再考非実在青少年規制_佐々木敦

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連続特集 再考 非実在青少年規制

佐々木敦 

ふぁ~~んってしてた方がいいのかな

構成/辻陽介


2010年12月に都議会本会議において可決された「東京都青少年健全育成条例改正案」が、4月1日よりいよいよ施行となった。今回の施行においては自主規制のみが対象とされており、販売に対する規制は7月1日からとされているが、いずれにせよ、とうとう非実在青少年の皮膜に規制のメスが入れられたことには変わりない。すでに議論百出のこの問題ではあるが、施行を機に再び考えてみよう。今回の条例改正によって、なにが守られ、なにが危機に晒されているのか、またすでに条例が施行されたいま、我々がとるべき対応とは? 


連続特集「再考・非実在青少年規制」の第ニ回である今回は、日本の現代思想史を独自かつ鋭利な視点から一望してみせた『ニッポンの思想』の著者であり、また映画、音楽、文学と幅広い分野にわたり越境的な批評活動を続ける批評家・佐々木敦氏が登場。兼ねてよりこの問題をウォッチングしてきたという佐々木氏だが、パブリックな場で纏まった発言を寄せたのは今回が初。半ば語り尽くされ、すでにドン詰まりの感もあるこの問題を、俯瞰する批評家はどう語るのか? アポリアを解く鍵、それは、「ふわぁ~~ん」…。



―まず佐々木さんは今回の条例に関する騒動をどのように眺められてます?

佐々木 僕はいわゆる物書きみたいなことをやっていて、色々なメディアに関わりながら生きているわけですから、当然のことながら今回の問題には関心があります。この問題が浮上してきてから、自分としては情報を追ったり、この問題に関する書籍を読んでみたり、ネットに流れてる情報をチェックしたりということはしてました。ただ、少なくとも自分がやっている仕事にはそれほど直接的な影響があるわけではないので、立場としては、いち読者、いち受け手として語ることになります。この問題に早いタイミングからコミットして論議を高めていったりしている人ほど、僕はこの問題に深く関わっていないし、関われるとも思ってないんですね。

―なるほど。ではある種の外部者的視点から、この問題の現状をどう考えます?

佐々木 今のこのタイミングでお話っていうことになると、震災以後の展開というのを無視することはできなくて、それは一言で言ってしまえば石原都知事の存在だと思うんですよね。おそらく、この記事(4/1収録)が掲載されるころには都知事選が終っているだろうとは思うので、その後の展開の予測は難しいんだけど、まぁこの非実在青少年規制の東京都の問題というのは、すごく簡略化していっちゃうと都知事の「けしからん」みたいなとこから始まっていると皆が思っていて、事実もたぶんそれに近い。

―非常に単純なレベルでの無理解がまずある感じですね。

佐々木 で、石原都知事が当初は出馬しないって言ってたのに急に出馬することになったりして、その後に地震なんかも起こっちゃって、例の天罰発言が飛び出し、まぁ天罰でディスられ天命で出馬して、まぁどっちにしても天なんだなあとは思ったけど(笑)。まぁその後、ニコ生で石原都知事がインタビューを受けた時に、やはりこの問題に関する質問を受けていて、その時に彼は「俺は描くなとは言ってない」と言ったわけですよね。「俺は売るなと言ってるんだ」と。つまり描くことの規制は表現の自由に抵触するし、自分も作家だからそういうことは言わないと。ただ描くことの自由は保障するにしても、後は描かれたものをどうするか、要はどれだけ未成年や子供の目に触れないようにするかという点に対して規制をかけるんだって言い方をしていたんですよ。これはその以前までにこの条例に反対していた人達の観点からすると、やや微修正をしてきてるなっていう、言い方的にね。少なくとも都知事選にむけての露払い的な感じで、反対派へのエクスキューズともとれるような発言をしていて、そこで問題が微妙にややこしくなるのかなという気はしますね。とにかく、今の問題の一つは都知事が誰になるかですから。それが結構大きいんじゃないかなぁ。

ー佐々木さんは石原慎太郎的な意見、考え方についてはどう思われます?

