ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ42 【人間椅子】

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ケロッピー前田の変態カタログ★リターンズ42

人間椅子

THE HUMAN CHAIR: BIZARRE GLOSSARY by KEROPPY MAEDA

 最初に断っておくが、このコーナーは常に実践的である。従って、ここで解説するフェティシズムは単に頭の中で起こるヴァーチャルなものでなく、それを実際にやってみるのか、みないのかという切実な葛藤と向き合っていくものである。では、本論に入ろう。


 椅子になろうという人間については、3つの局面がある。それは「人間や動物でないものになりたい」「性的な属性を封印されたい」「自己のアイデンティティというものから遠く離れたい」といったものだ。 


 まず「人間や動物でないものになりたい」というのは、関係性の拒否だ。プレイでは、それがたとえ、サディストとマゾヒストであっても、最低限の関係性が存在する。が、単なる物として扱われるなら、全く無視され、放置されることもあり得る。それは“椅子”に限らず、小さな箱の中に閉じ込められて、全く身動きできない状態にも似ている。そんな極限状態に快楽を発見するマゾヒズムもあるのだ。


 そして、「性的な属性を封印されたい」というのは、性的な存在であることを無視されたいということである。ご褒美が全く期待できないSMプレイのようなもので、性処理奴隷とすら使われることがない疎外感。真性のマゾとなれば、“性的快楽”を否定されることにすら新たな快感を見い出すだろう。


 第三の「自己のアイデンティティから遠く離れたい」とは、意識だけがあって、自分の身体性や属性がすべて否定され、ともすると意識さえも薄れてくれば、自分自身の存在すらの消えてなくなってしまう状態のこと。ここまで来ると、誰か止める者がいなければ、果てしなくネガティブな快楽を貪り、ついには死に至る危険性すらある。


 だが、マゾヒズムの極限といえる「人間椅子」は、小説というフィクションの形を取ることで、ノーマル性癖の人たちをも魅了した。ある種異常に見えるマゾヒズムも、人間性、身体性、自我からの解放という段階を経て見ていくなら、即神仏にでもなるかのようなヒロイックな行為にも見えてくるのだ。


 ちなみに『人間椅子』で発見されたマゾヒズムは、『家畜人ヤプー』でさらに複雑に展開され、人間が便器となり、家具となり、椅子となった。未来小説という形をとって描かれたストーリーであるが、そこには明らかに人間が持つ潜在的なマゾ願望が投影されているのだ。さて、あなたはやってみたいかな。




●江戸川乱歩『人間椅子』は、沼正三『家畜人ヤプー』にも影響を与えたことだろう。ヤプーには家具や椅子にされた人間が当たり前のように登場し、その様子は、71年に石ノ森章太郎によって、漫画化されている。



●ビールケースを運ぶように逆さのまま荷台で運ばれる女。物同然に扱われることにいい知れぬ興奮を覚えるマゾヒズムは確かにある。



●S・キューブリック監督「時計仕掛けのオレンジ」の美術を手掛けたアレン・ジョーンズも女体を即物的に扱った作品で知られる。



●これこそが本当の「人間椅子」か。女を拘束してマングリ返し、尻と脚線のカーブを“椅子”として使うのだ。さらに車の荷台に彼女を設置。当然、その上から荷物を置いて、全く人間と扱うことはない。



ケロッピー前田


1965年生まれ。身体改造、サイボーグ、人類の未来をテーマに取材を続ける。主な著書に「スカーファクトリー」(CREATION BOOKS)、監修DVD「ボディ・モディフィケーション・フリークス」(ワイレア出版)など。ツイッター「keroppymaeda」にて改造イベント情報など発信中。keroppymaeda.com



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