樋口ヒロユキ ソドムの百二十冊 #37 デイヴィッド・スカル『ハリウッド・ゴシック―ドラキュラの世紀』

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第三十七回

デイヴィッド・スカル『ハリウッド・ゴシック―ドラキュラの世紀』



★世紀末生まれのエロティックな怪物



 キリスト教は比較的、性に対して狭量な宗教である。こうした宗教の支配する文化圏でエロスを描こうとすれば、必然的に異教的で背徳的なものになるのだろう。サロメしかりメリュジーヌしかり、幾多の魔女伝説しかり。ドラキュラも近代に生まれた、背徳的エロスの表象と言えるだろう。
 実際、十九世紀末に誕生した吸血鬼のドラキュラ伯爵には、どこかエロティックな趣がある。もともとはSF作家でホラー評論家に転向したデイヴィッド・スカルは、その著書『ハリウッド・ゴシック―ドラキュラの世紀』で、こんなふうに書いている。


 「ほとんどのモンスターは獲物を捕らえ手荒く扱う。言葉巧みに言い寄ったあとで命を奪うのはドラキュラだけである。(略)エナメルの靴を履き髪にはポマードをなでつけ、礼儀や社交といった我々の慣習をまね、図々しくもカモフラージュのために利用する。(略)犠牲者に忍び寄るのに好都合だからである」


 同書はドラキュラ誕生の前夜から、もっとも初期の映画である「魔人ドラキュラ」の公開までの約三十年を中心に、ドラキュラの歴史を描いた書物である。本書はドラキュラを巡る実に多彩なエピソードを紹介するいっぽう、ドラキュラを巡るさまざまな批評も一望しているが、その多くはドラキュラのエロティックな側面を指摘している。やはりこの十九世紀末生まれの怪物とエロスとは、紙一重なのだろうと思う。



★野蛮なレイピストだったドラキュラ伯爵



 スカルの指摘するところによると、ブラム・ストーカーによる原作版のドラキュラは、当時の骨相学を手がかりに「犯罪者タイプ」の顔として構想されたという。毛むくじゃらで口臭のある原作版ドラキュラは、紳士的な映画版とは似ても似つかぬ、まるでレイピストのような怪物である。
 こうした外貌が災いしてか、ドラキュラにはフェミニストからの強い批判が浴びせられることがあるといい、スカルはそのうちのいくつかを本書の中で紹介している。曰く「アンチフェミニズムの強迫観念を持つ書物」、曰く「性的行為としての殺し」といった具合である。著者のスカルはややフェミニズムとは距離を置いているようで、若干呆れ気味にこうした見解を紹介している。


 なんでもかんでも女性蔑視に結びつける原理主義的フェミニズムには共感できないが、ことドラキュラに対するフェミニストの評言については、結構痛いところを突いているように思う。「性的行為としての殺し」というフレーズを書きつけたアンドレア・ドウォーキンはアメリカの戦闘的フェミニストだそうだが、ある意味で最大級の賛辞のようにも読めて、ゾクっとする表現だ。
 さて、ブラムの死後の一九二二年、ドイツ人監督F・W・ムルナウによって撮られた吸血鬼映画「ノスフェラトゥ」が公開される。ドイツ表現主義ホラーの名作とされる本作の吸血鬼は、どういうわけかツルっ禿で、まるでビックリ箱から飛び出すように棺桶から飛び出してくるというものだった。著者はここに勃起のイメージを読み取っているが、フランスのロジェ・ダドゥアンという批評家も、この吸血鬼を「歩く男根、あるいは“男根主義者”。」と評したそうだ。


 確かにツルっ禿の吸血鬼が直立する姿は勃起した男根にも見えるし、それだけに原作以上の強姦魔的イメージでもある。だが、ブラムの妻であったフローレンス・ストーカーは、この野蛮な姿がお気に召さなかったようだ。しかもこの映画は遺族であるフローレンスにまったく無断で作られた「海賊版」だったため、その後数限りない揉め事を引き起こしていくことになる。
 夜会服にマントのいでたちで紳士的に話すドラキュラが初めて登場するのは、一九二四年に英国内で上演された舞台版でのことだった。この演出を編み出したのは、田舎向けメロドラマの巡業公演で人気のあった、ハミルトン・ディーンという俳優の一座だったそうだ。この演出はバカ当たりしてロングラン公演となり、地方公演からロンドン公演へ、さらには海を渡ったブロードウェイでの公演へと登り詰めることになる。



