるである必要はなくなってしまうのではないか。アーティストとして、創作のモチベーションが失われてしまうのではないか…。

映画『ピュ~ぴる』劇場公開の翌日、松永監督とピュ~ぴるに話を聞いた。


ーまずこの映画の撮影が開始されるに至った経緯をお聞きしたいのですが。

松永 もともと、僕とピュ~ぴるは10代後半の頃から友達だったんです。『GOLD』ってクラブに毎週通って遊んでいて、それでお互いに知っていたんですけど、でまぁその『GOLD』がなくなりまして、そこから2、3年は会ってなかったんです。それがあるキッカケにより再会しまして、まぁ色々と話をしているうちにピュ~ぴるから「自分の生き様を撮って欲しい」と言われたんです。こういう話を後からするとさも劇的な出来事のように聞こえちゃうかもしれないんですけど、実際は普通にお茶をしながらごく軽い感じだったんですね。その頃は僕自身もちょうど「映画を撮ってみたいな」と思ってたというのもあり、「じゃあ、撮ってみる?」みたいな感じで…。それで友達から借りてきたカメラで、2001年になんとなく撮り始めたんです。友達がパーティーとかで適当に撮ってるのと一緒。そういう感覚で始まった。一応、映画にしようというのは話としてはあったけど、こういう形で発表されることになるとは予想だにしてなかったですね。

ーその感覚に変化があったのはいつ頃でした?

松永 2年目くらいですかね。最初の1年はなんとなく撮ってた感じが強く、でも撮っているうちにこれは作品にしなければいけない、と。時間の長さではなく、撮り続けていくうちに自分の中できちんと映画を作りたいって意識が強くなっていったんです。ちょうどその頃、ピュ~ぴるの中にも作家として物を作るっていう意識が明確に出てきていて、ピュ~ぴるの言葉、なんで物を作るのか、あるいは作りたいのかというのを聞いてる内に、この人のもってるメッセージや伝えたいものというのをカメラで撮ることで伝えることができればと思ったんです。まぁ自分が伝えたいこととも非常に近かったというのもあるんですが、ささやかだけど自分の作品で世の中を変えたいんだという部分に共感できた。

―ところでピュ~ぴるさんはなぜ「生き様を撮って欲しい」という風に思われたんです?

ピュ~ぴる 他人にいうとシリアスに聞こえるかもしれないし、あるいはそこに大きな意味を求めるのかもしれないですけど、実際は本当に気軽なものだったんです。彼が「映画撮りたい」って話を以前からしていたので「じゃあ私を撮ってよ」みたいな。ただ「撮ってよ」って言葉は気軽に言ってましたけど、当時ニットの作品を私は全力で作っていて…、情緒不安定の時でもあったんですね。いつ死ぬか分からないってどこかで常に思っていて、このままアーティストとして無名のまま、半年後、一年後に死んでしまうことがあっても、こういう人が生きてたっていう、自分の思いみたいなものを一人にでも伝えたいなっていう気持ちはありました。そういう意味では無意識下で遺書の作成を依頼したのかもしれません。

ーアーティストとしてだけではなく、一人の人間として?

ピュ~ぴる そうですね。それは常にあります。

ー実際にカメラで撮られてみてどうでした?

ピュ~ぴる 最初の頃はカメラが回ってることにまず慣れてないので、単純にカメラを意識してしまったりというのはありましたけど、彼と会う時はいつもカメラを持っていたんで、そういうのが繰り返されることで段々意識しなくなっていきましたね。洋服と一緒でカメラが付いている、大司のアクセサリーみたいに思ってました。

ーでは作品内のピュ~ぴるさんの言葉は、カメラに向けられた言葉というより、監督に向けられた言葉?

ピュ~ぴる そうですね。人と人で話したいっていつも思ってるし。フィクションは全く求めていなかったので。彼に対していつも喋っていました。

ー撮影期間は計どれくらいですか?

