アブ世界の女たち 安藤ボン インタビュー
「女性には誰しも娼婦願望みたいなものが備わっている」
文/ANK 写真/佐々武史
恋愛下手でバイセクシャルでヤクザの娘。『東京女子エロ画祭』をプロデュースし、二〇一二年の六月には、初の一般向け劇場作品、「ふきだまりの女」が公開され、何かと注目を浴びている安藤ボン監督を取材したら、予想外の人物像が浮かび上がって来て驚いた。チ○ポの代わりにメガホンを握り、映画の中でガチンコセックスに明け暮れる女。異色の映画監督、安藤ボン氏の素顔に迫った。
近年、ピンク映画やAV業界出身といわれる映画監督の活躍が目覚ましいが、安藤ボン監督もそんな“個性派監督”として売り出し中の一人である。2012年の六月には初の劇場用作品、『ふきだまりの女』が公開され、一躍映画ファンの注目を集めた。この作品は、青春とエロスをテーマにした“青春H”シリーズの第24弾として発表されたもので、安藤監督は女流監督ならではの視点から、女性の身の内に潜む、切なく享楽的な性愛を独特のタッチで描いている。
「女性には誰しも娼婦願望みたいなものが備わっていると思うんです。全然知らない人に抱かれたいとか、行きずりの男性とセックスしてみたいとか。もちろんラブラブな恋愛もしたいけど、それとは別で、そのときの衝動的な欲望に身を任せてみたいっていう願望が、どんな人にでもきっとあるんじゃないかって気がするんですよね。あとは身体を売ってお金をもらうことに関して、男性が思うほど罪悪感を抱いていない。むしろ、自分がどれだけ価値のある女なのか、どれだけ男性の欲望を満たす事の出来る女なのか、測ってみたいという興味と言うか、好奇心って、少なからず持っていると思う。あとは構ってもらいたいとか。『ふきだまりの女』でも、そんな女性の業を表現したつもりです」
タイトルの“ふきだまりの女”とは娼婦のことだ。昭和の雰囲気が残る寂れた歓楽街の片隅で、男たちに身体を売って暮らす娼婦たちの悲喜交々を、ユーモアたっぷりに描写して、切ないながらも、所々で笑わされる軽快な作品に仕上がってる。
「説教臭くなるのは嫌いなんですよ。例えば、『アンアン』っていう女性誌の切り口とかって、教条的で押しつけがましくてチョー頭に来る。エロってものは他人から押し付けられることじゃないじゃないですか。本来は自分で掘り下げて行くことなのに、イケメン男優陣をジャニーズ扱いして、それで、セックスとは…みたいなものを絡めてくることに違和感を感じますね。女性の味方といって、本当はただ金儲けしてるだけ。逆に私は、余りフェミニズムとか、そういうものを信用してない方なので、淡々と“ふきだまってる女たち”のリアルさを見せることが出来たらいいなぁと思いました。さっきも言いましたけど、そうせざるを得ない女性もいると思うんですよ。お金とか、生活とか抜きにして、“そうしてしまうどうしようもなさ”みたいな感じがあるんじゃないかって」
AVにしろ映画にしろ、常に「女とは何か」をテーマに据えて制作しているという。
「女の業を深く掘り下げて行くような作品が今後も撮れればいいなぁと思います。それは自分自身を知ることにもなるし、AV業界に長く身を置く中で、多くの女優さんや風俗嬢と知り合って、少しでもその子たちの気持ちが楽になるような作品を作れたらいいなぁって思ったんですよね。笑えて愛が感じられて救いのある作品が。やっぱり女の子って面白いんですよ、いろんな考え方やバックボーンを抱えているので。なのでアダルト業界に入って、ずっと考えていたことが、今回の『ふきだまりの女』に繋がっているのかなっていう気はします」
安藤監督がアダルト業界に足を踏み入れたのは、約13年前のことだ。
