樋口ヒロユキ ソドムの百二十冊 #41 斎藤真一『吉原炎上』

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第四十一回

斎藤真一『吉原炎上』



★目を疑うほどきらびやかな吉原の姿



 前回、前々回と、吉原の暗い面ばかりをご紹介してきたが、同時に吉原という場所には、まばゆいばかりに明るい面もある。画家の斎藤真一の手になる画文集『吉原炎上』を読むと、これが同じ吉原のことを書いたものかと目を疑うほど、きらびやかな吉原の姿が活写されているのと出会う。
 まず物理的にどこよりも明るい。本作の主人公、花魁の若汐(わかしお)こと内田久野は、親の借金を背負って岡山から、船で吉原へとやってくる。ところが彼女に目にした吉原の夜景は、横浜港よりも新橋よりも両国よりも、どこよりも賑やかなものだったというのだ。色とりどりの提灯や洋灯(ランプ)、ガラス窓や障子から漏れる灯り、廓を彩るステンドグラス。そこに豪奢な友禅をまとった花魁たちが行き交うのだ。その数は三千名に達したと言われているが、その華麗さはいかばかりであっただろうか。


 本書の作者は画家だけに、そんな吉原の華々しさを、独特の幻想的なタッチの絵画で伝えてくる。行灯のように床に立てて灯をともす、チューリップ型の洋灯の輝き。部屋の窓から見えるのは、浅草十二階こと凌雲閣の煌めき。いまでは消防法の関係でほとんど見ることができなくなった、木造四階建て、五階建ての遊郭の佇まい。花魁の姿が映るまで磨き込まれた、底光りのする板張りの廊下。今戸橋の下を流れるのは、いまでは暗渠化されてしまった山谷堀だし、そこを行き交う屋形船にもぼんやりと灯が揺らめいていて、まるで夢うつつの光景である。
 吉原には大店、中店、小店とあって、久野が最初に勤めた中米楼(なかごめろう)は中店クラスの店だったが、久野はほどなく吉原名物の時計台で知られた大店、角海老楼に転籍することになる。そこではお内儀さんも花魁衆も親切で、これまでの節に見たような、遊郭独特のギスギスした雰囲気も漂っていない。一番を張る花魁になると、威厳のようなものまで漂っていたという。久野はここで「お職」、すなわち店の筆頭に位置する地位にまで登り詰め、源氏名も「紫」に改名。花魁道中と呼ばれるパレードに参加するのである。





★明暗綯い交ぜの世界、そして愛




 そして驚かされるのが、こうした大店を訪れる客層の華やかさだ。政府高官、会社重役、将官クラスの軍人たち。著名人も数多い。『江湖新聞』創設者の福地桜痴。自由民権運動の指導者、中江兆民。右翼結社、玄洋社の首魁であった頭山満。最後の将軍、徳川慶喜公。明治政府の重鎮であった山県有朋や井上馨。きわめつけは当時の総理大臣であった伊藤博文までが登楼していたというから、まったくもって驚くほかない。そうした客層だけに花魁をいたぶるような無粋な遊びをすることもなく、あまりに無理無体を強いるとこうした重鎮たちが「遊びが若い」といって、たしなめる場面もあったようだ。
 もちろん暗い話も本書には出てくる。たとえば亡くなった花魁は、人知れず裏木戸から弔いに出されることになる。金銭にまつわる苦労は前節までに述べた通り、心中事件も珍しくはない。なかでも鬼灯(ほおづき)を使った堕胎のくだりは凄絶だ。本書で紹介されているのは鬼灯の根の皮を剥いだ白身の芯を、子宮の穴に入れるという方法である。なんでも鬼灯には子宮を収縮させる作用のある成分が含まれているそうで、実際これで流産してしまうらしい。こうしたエピソードが本書では淡々と語られるが、それだけに凄みがある。ちなみに吉原から浅草はすぐの場所だが、浅草といえば「ほおづき市」が有名である。この浅草の風物詩もともとは、鬼灯の堕胎法に由来するものだったのかもしれない。いずれにせよ痛ましい話である。


 さて、そんな吉原の苦界のなかで、久野は一人の人物と出会う。登楼する政府重鎮のお供でやってきた若手官僚、坪坂義一である。坪坂は久野と同じ岡山の出身。やがて二人は相思相愛の仲となり、めでたく久野は坪坂によって身請けされることになる。坪坂は官僚を辞してのち、まずは銀行業、さらには繊維業で成功し、そこから伊藤博文の引きで、朝鮮総督府の高官にまでなったという。タイトルにある吉原炎上、つまり明治四十四年の吉原大火を久野が知るのはソウル在住時代、新聞を通じてのことである。
 吉原での堕胎の経験が祟ったのか、残念ながら二人の間に子はなかったそうだが、養女をもらって慈しんだらしい。その後、坪坂義一と久野の夫妻は内地へ引き上げ、二人の郷里の岡山で小さな染物店を営み、穏やかな晩年を過ごしたという。そして昭和十二年、久野は暮れにひいた風邪がもととなり、静かに息を引き取ることになる。享年八十六だったというから、当時としては大往生といえるだろう。明けて昭和十三年の正月、夫の義一は自宅で自害したところを見つかったそうだ。自害そのものは悲しい出来事ではあるが、二人の愛情が本当のものであればこその結末だったのだろう。



