「いまここ」をジャンプさせる“非物語”映画 7月6日公開『タリウム少女毒殺日記』 土屋豊監督&倉持由香インタビュー 2

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今回の映画で描きたかった「観察」という行為は、決して対象とコミュニケーションをしない、それこそ顕微鏡越しに世の中を見るような、そういう感覚のものなんです(土屋)



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―ここからは作品の具体的な内容について、また作品が孕む思想的な部分について、少し立ち入って話を聞いていきたいと思います。

[タリウム少女の毒殺日記/イントロダクション]http://www.uplink.co.jp/thallium/intro.php
[タリウム少女の毒殺日記/ストーリー]http://www.uplink.co.jp/thallium/story.php

まずは、作品内においてタリウム少女が繰り返し述べている「物語なんてない」という言葉についてです。この物語の喪失、あるいは不在、またそれゆえに退屈で空虚な私というテーマは、土屋さんの過去の作品においても繰り返し俎上に載せられ、それぞれ異なる形で描かれています。


土屋 物語がないゆえに退屈で空虚と、まぁそういう言い方もできるんですが、必ずしもそういう描き方をしているわけではありません。とはいえ今の社会が退屈で空虚なのは確か。ただ僕はそこにむりやり物語を導入することによって、その問題の解決を図ろうとする、あるいは誤摩化そうとすることについては、非常に違和感があるんです。今回の映画で描いたように、あえて言えば世の中というものは大体が仕組まれている。こういう風に欲望し、こういう風に行動し、こういう風に物を考えるように、なんらかの形でコントロールされている。これは、多かれ少なかれ、誰にでもあることなんです。そのような状況の中で物語を導入するというのは、僕にはどうしても?くさく感じられてしまう。だからまず、この世界には分かりやすい「大きな物語」はないということを受け入れましょうよ、と。その上でどうするのか、というようなところを描きたかった。前回の作品も前々回の作品もそういう意味では繋がっていると言えます。


―『新しい神様』、『PEEP“TV”SHOW』、『タリウム少女の毒殺日記』、あわせて「物語の不在」三部作と呼んでもよいのではないかと思えるほど、そのテーマ性には一貫したものを感じます。土屋監督が言われたように「物語がない時代に物語を導入する」という行為には、やはりどこか白々しさがつきまといますが、その点、この映画には少なくともそのような白々しさは一切感じられませんでした。その印象は本作がある意味で非-物語的であるということに起因しているのかもしれません。ところで、ここで倉持さんに伺いたいのですが、タリウム少女と同じく現代を生きる若者の一人として、物語がないゆえの退屈や虚しさを感じることはありますか?









倉持 小学校高学年から中3くらいまで私はほぼ不登校、引きこもり状態で、家で2ちゃんばかりやっていたんです。そういう時は「この世の中おもしろくない」みたいに、本当にひねくれた感じのことを思ってはいました。


土屋 そのひねくれた感じはどこかで変わったの?


倉持 私は13歳くらいから芸能の仕事を始めたんですが、それが割と大きかったかもしれません。それまでは学校が私にとっての社会で、学校こそが全てだと思っていたんですが、芸能の仕事を始めたことによって別に学校なんてなくても生きていけるんだって思えるようになったんです。学校とは違う社会があって、学校の外でも友達だってできるって知って、ちょっとまともになれたのかな。


土屋 学校っていう狭い世界でのひねくれもあるけど、そこから脱してもう少し広めに考えた時に、それでも世の中ってどうなんだろうっていったような、そういうのはないの? 僕は相変わらずひねくれ感を捨てれずにいるんだけど(笑)


倉持 ひねくれすぎですよ(笑)。ないですね。今は本当に毎日が楽しいですし、グラビアでトップになるって目標のために、毎日がんばって生きてます。すごい幸せですよ。


土屋 すごい。100パーセント言い切った(笑)


―(笑)。では、再び土屋監督に伺っていきますが、本作においては先ほどお話頂いたように、物語の不在が一つのテーマとなっていて、タリウム少女がそれを象徴する存在として描かれています。物語を持たないタリウム少女にとっては、全ての事象、全ての対象が無意味かつ無価値であり、ゆえに全てが並列的な一項として捉えられてしまう。蛙もハムスターも母親も、あるいは自分自身も、タリウム少女にとっては一切が等価であり、観察対象に過ぎない。本作では少女のこの性質が非常に強調的に描かれていました。


土屋 今の世界というものがそのようになっているように見えます。たとえばグローバリズムというシステムの中では格差が固定化されてしまう。格差も流動的であれば立身出世という起伏を生み出すかもしれませんが、固定化されることでフラットになってしまうと思うんです。


―そのフラットな社会で、これも映画の重要なキーワードですが、「観察」という行為が重要な意味をもってくる。あるいは、そのような社会におけるありうべきコミュニケーションの形として、浮上してくる。土屋監督は、この「観察」という行為をどのように捉えていますか?


