ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ22 【ピアッシング】

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ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ22

ピアッシング

PIERCING : BIZARRE GLOSSARY by KEROPPY MAEDA


 「ニャン2倶楽部」など素人投稿系エロ本の愛読者には、もはやお馴染みであろう性器ピアス。だが、そのような行為が実践可能なものであると知られるようになる前は、「O嬢の物語」などの小説に登場する、一種のフィクションであると考えられていた時期も長かった。しかし、アメリカ西海岸で始まった「ピアッシング」ムーブメントによって、性器ピアスはSMプレイの枠を超え、ひとつの趣味のジャンルとして確立されるほどに急成長を遂げた。その変遷を駆け足で追ってみよう。


 1970年代、アメリカの大富豪ダグラス・マロイは、自分のピアス愛好の趣味が高じて、実践者たちを世界中から集め、それぞれを引き合わせた。その中に、のちに「モダン・プリミティブ」の提唱者となるファキール・ムサファーや、世界最初のピアス専門店「ガーントレット」を立ち上げるジム・ワードらがいた。


 ダグラス・マロイの功績が真の意味で実を結ぶのは、89年、リサーチ社より「モダン・プリミティブ」が出版されてからであった。「ピアッシング」を人類の太古より行われていた身体装飾の儀式や行為を現代に復興すると解釈したことで、それまでSM愛好家やゲイの間に留まっていた「ピアッシング」を広く一般へとアピールしたのだ。それでも、誰もが目を見張ったのは、女性器や男性器に貫通する極太の金属リングやバーベルのインパクトだ。80年代後半、SM&ボンデージ流行を経た人々に、皮(レザー)やゴム(ラバー)といった服飾フェティシズムの次に到来するものとして、金属が貫通された裸体こそが、未来的なエロティシズムを刺激するものだった。事実、ヨーロッパでは、「ピアッシング」は、フェティッシュと強く結びつき、「モダン・プリミティブ」よりも「ボディ・アート」というキーワードで広く受け入れられた。そして、90年代初頭、性器ピアスの衝撃は日本にも上陸。投稿者の間でも実践者が急増、日本の「ピアッシング」の第一人者・間宮英三氏の連載が「ニャン2倶楽部」で開始されたのもこの時期だった。


 90年代後半からは、ネットの普及により、さらに難易度の高い「身体改造(ボディ・モディフィケーション)」の領域が開かれていくが、日本はいち早くその流れに乗り、今や“身体改造先進国”と言われるほどになっている。その根底には、投稿者たちも含め、性的フェティシズムにかられて“勇気ある一線”を超えた、多くの実践者たちがいることを忘れてはならない。



●89年に出版された「モダン・プリミティブ」こそが世界的な「ピアッシング」ムーブメントの引き金となった。その本に掲載された“真っ二つの男性器”の写真から、さらに難易度の高い「身体改造(ボディ・モディフィケーション)」の領域が開かれた。


●ネットの普及で「身体改造」が急成長。BMEが主催する身体改造世界大会「モドゥコン」が開催される一方で、プロ・ピアッサーズ協会APPの「ザ・ポイント」やワイルドキャットの「エクスパンド」などの専門雑誌も健在だ。


●世界最初のピアス専門店「ガーントレット」は75年、ロスにオープン。2年後に専門雑誌「PFIQ」が創刊され、SM愛好者やゲイの間で性器「ピアッシング」が実践され始めたが、その衝撃事実が知られるのは90年代になってからだった。




ケロッピー前田


1965年生まれ。身体改造、サイボーグ、人類の未来をテーマに取材を続ける。主な著書に「スカーファクトリー」(CREATION BOOKS)、監修DVD「ボディ・モディフィケーション・フリークス」(ワイレア出版)など。ツイッター「keroppymaeda」にて改造イベント情報など発信中。keroppymaeda.com