「それまで、宮崎のレコード屋でバイトしながら、ほぼニート的な感じで暮らしていたんですけど、東京に住んでる友達のところへ、ちょこちょこ遊びに行くうちに、『東京って面白いなぁ』と思い始めて、衝動的にバイトを辞めて、7万円だけ握り締めて上京したんです。それであるDVDの問屋さんみたいなところで経理のバイトを始めるんですが、もともと映画が好きだったので、どうしても制作の仕事がしたくて、その問屋さんの営業のつてを伝って、ADとして働かせてもらったのが、サンセットカラーっていう、緊縛師の雪村春樹さんが主催するAVレーベルだったんです。そこで、一年ぐらい現場で働かせてもらってる中で、荊子とも知り合って…」
荊子さんとは、以前、このコーナーにもご登場頂いたことのある女流緊縛師のことだ。安藤監督は荊子さんと組んで、「新世界」というインディーズレーベルを立ち上げ、一切男の手が加わらない緊縛ビデオ・シリーズを発行した。それが初監督作品。
「荊子と知り合って、『一緒に撮らない?』って話になって、まぁ、売れなくてもいいから、自分たちが面白いと思う、異色なことやろうっていう感じで始めたら、本当に売れなかった(笑)。とにかくヌケる内容でもないし、モデルに素人の女の子を使ったので、余りパブも打てなかったし、ほとんどお店にも置いてもらえず、手売りのような感じでやっていたので、採算はぜんぜん取れなかったですね」
約一年で雪村春樹氏の元から離れた安藤監督は、その後、某AVメーカーでプロデューサーとして働き始めた。だがそこは、自社での撮り下ろし製品はなく、余所のビデオ素材を寄せ集め、再編集して売り出すという手法のメーカーであったため、安藤監督が自分でメガホンを握るという機会には恵まれなかった。故に、26歳から30歳までの五年間、監督は男たちは性の捌け口としてどのようなビデオ映像を求めているのかを仕事として考えながら、一方で、採算は取れないながらも、荊子さんらと共に、インディーズビデオの制作を続けていた。
「『新世界』シリーズで監督を務める他に、当時はVカメもやっていて、緊縛ショーやストリップ劇場のライブ映像を撮ったりしてました。でも、やっぱり完全に監督にシフトしたいなぁって思って、また会社を辞めて、『ボンナップ』という自分の制作会社を立ち上げたんです。その後は様々なメーカーさんの依頼で、現在までAVを撮らせてもらっています」
もちろんAVメーカーからの受注となれば、今度こそ採算の取れる作品、つまりは男性ウケする作品を撮らなければならない。その辺りの難しさは無かったのか。
「よく男の子向け、女の子向けとか言われるけど、私はぜんぜん意識していません。やっぱり濡れ場というか、エロいと感じるところって、結局、女も男も一緒なんじゃないかって思っていて、そこさえきちんと押さえておけば、商業用として立派に成り立つのではないかと思うんですよ。具体的にどうとは言えませんが、カメラワークだったり、構成だったり、気分を高めさせるための演出は、男相手も女相手も同じじゃないかって。まぁ、しいて言えば、AV監督は基本的に疑似恋愛なんですよ。好きな女のどこが見たいかっていう。そこは、自分がある種、男性になったような気持ちに持って行きますけど」
安藤監督が撮るAV作品の特徴の一つは、強いドラマ性にある。ストーリーをしっかり持たせ、作中に独特の官能世界を作り出し、観る者を物語の中へと引き込んで行く。
「確かにドラマはしっかり撮りたいなっていう意識があります。ドラマがあって、それでカラミが生かされる作品が理想的です。脚本も全部、自分で書いてるので、いつもスケベな事ばかり考えてますね。ガラス張りのカフェに座って、往来する人を観察しながら、この女は多分、こんなセックスをするんだろうなぁとか、このオッサンは相当な変態だなとか(笑)。でも、どの作品も基本的には、女がご都合主義にならないようにしています。大体、男性向けのAVって、『嫌よ嫌よ』って言っても、なし崩し的に展開されるんですけど、そこにちょっとドラマを入れることで自然な流れに見せたりとか。その辺を丁寧に描きたいなってことは意識してやってますね」
