樋口ヒロユキ ソドムの百二十冊 #39 森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』

000

sodom_top.jpg



第三十九回

森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』



★虚構の遊里巡りと遊女への憧れ



 ここまで本稿は基本的に自由恋愛におけるエロスを扱ってきたが、ここからしばらくは売買されるエロスについて経巡ってみたい。いわば虚構の遊里巡りであり、読者も一献傾けながら、遊里の世界の漫遊におつきあい願えれば幸いである。
 さて、いつだったかテレビで女性のお笑い芸人の方が、尊敬する職種が遊女だと仰るので驚いたことがある。なんでも江戸時代に生まれ変わったら、彼女は遊女になりたいのだそうだ。この方は以前から好意的に思って見ていた芸人嬢だったが、これはずいぶん突飛な発言だなと驚いた。彼女は不思議ちゃんキャラの人だったので、あえてそういう発言をしたのかもしれない。


 とはいえ彼女の発言に限らず、似たような心持ちは私たちの心のどこかに、多かれ少なかれ存在しているような気もする。というのも、お芝居や映画の中に描かれる遊女は、もっぱら華やかな面にスポットが当てられるからだ。実際、遊女は往時のファッションリーダーであったとか、粋でいなせで教養もあり、人気遊女になるとしばしば浮世絵や芝居のモデルにもなったため、一種アイドル的な存在であったとも言われる。
 では実際のところ、どうだったのか。そんなわけで手にとったのが、ここにご紹介する森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』である。著者の名前は森光子だが、もちろん先頃亡くなった女優の森光子ではなく、大正末期に実際に吉原にいた同名の花魁である。本書は彼女が吉原の遊郭に売られてきてから、約二年後に決死の思いで脱出するまでを綴った日記であり、底本の刊行は大正一五年(一九二五)。女優の森光子は大正九年生まれなので、同一人物ではあり得まい。



★嘘に騙されて売られていくまで



 本書はごく普通の少女だった著者が、親の借金を肩代わりして、吉原に売られていくところから始まる。間を仲介するのは周旋屋なのだが、この周旋屋がひどい男で「騒いで酒のお酌でもしていればそれでよい」とか「食い物だって東京の腕利きのご馳走ばかり」とか「お金にも不自由しないし着物は着られる」とか、挙げ句は性交渉を持ちかけられても断れるかのように言いくるめて、著者を吉原に送り込むのである。当然ながら、どれもこれも真っ赤な嘘だ。
 そもそも遊郭は建前上、明治六年(一八七三)に芸娼妓解放令というのが出てなくなっているはずなのに、実態的には江戸時代と変わらず営業が続けられていたようだ。本書によると警察には「娼妓掛」という部署があり、戸籍謄本と娼妓届けを提出して面接を受けなくてはならなかったという。つまり立派な官許の公娼なのだ。芸娼妓解放令との整合性は一体どうなっていたのだろう。


 しかも実際に警察に行くと、散々なパワハラ、セクハラを受ける。読んでいるこちらの腸が煮えくり返るほどである。待遇だって最悪だ。朝は客のために炊いた残りの冷や飯が、暖めもしないまま食膳に並ぶ。おかずは味噌汁に漬け物だけ、一晩中責められるだけ責められたあとなので、それも満足に喉を通らない。朝飯を食べ終えてからやっと眠り、夕方四時頃に昼飯を摂るが、おかずは煮染めか煮魚が一品きり。夕飯は仕事の合間に昼間の残りの冷や飯を、おかずなしで食べるだけだったという。



★想像を絶する「エロスの地獄」



 実際、仕事の中身もひどいものだ。盆も正月も休みなし、強姦まがいのセックスをして得意がる男たちを替わるがわる相手に、一晩で十回以上も務めを果たす。さらに昼間に客が来てしまうと、都合四十時間ほど働き詰めだ。月に一日だけ公休日があるものの、脱走しないよう看守人付きの外出しか許されない。あとは生理中だろうが親兄弟の命日であろうが、お構いなしに仕事が入る。事が終わるたびに下湯を使うため、これが真冬になると身体に響く。あっという間に体内が傷つき、ひどい場合には膿んでしまう。


 病が高じると都の経営する性病専門の病院、吉原病院に入院することになるが、ここの待遇がまたひどい。出て来る飯は南京米、つまりタイ米などと同じインディカ種のコメで、ぱさぱさしている上に独特の匂いがあって、日本人には食べにくい。おかずは麩の煮たのと沢庵だけである。
 しかもこの病院は、相部屋どころか布団まで、二人で一組を使わせていた。当然ながら煎餅布団で、冬はすきま風が吹き込む有様だったらしい。おまけに意地の悪い掃除夫の婆あが徘徊して患者をいじめ、夜になると綺麗な花魁が「綿を下さい、紙を下さい」と言いながら「出る」のである。だが、そんな病院にさえ滅多に店は入院させない。入院する暇があったら客を取らせたいからだ。