松永 実は今でも撮っているんです。最初から2本の作品にしようと思っていたんで。今回の作品に関しては8年分、現在で11年目になります。

ーもはやピュ~ぴるを撮ることがライフワークのようなものですね。

松永 そうですね。一時期はピュ~ぴると会ってもカメラを回さない時期というのがあったんですけど…、本当に色んなことが起こる人なんで、撮ってない時に色々なことが起こってしまうと、あとで「撮っとけば良かったな」と思っちゃう自分がいて。それはゴシップ的な意味ではなくて、残しとかなきゃいけないんじゃないかと思うんです。伝えるべき存在なんじゃないか、と。

ー撮影をしながら学ぶことも多かった?

松永 多かったですね。僕だけの人生であれば到底味わえないであろう経験をたくさんしました。きっと撮ってはいるんですけど、それ以上にその瞬間をピュ~ぴると共に生きているということの方が優先になっている気がします。例えば去勢手術の時なんかは「撮っている」っていう意識は殆どなかったですね。とりあえず三脚をたててカメラのスイッチは押しましたけど、あの時に起こっていた現実というのがやはり凄くて…、目に見える惨状ではなくて、ピュ~ぴるの発する言葉や起こっている事実が僕の想像を遥かに越えていました。僕も去勢手術の意味は分かっていたんですが…、それ以上に目の前の出来事に圧倒されていましたね。

ー実際に完成した作品、自分のドキュメンタリーを観て、いかがですか?

ピュ~ぴる 実はまだ観てないんです。ロッテルダム国際映画祭のプレミアで最初の10分くらいとエンドロールくらいを観た程度で。なぜかというと、私にとって8年前ってとても昔の話なんですよ。その間に走ってきた時間があまりに濃密だったので…、ビジュアル的な変化もそうですし。例えば2001年当時のヒゲが生えてる自分っていうのをちらっと観た時に怖いと思ったんです。その濃密な時間を客観的に観るのには時間と覚悟が必要だと思うのです。でも今はそれも含めて全然観れる準備が整ったとは思います。話していることの幼さとかも含めて。だから観ようとは思ってるんです、劇場で。こっそりと(笑)。 だからその時どう思うかはまだ分からないです。

ー撮影開始当時からピュ~ぴるさんは自身のセクシュアリティを明確に意識していたんですか?

ピュ~ぴる ゲイであると言う以外は全く意識してはなかったです。潜在的にはあったとは思うんですけど、2003年に法的に戸籍の性別を変えることが日本でもようやくできるようになったんですが、その頃に初めて性同一性障害という言葉を知ったんですね。もちろん小さい頃からオカマとかニューハーフという言葉は知っていたんですが、自分がそうだとは思わなかった、というより違和感を感じていたんですね。自分が当て嵌まるとは思えなかったんです。ただ、昔から心は女だと思ってましたね、ことに恋愛においては。でも普段、アーティストとして活動している時は、いわゆる男性的な脳みそで動いてる部分も多いんです。なんかスイッチの切り替えみたいなものがある。一般的な性同一性障害と呼ばれるものからは、私は少しズレてるんですよ。

ーズレてる?

ピュ~ぴる それはドクターにも言われました。あなたは性同一性障害ではあるんですけどもアーティストをやっていることを含め特殊だって。私の中には24時間女でありたいっていう願望って当時もなかったし今もないんです。ただ、物を制作している時間じゃないとき、日常生活においては生きづらさってやっぱあるんですよ。特に過渡期においては。私は2003年から女性ホルモンを摂りはじめたんですが、外見の手術もその頃初めて…、例えば性器のオペレーションはしていなくても、見た目は女性であったりしたわけです。そうなると、例えば外国に行く時なんかに、パスポートが男性なのにビジュアルが女になっていたりすると面倒くさいことが起こるんですよ。病院なんかでもそうですが…、まぁそういうものが疎ましいというのもあり、自ら自分の尻を叩くように女性化を加速させていったというのもあったんです。


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