土屋 今、コミュニケーションの形と言われましたが、「観察」においてはコミュニケーションがそこに存在しないんです。たとえば、僕はドキュメンタリー映画も撮っているのでより感じることですが、カメラを持って何かを撮る際には観察しているだけでは決していられない。対象者とのコミュニケーションが必ずしもカメラに映ってしまうんですね。一方、今回の映画で描きたかった「観察」という行為は、決して対象とコミュニケーションをしない、それこそ顕微鏡越しに世の中を見るような、そういう感覚のものなんです。顕微鏡で微生物を観察している時に微生物からは反応はありません。「こっちを見るな」と語りかけてくることはない。僕はそういうイメージで観察というものを捉えています。作品内でタリウム少女は「本当の観察者になりたい」、「本当の傍観者になりたい」といったことを語っていますが、それはそういう風にものを見ることで、つまり俯瞰的に全てを観察することで仕組みを把握しようとしているんです。そのような「観察」こそが様々な形でおこなわれるコントロールから逃れるための第一歩だとタリウム少女は考えているんです。


―タリウム少女の考える「観察」とは、少しニュアンスが異なるかもしれませんが、観察し、また観察されるという、ある種の相互観察的な状況というのは、ここ数年でより顕著になってきているように思います。それこそ『PEEP“TV”SHOW』がいみじくも描いた「覗き覗かれる」という状況は、この10年、youtube、ニコニコ動画などの台頭によって、より先鋭化し、また全面化したと言えます。ところで倉持さんはニコニコ生放送をご自身でされていらっしゃいますよね。


倉持 はい。すごい楽しんでやってます。今これだけニコ生とかで自分で自分を配信している人が多いというのは、やっぱりみんな見られたい、自分を知られたいっていう自己顕示欲があるからだと思うんです。みんながみんな他人に興味のない時代だからこそ、そういう欲求が高まっているんじゃないかなって。私にとってはグラビアの仕事も同じ、その動機になっているのは「見られたい」っていう願望なんです。


―土屋監督は、いわゆるニコ動的なコミュニケーションの形については、どのような印象をお持ちですか?


土屋 コミュニケーションの取り方、方法論が違うだけ、ということだと思います。自分の部屋から生放送をやって、顔の見えない相手と文字を介してコミュニケーションを取り、そのこと自体を純粋に楽しむ。これは単純に今まではできなかったことですよね。テクノロジーがあって初めてできることです。僕個人としては新しいコミュニケーションの形としてポジティブに受け止めていますし、積極的にもっと活用していけばいいと思っています。ただ、重要なのは自分でその技術をコントロールしているという状態なんです。ニコニコ生放送を倉持さんがやる場合、倉持さんが知らないうちに誰かに監視されているというわけではない。ここからオープンにしますよ、ここからはクローズですよ、と自分でコントロールできる。しかし、それがある日、自分のコントロールを離れたところで見られてしまう、それは盗撮とかそういう話ではなく、例えばデータとして何かを持っていかれたりということも含めてですが、そうなった場合、話は別になってくる。これは消費社会の中ではよくある話です。何かカードを使えばすでに記録として管理されている。そういうコントロール可能なものと可能なものじゃないものとの差異については自覚的であった方がよいと思いますね。

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土屋 豊
1966年生まれ。?1990年頃からビデオアート作品の制作を開始する。?同時期に、インディペンデント・メディアを使って社会変革を試みるメディア・アクティビズムに関わり始める。ビデオアクト・主宰/独立映画鍋・共同代表。
フィルモグラフィー
◆監督作品?『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』(1997年/53分)?(山形国際ドキュメンタリー映画祭、台湾国際ドキュメンタリーフェスティバル等、正式出品)?『新しい神様』(1999年/99分)?(山形国際ドキュメンタリー映画祭にて国際批評家連盟賞特別賞受賞)(ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭、ウィーン国際映画祭、台北金馬映画祭、全州国際映画祭等、正式出品)?『PEEP "TV" SHOW』(2003年/98分)?(ロッテルダム国際映画祭にて国際批評家連盟賞受賞)(モントリオール国際ニューシネマ映画祭にて最優秀長編映画賞受賞)(ハワイ国際映画祭にてNETPAC特別賞受賞)(ミュンヘン映画祭、香港国際映画祭、ウィーン国際映画祭、オスロ国際映画祭、シカゴアンダーグラウンド映画祭、ブリスベン国際映画祭、バンコク国際映画祭、ローマ映画祭、全州国際映画祭等、正式出品多数)


倉持 由香
1991年生まれ。現役女子大生。
グラビアアイドルとして活動する一方で、2010年には映画『新天然華汁さやか』に出演。また、インターネット上では『倉持×原田の女子動画【生】』というニコニコ動画の番組に出演するなど、グラビア以外でも活躍の場を広げている。今回『タリウム少女の毒殺日記』(2012)にて初主演を務めた。


『タリウム少女の毒殺日記』
監督・脚本・編集:土屋豊
出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、Takahashi
撮影:飯塚諒 / 制作:太田信吾、岩淵弘樹 / チーフ助監督:江田剛士 / エンディング曲・挿入曲:AA= / 配給:アップリンク
日本/2012/カラー/HD/82分

公式ホームページ http://www.uplink.co.jp/thallium

7月6日(土)より渋谷アップリンクほか衝撃の全国順次公開









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