★廓という場所と職業的挟持



 久野が吉原に来たのは十八のときで、彼女が義一に身請けされたのは二十五のときだったというから、彼女が吉原にいた期間は足掛け八年ということになる。決して短い年月ではないし、現在の目から見れば「悲惨な過去を背負った女性」ということになるのかもしれない。また、その後の「栄達」にしても、後世から見れば植民地支配に乗じたものとして、指弾されてしまうのかもしれない。だが彼女の生涯を、単に「悲惨一色の苦界から政府エリートの玉の輿に乗って脱出した人生」と断じるのには抵抗がある。
 彼女の生涯を一面的な論理で断罪するのは、ごく簡単なことだろう。だが、そうした理屈で割り切ってしまっては、そこから零れ落ちてしまうものがあまりにも多いような気がする。特に遊里の得も言われぬ悲しい輝き、政界、官界、財界人との交遊、そうしたなかで得た夫との愛を、無価値なもののように切って捨ててしまうことは、少なくとも私には難しい。作者の筆で描かれる吉原の光景、夢か現か幻かもわからぬその景色を見たあとならなおさらだ。


 どんな職業の担い手にも、その職業ならではの挟持がある。私だって他人から見れば、たかだか物書き風情かもしれないが、だからといって見下されたり、憐れまれたりするのはいやだ。人から見れば辛いだけの生業に見えても、いや、その仕事が辛いものであればあるだけ、その誇りも強く高いものになるのが浮き世の習いではあるまいか。善か悪か、廃絶すべきか肯定すべきかの二値判断をくだすのでなく、そうした矛盾を矛盾のまま、受け止めたいと私は思う。
 私がこの物語を知ったのは、ご多分に漏れず五社英夫監督、名取裕子主演の映画「吉原炎上」(一九八七)がきっかけだった。ラストの花魁道中の場面では、豪奢な打ち掛けを身にまとい、黒塗りの高下駄で内八文字に練り歩く、名取裕子の姿が印象に残っている。とはいえこの映画版と、原作に当たる本書とでは、ずいぶん話の骨格が違う。映画版は本書の世界を借りて、脚本家の中島貞夫が自由に想像を巡らし、独自の物語を書き上げたものと考えた方が良いだろう。



★善悪の彼岸にあるエロスの姿



 本書がセミドキュメンタリーであり、主人公の久野が作者の養祖母をモデルにしたものであることは、恥ずかしながら今回初めて知った。巻末の作者あとがきによると、作者はその母、つまり久野の養女であった斎藤益からの聞き書きで本書を書き上げたのだそうだ。このあとがきによれば、当時の吉原では花魁道中に出られる花魁は数名しかいなかったそうである。だとするなら当時の「お職」は江戸期の「太夫」にほぼ相当すると言っても差し支えあるまい。
 また本書の作者あとがきには、作者の母が小学生だったころ「養母が吉原で太夫を務めた」と級友に話したところ、周囲から「そんなに偉い人だったのか」と驚かれた、とのエピソードが紹介されている。このほか明治三〇年頃のすごろくの上がりには、しばしば花魁の太夫が描かれていたらしい。花魁もある程度以上の地位になると、やはり一種のステイタスだったのである。


 既に幾度となく述べている通り、この時代の娼妓たちは、その多くが恵まれない境涯にあり、好むと好まざるとに関わらず、エロスを売る立場に立たざるを得なかった女性たちである。そうした状況を生む社会のありようには賛同できないし、性行為の売買そのものについても、望ましいものとか推奨すべきこととまでは考えない。とはいえ同時に、エロスの技芸一つで世を渡り、そこから成り上がった彼女たちの矜持のようなものを、一概に否定する気にも私はなれない。遊里を過度に理想化するのは禁物だが、だからといって全否定するのもまた、物事の一面しか見ない態度であるとは言えまいか。
 ちなみに作者の斎藤真一は、大正十一(一九二二)年、岡山県生まれ。昭和二十三年(一九四八)に東京美術学校、つまりいまでいう東京藝大を卒業し、公募団体展への出品を経てパリに留学。滞欧中に藤田嗣治と交流を深め、帰国後の一九六〇年、文芸春秋画廊で初個展を開く。以降はコンスタントに個展を開催。北陸地方を遊行した盲目の女芸人「瞽女(ごぜ)」をテーマにした作品群を筆頭に、不幸な境涯の女性を描いた作品で知られるようになる。おそらくは養祖母にかつて花魁であった女性を持ったという彼の生い立ちが、そうした不幸な女性への共感を描くという作風の礎となったのだろう。


 私は文庫版でこの書物を読んだが、底本となったハードカバーはタイトルが異なっており『絵草紙 吉原炎上 祖母 紫遊女ものがたり』となっている。文庫版はオリジナルの刊行からほどなく、映画の公開と同時に刊行されたものだ。残念ながら斎藤は一九九四年に亡くなっているが、その作品の多くは山形県「斎藤真一心の美術館」に収蔵されているそうだ。残念ながら私は実物を見る機会に恵まれていないが、いつか自分の目で実見し、遊里を生きた女性たちの息吹を、肌身で感じてみたいと思っている。





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斎藤真一『吉原炎上』






樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



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