ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 018  

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第十八回

阿刀田高 『私のギリシャ神話』

阿刀田高 『ギリシア神話を知っていますか』



 神話の時代に遡ると、神々や権力者が自由自在に、エロスと権力の双方を楽しんでいたことがわかる。我が国の古事記の神々がそうであるように、ギリシャ神話の神々もまた、エロスを自在に楽しんでいた。


 だいいち、エロスという言葉そのものが、ギリシャの性愛の神、エロスに由来するのだから、もはや何をか言わんや、である。エロスは別名をキューピットといって、その矢に当たると恋に落ちる。このエロスのいたずらのおかげで、ギリシャの神々はのべつまくなし、恋に落ちることになった。


 なかでも惚れっぽい神様は、全能の神たるゼウスである。ゼウスはヘラという女神を自分の妻にしていたが、しょっちゅう浮気ばかりして、ほうぼうで女性や女神を犯し、子どもをつくってばかりいた。女房のヘラは嫉妬深く、浮気がバレると爆発するので、たいていゼウスは正体を隠し、牡牛に化けたり白鳥に化けたり、お忍びで女性に近づいてこれを犯す。変身した姿で油断させて、急に正体を現して犯すのである。


 ゼウスにはスカトロの気もあったようで、ひどいときには黄金の雨に化けて、女性をびしょ濡れにしたりする。だいたい不本意な強姦なので、やられた女性はさめざめと泣くが、そのたびにゼウスはこう慰める。


「ま、ま、泣いたらアカンがな。子どもが生まれたらエラい神様にしたるさかい」。


 収まらないのはヘラの怒りで、浮気相手の女性には、毎回どえらい呪いをかける。クレタ島のミノス王の妻、パーパシエーも、ヘラに呪いをかけられた。おかげで牡牛が好きでたまらない、変態性欲の持ち主になってしまう。こうして産まれ落ちたのが、牛頭人身の怪物、ミノタウロスである。


 ギリシャの神は牛だけでなく、当然のように馬とも交わる。大地の神であるクロノスは、女房にバレぬよう馬に化けて、こっそり妖精と浮気していた。このため生まれてきた子どもが、半人半馬の姿になった。こうして生まれてきた神が、下半身が馬の神、ケイロンなのである。


 牛頭人身や半人半馬だけではなく、ビジュアル的に衝撃的な神々が、ギリシャ神話には数多い。たとえば月の女神として知られるアルテミスは、無数の乳房を瘤のように身にまとい、まるで葡萄のようなシルエットになっている。アルテミスは人身御供の儀式で知られた女神で、その神殿を発掘したところ、大量の人骨が出てきたそうだ。エロスとタナトスが結びつくのは、世界じゅういずこも同じようである。


 このほか、自分自身に恋をしたナルキッソスや、人形に恋をしたピュグマリオン、自分の父親と寝てしまい、ミュルラの木に変身してしまう王女ミュラなど、異常な性愛の例には事欠かない。ヤってはいけない欲望、願望のありったけが、縦横無尽に語られる。それがギリシャ神話なのである。


 かように多型倒錯的な、あらゆる性愛が語られるのが、ギリシャ神話の世界なのだが、わけても印象深いのが、エロスとプシュケの恋物語である。


 エロスは人間の娘のプシュケと恋に落ちるが、美の女神、アフロディーテの嫉妬を買って、離ればなれに引き裂かれる。アフロディーテはさまざまな苦難をプシュケに与えるが、彼女はすべてを乗り越えて、ついに二人は結ばれる。言うまでもないことだが、エロスは性愛、プシュケは魂を意味する言葉である。性愛が魂と結ばれて、真の愛になるためには、大変な艱難辛苦を経なければならない、ということの寓意でもあるだろうか。


 さて、本欄は基本的に書評のコーナーなので、ギリシャ神話を収めた書物を紹介しなければならないが、実はギリシャ神話には、いわゆる正典が存在しない。古事記にしても聖書にしても、多くの神話体系では「これは間違い、こっちが本物」という選り分けが行われ、正典が編まれた。ところが詩や演劇が盛んであったギリシャでは、こうした正典化より先に、神話を素材にした文学作品が、いくつも登場してしまったのだ。


 このため、互いに矛盾する話は数多く、実話もあれば想像上の出来事もあり、作家のアイデアによる改変も混ざっている。エピソードの順番も曖昧で、全体像が掴みにくいことこの上ない。神話が語られた時代から何百年も経って、無理矢理まとめた著作もあるが、これは極端に読みにくい。


 もともと混沌とした神話群なのだから、無理にまとめたものを読むより、作家が自由な想像力で、面白いエピソードを綴ったものを、好きなように読んだ方が良いだろう。私がここでお薦めするのは、作家、阿刀田高の手になる『私のギリシャ神話』『ギリシア神話を知っていますか』の二冊である。教養豊かで独自の推論も混じり、面白く読めること間違いなしである。








b01.jpg#33【私のギリシャ神話】 (著・阿刀田高)b02.jpg#34【ギリシア神話を知っていますか】 (著・阿刀田高)




樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



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