樋口ヒロユキ ソドムの百二十冊 #33 上山安敏『魔女とキリスト教』

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第三十三回

上山安敏『魔女とキリスト教』



★魔女は古代の女神信仰の残滓か?



 キリスト教では伝統的に、女性嫌い(ミソジニー)の傾向と同時に、性への嫌悪や禁忌の意識が強い。特に十二世紀以降は性交を罪と考える傾向が強まり、姦通や婚前交渉は言うに及ばず、結婚後の激しい性交さえ罪悪視されるに至ったという。こうした過剰なまでのエロスへの忌避を嘲弄するかのように催されたのが魔女の集会、サバトであった。
 上山安敏『魔女とキリスト教』によると、かのフロイトは魔女が跨がるホウキを指して「あれは男根だ」と指摘したという。誠にその言葉通り、そこではあらゆる性的な逸脱や放埒が展開され、しばしば乱交的な儀式が行われていたそうだ。ご存知の通りヨーロッパでは、かつて魔女狩りの嵐が吹き荒れた時代があるが、こうした魔術的エロスの祝祭に対するキリスト教サイドからの逆襲が魔女狩りだったのだと言えよう。


 ただし、魔女狩りはエロスとキリスト教の対立から始まったものではあっても、そのあり方や原因は多様で、決して一枚岩の現象ではなかったようだ。時代は十五世紀から十七世紀に渡る約三百年という長期間に渡り、地理的にも全ヨーロッパはもちろん、新大陸も含む広範囲に渡って蔓延している。同書はこうした魔女狩りの多様性に目を配り、注意深く記述していく。
 魔女狩りの対象となったもののなかには、キリスト教以前からヨーロッパ各地で信仰されてきた大地母神信仰、つまりはエロティックな儀礼を伴う民間信仰が紛れ込んでいたようだ。こうしたキリスト教以前の民俗信仰が、先進地域の教会によって「発見」され、魔女として指弾されたのが魔女狩りだったというのが同書の主張である。


 実際、たとえば我が国の祭りや神事などを振り返っても、仏教とも神道ともおよそ無縁な、太古の宗教の名残りのような奇祭や奇習、まじないの類いはいくらでもある。キリスト教伝道以前のヨーロッパに、民間信仰がいっさい存在しなかったと考える方がよほど不自然な考え方だ。「魔女=古代宗教の名残り」という考え方は、日本人にはごく自然なものに思えてしまう。また、前節のメリュジーヌ伝説にも見られる通り、こうした古代的な宗教の残滓は、貴族の起源神話の中にすら見受けられることがある。土俗信仰としてキリスト教以前の信仰が残っていても、何の不思議もないのである。
 ところがキリスト教を内面化してしまった現代のヨーロッパでは、こうしたキリスト教以前の信仰を認めるということに、強い心理的抵抗があるらしい。同書では魔女狩りについての実に幅広い領域の研究を紹介し、その百家争鳴の議論を振り返っているが、魔女=古代宗教説に対しては、かなり執拗な批判があったようだ。



★山岳地帯の女神信仰と魔女集会



 上山によると魔女狩り研究の分野では、歴史学者や考古学者、民俗学者や精神分析家が入り乱れて論争し、なかでも文献を重んじる歴史学者と、非文字史料を重んじる考古学者や民俗学者の対立は熾烈をきわめたという。「古代の大地母神信仰こそが魔女のルーツである」とした考古学・民俗学者に対し、文字史料を重視する歴史学者は「証拠となる史料がない」と批判。魔女=大地母神信仰説はファンタジーだと論難したのだ。
 こうした研究者のほとんどはキリスト教徒、つまりこの問題の当事者であるため、各々の宗教的な立場も絡んで論争は激化したようだ。特に紛糾した点は、魔女狩りという愚行の責任が教会にあったか否か、という点である。「カソリック教会主犯説派」を唱える者もあれば「民衆主犯説派」を唱える者もあり、犠牲者の人数一つとっても数万人から数百万人とまちまちだ。このあたり近現代史における虐殺事件をめぐる論争とよく似ている。大規模な死者の出た事件の研究は、古今東西、公平にやるのは難しいようだ。


