ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 016

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第十六回

山岸凉子 『日出ずる処の天子』



 日本のエロスと権力の切り結ぶ書物を求めて、戦国期から遡ってきた本欄だが、源氏物語まで遡ってきたところで、はたと筆者は立ち止まらざるを得ない。


 平安前期は唐風文化華やかなりし時代であって、エロの匂いより抹香臭さの勝った時代である。さらに遡った万葉の時代は、確かに恋歌こそ数多いが、やや微温的なものが多く、本欄に取り上げるには物足りない。そこで今回は飛鳥時代に遡り、山岸凉子の手になる少女マンガの傑作『日出処の天子(ひいずるところのてんし)』を取り上げることにしてみたい。


 よく知られている通り、本書は聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのおうじ)が、ホモセクシュアルで超能力の持ち主であった、とする設定の長編マンガである。だが、そこだけ聞いて「なんだ、トンデモ系のマンガか」と片付けてはいけない。本書はこうした奇想天外の要素を盛り込みながらも、できうる限り史実と矛盾を来さぬよう、細心の注意を払って描かれた、壮大な歴史のパズルだからである。


 たとえば本書中には、未亡人となった皇太后を、とある王子が強姦しようとする場面が出てくるが、この話は日本書紀にも記されている、紛う方なき事実である。日本書紀ではごくあっさりと片付けられているが、山岸は大胆に想像力を駆使し、この異様な事件が持っていた政治的背景をあぶり出し、読者の前に提示してみせるのである。


 あるいは、のちに太子の妻となる刀自古(とじこ)が、ライバルであった豪族、物部氏の男たちに強姦されるエピソード。この話は史実には記されていないが、刀自古の父は蘇我氏の出身、母親は物部氏の出身で、対立する豪族同士の間に生まれた人だった、というところまでは史実に基づいている。つまり刀自古の父母は敵同士だったわけで、この強姦の話には、なかなか説得力があるわけだ。


 こうした大胆な推論を幾重にも重ね、本作の作者、山岸涼子は、混沌とした飛鳥時代のエロスを描き出す。そこでは誰もが男女両色のエロスによって、互いを絡めとろうとし、権謀術数を張り巡らして、権力ゲームを繰り広げているのである。


 面白いのは本書中で描かれる「花郎(ふぁらん)」という新羅人の集団と、聖徳太子との関わりだ。花郎はこの当時の新羅に実在した貴族の結社。作中ではこの花郎に属する男を、太子は手足のように使いこなし、さまざまな陰謀を仕掛けていく。太子が花郎を意のままに操った史実はないが、この設定、実に巧いところを突いているのだ。


 というのも、花郎は男だてらに化粧を凝らすことで神懸かり的な能力を発揮した、美形男子の戦闘集団で、同性愛的な結合によって団結力を高めたことや、弥勒菩薩を信仰したことで知られている。太子と弥勒信仰のつながりは、広く知られた事実だし、もし太子がホモセクシュアルであったとすれば、太子と花郎のつながりも、一定の説得力を帯びてくるのである。


 また、本書における聖徳太子は、女性と見まがうほどの美貌の持ち主であり、しばしば女装して敵陣深くに忍び込み、政敵や恋敵を暗殺していく。無論こんな史実はないが、実は古代社会における「女装した暗殺者」のイメージは、それほど奇妙なものではない。朝鮮半島には先に挙げた花郎の伝統があり、我が国にも女装して熊襲の長を暗殺した、ヤマトタケルの故事が伝わる。女装して敵を暗殺する太子のイメージは、こうした古代の伝統に基づいているのだ。


 かように本書はさまざまな史実の断片を、ジグゾーパズルのように組み合わせ、それまでとはまったく異なる聖徳太子の姿を、見事に描き出していく。そこに浮かび上がるのは、権力奪取のために暗躍する、冷徹なマキャベリストの姿なのである。


 本書の語るところによれば、太子が就いたという摂政の座も、天皇を凌ぐ権力を手にするための、強力な権力装置だったということになる。超能力やホモセクシュアル云々はさておき、のちの摂関政治を思えば、この見方には相当の説得力があると思うが、読者諸氏はどうご覧になるだろうか。


 本書はその末尾において、太子が少年期から想い続けてきた恋人を失うと同時に強大な権力を手中にし、東アジアへの壮大な外交政策を練るところで終わっている。永年の想い人を失った太子は、もはや何の情熱もなく、淡々と計画を実行していく。


 太子の本格的な政治的実践が、個人的エロスの断念と同時に始まるこのラストは、大きな示唆に富んでいると私は思う。本欄で幾度となく繰り返してきたように、権力者がエロスをその手段として弄する時、決まって世は乱れ、体制は崩壊する。本書における聖徳太子は、自らの恋を諦めることで、無常の権力を手中にする。エラい人はエロい人であってはならないのである。







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#31【日出処の天子】
(全十一巻)
山岸凉子



樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



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