女性の心情の自然な流れに拘るのは、やはり女流監督ならではのものだろうか。
「やっぱり、よりリアルに見えた方がいいと思うんですよね。だから余りレイプものとかは撮ったことがないんです。“無理矢理”という展開は好きじゃない。“仕方がなく”とか“どうしようもなく”というのはあるんですけど。例えば、下宿屋を経営していて、『もう、こんな時代に下宿はねぇだろ』って皆に言われながら、頑張っているんだけども、やっぱり経済的に回らなくなって、近所のお米やさんや八百屋さんのチ○ポをシャブって…みたいな(笑)。まぁ必然性ですよね、大事にしているのは。そして女性も、どこかで悦んでやってしまっている。そんな男と女の立場が対等に近くて、メチャクチャSEXが好きで、平和的にエッチなことばかりしてるっていう雰囲気がいいなぁって。笑いがあったり、面白い日常生活を描いたりして、あんまり殺伐とさせたくないんですよ。愛ある形にしたいです。男性が観ても、女性が観ても」
どんなに技術論や心構えを語ったところで、女流監督が作る男性向けエロ作品に疑問を抱く男性読者は少なくないだろう。しかし、安藤監督の実力は折り紙つきだ。なにせ、現在までに監督した作品本数は百五十本以上に昇るのだから。
「この業界に入る前までは、映像ってすごい大変なものだって思ってたんですね。映画を観てましたらから、専門的なスキルとか人間力とか、そういうものが必要だと思ってたんです。でも、25歳のときに、雪村春樹さんのところでADをやらせてもらって、もしかしたら、私でも出来るんじゃないかみたいなことを思い始めちゃって。別に驕ってたワケじゃないんだけど、ちゃんと手順と構成を考えて、あと、優秀なスタッフがいれば、何とかなるんじゃないかって。そしたらその通りにすんなり行くことが出来て、かつ、30歳で独立してAV監督を本格的に始めたときも、結局、誰にも何も言われないわけですよ。『この作品はこうだからここを直せ』とか。そもそもそういう業界ではあるんだけども、ならば自分なりのスタイルで撮っちゃえばいいやって感じで、今まで来てるというだけなんですけどね」
その感覚的な映像制作能力はどのように培われたのか。ここで、上京前のこと、子供時代のことも聞いてみる。
「ただの映画好きでした。80年代、70年代の邦画ばかり。日活ロマンポルノとかも好きでしたし、AVなども積極的にというワケではないですけど、友達から回って来たら、まぁ、抵抗なくというか、興味深く観させてもらってました。そんな中でも影響を受けたのは、寺山修二とか、この前お亡くなりになった若林孝二監督とか、実相寺昭雄監督とか。作品では、『田園に死す』とか、『仁義なき戦い』が好きで」
何だか凄くシブい趣味だ。
「両親がすごい映画好きだったんです。昔、鹿児島に住んでたときも、お母さんが観たい映画を観るのに、必ず私も一緒に連れて行ってくれました。それで、私、『カリギュラ』(イタリア・アメリカ合作の超大作エログロ映画)を映画館で観ましたからね、お母さんと。母はそういうちょっとエロい映画が好きで(笑)。父は父で、『トラック野郎』とか『網走番外地』とかいったヤクザ映画が好きで、家でいつも観てました。なので、どちらのジャンルも刷り込まれてるんだろうなって思います。それで、お正月には必ず『虎さん』で初笑い。そんな子供時代でしたね」
もちろん映画の他に、実生活での体験も、安藤監督作品には色濃く反映されている。
「作中に、お漏らしとかの放尿系、そしてキャットファイトというか、女同士の喧嘩シーンが好きで、ちょこちょこ織り込んでるんですが、例えば、お漏らしは、私、小学校の半ばくらいまでおねしょ癖が治らなかったんですよ。で、いつも寝るときはおねしょシーツを敷くのが習慣だったんですが、そのシーツが結構ぶ厚くて、寝返りを打つとガサガサと音がするんです。あの惨めな感じというか、自分って本当にダメなんだなぁって悄然とした気持ちが、作品の放尿シーンには込められてますね(笑)」