 上山はこの対立を解くにあたって、魔女狩りが行われた地域に着目する。ある時期までの魔女迫害が集中したのは、アルプスやピレネーのような山岳地帯の農村部である。これら山間部に細々と残っていた古い民間習俗の祭り、なかでも性的放縦を含む祝祭が、都市部の教会によって「サバトである」と指弾されたのだと上山は見る。
 こうした山岳地帯には、太古の女神信仰が残存していたはずだ。ところが当時の山岳農村部では、まだ文字文化が浸透していない。当時の土着信仰の文字史料が残っていないのは、そうした信仰がなかったからではなく、記録に残そうにも文字を知らなかったからなのだ。こうして上山は文献派の歴史学者の論難を退けるのである。


 上山によれば魔女狩り以前、こうしたヨーロッパの農村部では、性的規範はごくゆるやかなものだったという。裸でいることもタブーではなく、主人と奴隷、男女が同じ部屋で夜を過ごし、寝るときも裸が普通だったらしい。自慰行為もタブーでなく、母親が赤ん坊をあやす際にはペニスを触ることがごく自然な動作だったそうである。
 また、婚前交渉もごく普通のことで、特に四季折々の祭りの際には性交渉の機会が爆発的に増え、祝祭シーズンの九カ月後には出生率が跳ね上がったとするデータもあるのだそうだ。このあたり日本人から見れば「まあ、わからんでもない」話だとも言える。実際、大阪の岸和田市では現在でも「だんじり祭り」のあとはラブホテルが満杯になると聞く。だが、のちのやたら禁欲的なキリスト教文化に照らして考えると、やはりこれも異様な風習に見えるのかもしれない。



★エロスへの過度の禁制がエロスの暴発を生む



 こうした農村部の中世的なエロスのあり方への抑圧は、魔女狩りと同時代的な現象として進行した。このことを考えれば、魔女=大地母神信仰説は信憑性を増す。このほか多くの産婆が魔女として断罪されたという事実も、エロスや生殖と魔女狩りの関係を示唆するものと言えよう。
 ただし魔女狩りはある時期以降、キリスト教倫理と民俗的エロスをめぐる対立という軸から離れ、近年の「いじめ」にも似た一種の集団ヒステリー状態へと変質していく。最後は根拠のない密告合戦となり、魔女裁判の裁判官やその妻までが魔女として密告され、被告席に立たされる末期症状を呈するに至った。魔女狩りが都市部へと飛び火していくのはこうした時期の出来事である。


 もちろん、こうした後期の魔女狩りには、大地母神信仰の名残りなどいっさいない。むしろそれは都市の精神病理が生んだ大衆ヒステリー現象である。したがってこの時期の魔女狩りでは、その担い手も教会から民衆へと移って行ったと上山は見る。つまり過密な都市に押し込まれた民衆のヒステリーによって、魔女狩りが行われるようになったのである。実に見事な整理というほかない。
 上山によれば西洋の社会が人権の尊重や拷問の禁止といった概念を生み出していった背景には、魔女狩りに対する反省があったという。著者の上山安敏は西洋法制史、なかでもドイツのそれを専門とする法学者で、おそらくはそうした関心から魔女狩りの歴史へと踏み込んだのだろう。


 魔女狩りでは往々にしてサディスティックな拷問が行われたほか、魔女に特有のイボやアザを確かめると称して、無辜の女性を全裸にするなどの蛮行が横行していた。教会はおおらかなエロスを禁じるいっぽうで、自らの性欲をサディスティックに歪ませ、魔女狩りという形で暴発させたのである。エロスへの過度の禁制は、別の形でエロスの暴発を生む。魔女狩りの歴史が語るのは、そうしたエロスの孕む逆説なのである。






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上山安敏『魔女とキリスト教』






樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



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