ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ34 【フリークス】

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ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ34

フリークス

FREAKS: BIZARRE GLOSSARY by KEROPPY MAEDA

 「フリークス」たちは、昔から常にエロティックな存在であった。そこには、見てはいけないものを見たいという誘惑、実際に見たときの驚き、そして、どんなに凝視しても見慣れることのない、日常的な感覚とかけ離れたリアリティがあるからだ。


 近代登場以降、「フリークス」たちは、悪魔の仕業ではなく、遺伝的な異常や特殊な病気であるという科学的な理解が進み、博物学的な興味も手伝って、欧米人たちの関心の的となる。19世紀、欧米諸国が、植民地政策で世界中の珍しいものを収集するようになると、「フリークス」たちもまた、あらゆる地域から連れてこられ、見世物にされるようになった。そのひとつのピークを作ったのが、1941年に興行師バーナムがNYで仕掛けた「バーナム・アンド・ベイリー」の「フリーク・ショー」だった。そこには、「プードルマン」として知られた全身ヒゲ男のジョジョを始め、小人や巨人、両手のない男女もいた。このショーは、1887年にはロンドン、1901年にはパリにも渡り、黄金時代を作ったが、同時に1898年には、所属の「フリークス」たちが抗議集会を開くなど、見世物興行への批判も起こった。さらに医学の進歩が、「フリークス」と呼ばれていた人たちを研究対象として処置することで、彼らを目立たない存在へと変えていくことになる。


 当時の人気「フリークス」たちをギリギリのタイミングで映像に残した名作が1932年に作られたトッド・ブラウニング監督の『フリークス』である。「フリークス」研究本の著者たちも、この映画の原体験こそが「フリークス」への興味のきっかけだったという。怪しいモノクロ映像に浮かび上がる「フリークス」たちの姿が、ひとつのトラウマとなって、刷り込まれたのだろう。


 一方、写真の世界では、60年代にダイアン・アーバス、80年代にはジョエル=ピーター・ウィトキンが「フリークス」を被写体とすることで、性的なアイコンのイメージとして復活させてきた。現代の変態たちに潜む「フリークス願望」は、実在した「フリークス」たちから遊離したところで、さらに肥大し続けている。「フリークス」になりたいと願う気持ちは、究極のオナニズムの形ともいえる。それは、その昔、「フリークス」たちが天使であり、悪魔であり、日常を超越したエロスの具現者だったからだ。だからこそ、その聖域は底なしの欲情をそそる対象として、今も生き続けているのだ。




●ラバー・デザイナーのフランク・ヴァン・サパー氏は、身体の一部がくっついたままで生まれてくるシャムの双子を、二人をひとつのラバー・ウェアに包むことで再現し、“シャム化”の夢を叶えている。


●若い世代が「フリークス願望」の末に行き着くのは、流血ショーとゾンビメイク、SMとボディ・アートが入り交じった、21世紀の「フリーク・ショー」ともいえるフェティッシュ&ゴス系パーティなのだ。


●「フリークス」たちが見世物となった全盛期は19世紀。欧米諸国に世界中の珍しいものが集められたとき、彼らも地球のあらゆるところから連れてこられた。20世紀に医学的な処置が可能となると彼らも激減する。




ケロッピー前田


1965年生まれ。身体改造、サイボーグ、人類の未来をテーマに取材を続ける。主な著書に「スカーファクトリー」(CREATION BOOKS)、監修DVD「ボディ・モディフィケーション・フリークス」(ワイレア出版)など。ツイッター「keroppymaeda」にて改造イベント情報など発信中。keroppymaeda.com



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