では、キャットファイトは何のか。
「実はうち、父親が暴力団をやっていたんです。それで、ウイークエンダーって、判ります? 昔のテレビ番組で、面白い珍事件をパネルを捲って紹介して行くっていう内容なんですけど、それに、父親の起こした事件が紹介されたことがあったんです。それはどういう事件だったかというと、地下にあったスナックみたいなお店を、バキュームカーでウンコを運んで来て埋めちゃったっていう(笑)。理由はミカジメ料を払わなかったということらしいんですけど、それで、器物破損の罪に問われて五年くらい入ってたんですよね。で、そんな父がある日、私と母親に『家から出ろ!』っていうんです。『事務所の方に移れ』と。当時の組事務所って、正面がガラス張りで、代紋なんかがデーンと入ってる昔ながらのヤツなんですが、まぁ、言われた通りにそこで佇んでいたら、事務所の前の電柱をある女が登ってるんですよ、包丁を咥えて。しかも上半身裸なんですが、よく見ると、父親と同じ刺青を入れてるんです。今でいうところのソープ嬢なんですが、父親がソープに沈めて、お金を引っ張っていたらしんですよね。なのに会ってくれなくなったとかで父親を恨んで、もう凄いんですよ。パトカーと群衆の中、『出て来ーい!』って叫びながら、半狂乱で包丁を振り回して。まぁ、母親も喧嘩っ早かったのでよく飲み屋で喧嘩してるのを見てましたけど。なのでそういう感情を剥き出した、ある意味でダメな女の人たちの姿が、私の女性に対する原風景なんですよね。キャットファイトはそこから来てるのではないかと(笑)」
なんと安藤監督は、ヤクザの娘でありました。予想もしなかったカミングアウトに動揺する取材陣。もちろん監督自身は、誠実で丁寧で気さくな人であり、見た目は小柄で華奢で子供のようで、まったく裏社会の雰囲気など感じさせないキュートなお人だ。映画監督という肩書、そして、『ふきだまりの女』の懐古主義的でブルージーな作風から、“酒とタバコをこよなく愛する男っぽい人”をイメージしていたが、拍子抜けするくらい女性的である。なので、遠慮がちにではあるが、ヤクザの娘に生まれ、もっと変わった体験はしてないかと突っ込んで聞いてみる。例えば、構成員の方にお嬢と呼ばれていたかとか、身近に覚せい剤や拳銃が転がっていなかったかとか…。
「そんな別に、ヤクザ映画みたいに荒み切った世界じゃないですから(笑)。もっとほのぼのしていてざっくばらんですよ。ただ、やっぱりヤクザはヤクザですから、暴力団追放のパレードが催されると、必ずうちの前で立ち止まって、シュプレヒコールを上げるんです。『暴力団は出て行けー!』って。その日は一日、家から出ちゃダメって言われてるので、私はカーテンの隙間からその様子をじーっと見たりして(笑)。まぁ、それでというワケではないですけど、小学生のときは4回くらい転校しましたね。別にイジメを受けたことも無かったんですけど。私って結構、大人しい方で、もちろんヤンキーでもなく、真面目だったんですよ。本と映画が好きだったので、友達もあまりいない孤独な少女でした」
市民に目の敵にされる少女の気持ちとは如何なるものか。興味は尽きないが恋愛方面の話も気になる。
「私、初恋の相手は女の子だったんです。確か中2くらい。でも、告白できずに、一方的に思い続けてるだけでした。仄かな恋心(笑)。で、男の子を好きになるのは21歳くらいかな。それもまぁ、向こうから告白されて、ほんの好奇心から付き合ってみたという程度で、実は、灼け付くような恋愛をしてみたいんですけど、ないんですよね…」
「えっ、本気の恋愛をしたことがない? それはいまだにですか!?」と驚きの余りストレートに質問すると、申し訳なさそうにコクリと頷く。まぁ、本気なのかそうではないのか、どこまでが本気の部類に入るのか、他人のそれを計る尺度なんて無いわけだが、ともかくこれも意表を突かれる告白。いったいその原因は何なのか。