 もともと彼女たちは借金を背負ってこの遊郭に来ているのだが、店にはそんな彼女たちから情け容赦なくむしり取るシステムができている。客の遊び金を「玉(ぎょく)」というが、そのうち七割五分が楼主の取り分。残りのうち一割五分は借金の返済分として天引きされ、彼女たちにはわずか一割しか渡らない。天引き分だってきちんと返済に充てられているかどうか怪しいものだ。
 盆や正月などの「しまい日」には「玉抜き」といって、客はふだんの倍の料金を払わされた上に、遣り手婆あに祝儀を弾んだり、芸者を呼んだりしなくてはならないというしきたりがあり、当然こんな日に来たい客はいない。すると店は客のつかなかった花魁から、一日二円の罰金を取る。一時間の遊びがちょうど二円だったというから、当時の二円は現在の数万円の感覚だろう。



★働けば働くほどかさむ借金、嫉妬の渦



 さらに娼妓たちは稼ぎ高によって席順が決められている。席順が上になると風呂も食事も先になる上、客に出る順番も先になり、結果として指名が増える。逆に席順が下がると店の者からばかりでなく仲間の娼妓からも見下され、馬鹿にされる。罰金怖さとこの席順上げたさによって、おのずと娼妓どうしが競争しあう絡繰りである。
 しかも驚いたことに、娼妓たちは日々の消耗品の類いを、すべて自腹で賄わなくてはならない。客に出す菓子や石けん、楊枝や歯磨き粉の代金まで、ぜんぶ花魁が自腹で払うのである。さらに日々のお茶代や洗濯代、接客するための髪結い賃まで、すべて彼女たちの自腹なのだ。こうして働いても働いても借金がかさむ、地獄の底に堕ちていくことになる。啄木を愛読していた著者はそんな日々の虚しさを、啄木風の三行分かち書きで、こんなふうに歌っている。
 

誰が為めに、この髪結ふぞ
 悲しくも、夜毎に変る
      仇し男の為め。


 妙な客も山ほど来る。高慢な客、無愛想な客、因縁をつける客。言葉尻を捉えてねちねちと嫌みを翌朝まで言い続ける客、酔った挙げ句に店のものを壊したり、玉代を踏み倒したりする客。そのたびに弁償させられるのはすべて花魁たちである。
 金に詰まった女ばかりの場所なので、当然ながら問題も多い。時たま起こるヒステリーの発作、いじめ、告げ口、いがみ合い。金を貸した貸さないの揉め事も多いが、もっと多いのは馴染み客の取り合いである。面白いことにこの世界では「浮気厳禁」というのが不文律で、いったん男が一人の娼妓についてもらうと、ほかの娼妓に乗り換えることは御法度となる。乗り換えたいなら本来は他の店に行くしかないのだが、そうした掟を破る横紙破りの娼妓もいて、人の客を盗ってしまったりする。これが花魁どうしの揉め事のもとになるのである。



★働けば働くほどかさむ借金、嫉妬の渦



 このほか客に惚れて貢いでしまう花魁だって出てくるし、振った振られたで大騒ぎとなり、自棄酒を煽ることもある。夜になればあちこちから啜り泣きの声が聞こえ、なかには無念のうちに亡くなる花魁もいる。そんな花魁は化けて出て、一人で寝ている花魁の布団を足許から引っ張る……。一言でいって「女の地獄」なのである。
 もちろん忘れえぬ客の男たちもごく稀にはいて、優しい客、人間どうしとして接しようとする客、指一本触れずに十字架のリングを渡して去っていくクリスチャンの客など、印象深い男たちの記述もある。だが、基本的にこうした男たちは珍しいからこそ本書に記されているのであって、圧倒的多数は獣のような男たちである。


 著者はこうした苦界の底から決死の思いで脱出をめざすのだが、面白いのはそうした著者の決意に大きな影響を与えた一人として、キリスト教団体、救世軍の伊藤富士雄が挙げられていることである。伊藤は廃娼運動の活動家として有名だった人で、なんとその孫はのちに日本初のゲイ雑誌『薔薇族』を創刊することになる伊藤文學なのだが、まさかそんな孫ができようとは、伊藤も著者も予想だにしていなかったことだろう。


 さて、そんな荒涼たる性の荒野で生きていくために、多くの娼妓は知らず知らずのうちに「花魁根性」という特異なメンタリティーを身につける。大人しい客に手練手管の限りを駆使して籠絡し、巻き上げるだけ巻き上げようという性根である。だが不思議なことにそうした花魁根性の持ち主は、客の前でいくらしおらしくしていても、客に性根の部分を見抜かれて、さほど席順は上の方には行かなかったそうだ。
 ちなみに著者の森光子は自分のことを「べっぴんでもない、学問もない」と謙遜しているが、実際、特に愛嬌も良い方でなく、手練手管を使うこともなかったそうだ。にも関わらず彼女の許には客が引きも切らず訪れ、席順はいつも二番目か三番目だったそうである。このあたりの不思議は女を売る商売に限らず、商い一般の極意に通じるかもしれない。ご自身で商売をしておられる読者諸氏も、一読されると良いかもしれない。





51OKjfsR7TL._SX230_.jpg
森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』






樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



400.png   sitelogo-2.png