★大恐慌に滅びゆくエロスを思う



 このアメリカ公演で伯爵を演じたのが、ドラキュラ役者として高名な、かのベラ・ルゴシである。のちにドラキュラのトレードマークとなる、ゆっくりとした催眠的な台詞回しは、ルゴシがハンガリー出身で英語が不自由だったことから生まれたものだ。それまで興行的には成功していても、批評的には「B級作品」の烙印を押されてきたドラキュラは、このルゴシの重厚な演技で一変する。野蛮なレイピストから高貴な誘惑者へと、ドラキュラは変貌したのである。
 ブロードウェイ版ドラキュラの成功を見たハリウッドは、トーキー映画版ドラキュラの製作に乗り出す。この映画化を巡っては、フローレンスと英国版、ブロードウェイ版の演劇プロデューサー、そして複数の映画会社が、虚々実々の交渉合戦を繰り返したという。交渉の過程ではドイツの海賊版「ノスフェラトゥ」の存在も複雑に絡み、ドタバタ劇は約三年も続いたそうだ。


 最終的に権利を取得したのはユニヴァーサル映画社だった。主役を射止めたのはブロードウェイ版で成功を収めたベラ・ルゴシ。監督はのちに実際の畸形者たちを出演させて賛否両論の嵐に曝された映画「フリークス」で知られるトッド・ブラウニングだったが、映画は最悪に近い出来栄えだった。
 なにせ時は大恐慌直後、会社はギャラや予算を値切り倒し、主演のベラ・ルゴシは撮影中からご機嫌ナナメ。監督もやる気がなく、同じアングルが三分も続いたりした。おかげで仮編集を見たユニヴァーサルの首脳は激怒、無駄な場面のカットを指示したが、前後のつながりのおかしなシーンが続出した。そのほか照明機材が映り込んだショットがあったりタイトルロールに誤植があったり、惨憺たる出来栄えになってしまった。


 ところがこの「魔人ドラキュラ」という映画、空前の大ヒット作品となり、ユニヴァーサルの経営を立て直すほどの大入りとなったというからわからないものだ。一体何がウケたのか。著者のスカルはその理由を、主に二つ挙げている。その一つはトーキーになって初めてのホラー映画だったということ。そしてもう一つのヒット要因は、まさに大恐慌直後の作品だったからだという。一体どういうことだろうか。


 本作でドラキュラの犠牲者となる女優のフランシス・デイドは、大恐慌直前の乱痴気騒ぎ、ジャズエイジの雰囲気を漂わせた新人女優だった。その彼女が病み衰えてドラキュラの毒牙にかかる姿は、まさに大恐慌によって滅び去ろうとする、黄金の二〇年代のように見えたのだと著者は述べる。つまり観客はドラキュラに襲われるフランシス・デイドの姿に大恐慌後の自分自身の姿を重ね、そこにカタルシスを感じたのである。
 おそらく観客の多くは「黄金の二〇年代」のバブルにはしゃぎ過ぎたツケを支払う形で三〇年代の憂き目を味わっていたのだろう。だが銀幕で怪物に襲われるフランシス・デイドの姿は、そうしたバブル崩壊後の落日を、あたかも貴族的で神秘的な没落、衰退のように感じさせたのに違いない。



★大恐慌時代のドタバタ劇のあとで



 ちなみに「魔人ドラキュラ」には、まったく同時期に別キャスト、別スタッフで撮られたスペイン語版があり、本書はこのスペイン語版を高く評価した最初の書物である。残念ながら私は未見だが、ハリウッド版のスタッフ、キャストが帰ったあと、同じセットで夜中に撮影されたものだという。つくづく夜とエロスに縁の深い映画である。
 さて、この映画の権利関係を巡るドタバタには、あっと驚くオチがついている。詳しくは本書をお読みいただきたいが、実は全員がフローレンスの掌の上で踊っていただけであり、まったく無用のドタバタ劇を演じていただけだったのだ。フローレンスはかつて『サロメ』の著者オスカー・ワイルドから求婚され、ラファエル前派の画家たちが争って絵のモデルにしたという美貌の持ち主。ドラキュラを巡る男たちは運命の女フローレンスに、見事に翻弄されたのである。


 この書物は三〇年代の話が中心で、以降はあっさりと触れられているに過ぎないが、私自身は本書の訳者と同じく、七〇年代の英国製ドラキュラ映画を見て子ども時代を過ごした。当時ドラキュラを演じた俳優のクリストファー・リーは、いかにも英国紳士といった雰囲気で、三〇年代のそれとはまた別種の色気があったものだ。
 彼がブロンドの美女ののど笛に牙を立てる場面では、いつもうっとりと陶酔しながら「自分にもこんな牙があればいいのに」と思っていた。いま思うと、それはおそらく子ども特有のリビドーの発露だったのに違いない。いずれにせよドラキュラがエロスと不可分に結びついた怪物であることは、間違いのないことだろう。





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デイヴィッド・スカル『ハリウッド・ゴシック―ドラキュラの世紀』






樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



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