「余りそういうところに興味が向かないというか…。AVを撮るようになってからさらに冷めてますね。俯瞰で見ちゃうんですよ。自分がセックスする姿なんて、おこがましくて想像できない。結構、セックスを神格化してる部分があって、尚且つ、イメージが具現化され過ぎてる。セックスはこういうものだって、作り上げ過ぎてしまっているんです。だから、それを映像で生かす他ないみたいな(笑)。スケベはスケベなんですけどねぇ。ときどき言われるんですよ、『派手にヤリまくってるでしょ』みたいな感じで。いったい何を見てそんなこと言ってるんだと(笑)。やっぱり面倒臭いっていう気持ちもあって、そういう自分を腹立たしく思うこともありますね」
女優や男優を自分に見立て、映像の中で疑似恋愛させる。それだけでは何となく寂しい気もするが、だからこそ素晴らしい映像が撮れるのかもしれない。表現者としては、物事を俯瞰で視れる才能の方が大切であり、実体験はさほど必要としないのも確かだろう。
「私の乏しい体験の中で、想い出に残ってるものと言えば、高校三年生のときに、弟の友達のお母さんに襲われたことぐらいですかね。たぶん、二十代後半くらいの方だったと思うんですが、うちでお酒を飲んでしまって帰れないというので、私が車で送ってあげたことがあったんですよ。そしたら、彼女の自宅の前に車を停めた途端、助手席からガバッと身を乗り出して来てブチューッと。そのあと、『あら、ごめんなさい』とか言って、そそくさと家の中へ消えてしまいましたけど。人間って不思議だなぁって思いました(笑)」
もちろんそんな監督の口振りに悲壮感は無い。「頭の中でイメージしたものを台本に書いて、それが実際に画になって、編集してるじゃないですか。そのとき、こんなに楽しい仕事は無いなぁって、本気で思うんです。もう、セックスも恋愛も必要無いんじゃないかって(笑)」との発言は嘘ではないだろう。最後に、そんな根っからの映像屋である監督から、恋愛下手でオタク気質な今どきの男どもに、リア充を勝ち取るための反面教師的アドバイスをお願いした。
「ハハハ、アドバイスですか? いいんじゃないですかね、今のままで。『そんな二次元ばかり観てないで、ちゃんとした彼女を作りなさい』って非難されるでしょうけど、私はイイと思いますよ、性の対象が生身の人間じゃなくても。でも、どこかでリア充を求めるのあれば、なんかもう、諦めないことじゃないですか? 忍耐強くなって傷つくことを怖れなければ、きっとどこかで大当たりが待ってますよ。そのときのために、自分のスペックを高めておくことが大切だと思います」
2013年には、家族の性にまつわる濃密な関係性を描いた映画を制作する予定だそうだ。異色な生い立ち、両性愛、アダルト業界勤務など、安藤監督は様々な経験を血肉にし、「女とは何か」をテーマに映画作りに専念する。果たして今後、どんな作品が生み出されて行くのか、要注目である。
(2012年秋、新宿にて)
安藤ボン
さまざまなAVメーカーで監督をしながら、自身でも独特のタッチでインディーズ作品を制作。2006年にはVシネマ『サバイブ #2』を監督。昭和エロスをテーマに和服、団地妻、後家、介護などの熟女ものドラマシリーズを監督。監督タイトル数総計約150タイトル。2012年、映画『ふきだまりの女』脚本・監督。2011年「東京女子エロ画祭」http://www.tokyo-eroga.com/を主催、女性の手によって生み出されたエロスイメージの可能性を探る創作活動の発信とその支援を目的に、広く一般女性より作品を募集し、上映するイベントを開催。イベントのプロデュース、トークイベント等出演なども行う。
公式HP http://www.andobon.com/