佐々木 僕は今回の石原の会見を文字起こしされたもので見たんだけど、彼は「書くなとは言ってない」という発言のあとに「書くのは自由だと。でも小学生の女の子と担任教師が結婚したり、兄と妹がセックスしたりするマンガってのはやっぱりおかしい」って言っていて、そういうおかしなマンガが世に出回っていて、更には誰でも買えるなんていうのは日本だけだということを彼は怒ってるわけですね。

―そうですね。

佐々木 この発言についても細かく言っていくと色々あるんだけど、僕はそれを聞いてて、まず第一に、すごく表層的な部分においては、それももっともだよなって思う部分もあったんですよ。というのは、僕自身は例えばセクシャルなものとか、それこそコアマガジンさんが出しているようなものとか全然嫌いじゃないし、むしろ仕事的には非常にシンパシーを持ってるんだけど。ただ、例えば色々な仕事関係とかで海外へ行ったり、あるいは外国人と話をするような機会があったりすると、直接的にそういう話題じゃなくても、この問題について聞かれたりするわけですよ。「お前はどう思ってるんだ」と。

―一部のマンガやアニメにおける性表現の過激さについて?

佐々木 そうですね。とりわけ、ここ10年くらいは日本のオタク的なもの、萌え的なものが世界商品としてどんどん輸出されているので…、まぁそういうオタク的想像力とか、萌え系のビジュアルにおいて一番エスタブリッシュされたものが村上隆だと思うけれど、村上隆さんがやってるようなことも今回の条例が規制しようとしている表現、あるいは想像力に実は含まれていたりするわけですよね。我々日本人から見ると、それがある種の犯罪行為や他人に危険を及ぼすような意味での非道徳的行為に結びつくっていう風にはあんまり思えないんだけど、西洋の人たちからすると、我々が普通に萌えとかオタク的なものとして見ているもののある部分っていうのはペドフィリー、幼児性愛に見えてしまうという部分もあるのも事実なんです。

―もう純然たる変態表現として捉えられてしまうわけですね。

佐々木 そう。で、そういうものを世界中に輸出しているってことをあなたはどう思うんだってことを聞かれちゃったりするわけなんです。それは取りも直さず、外国人にそういうものを好む人達がいて、またそういうものを好む人達というのが、ある種の反社会的な層というのと重なっていくということが日本以上にあるのかなと思うんです。ご存知のようにアメリカやヨーロッパにおいては幼児性愛というのは大変な重罪なので、タブー意識も日本人とは較べものにならないくらい高いんですよね。そういう倫理観の問題だけではなく、さらに、向こうからしたらペドフィリー紛いのもので我々は世界中で商売しちゃってるというわけですから、それを言われてしまうと僕も返答に苦しむ部分っていうのはあるんですよね。

―確かに。根本的な文化論や日本の土壌の特異性みたいなところから説明しなければいけないですからね。

佐々木 そういう場において、ストレートに「何が悪い?」みたいなことを言ってしまうと、そこで描かれてる行為そのものに対して好意的であると彼らは思いかねないところがあって。もちろん本来は、表現の自由とは、表現されている欲望の在り方というのが反社会的であるとか、道徳的であるとか、ある人にとって快であるとか不快であるとか、そういう問題ではないはずなんですよね。ただ、ここ2年くらいの間に僕は幾度か仕事でヨーロッパに行ってるんですが、やはり外国人たちと話していると、僕はそういうこととは全く無関係であるのにも関わらず、なんかの拍子で必ずこの話になってしまうんですよ。

―変な温度差を感じますね…。

佐々木 まぁ、それはそれだけ日本のオタク的なカルチャーが海外を席巻しているということでもあるんだけど…、でも多分外国の人達から見て「日本ってちょっとおかしいんじゃないの?」って感覚と、それこそ石原慎太郎の感覚ってそんなに変わらない気がするんですよ。だから、そういう局面においてストレートに表現の自由ということだけを楯として反論することは難しいと僕は思うんです。ただ、いつも外国人に答えている感覚で言うならば、確かに日本のある種の表現っていうのは、他の国からすると性的な倫理観などにおいてややルーズであろうという部分もあって、なおかつそのルーズさが非実在少年というか、幼児やロリータ方向に触れているというのは事実だと思うんだけど、かと言ってそういう類いの犯罪が多いのかと言えば、そうでもない。そういった表現を忌避している西洋と比較しても、実はむしろ少ないってことがポイントだと思うんです。

―そこはしっかり認識してもらいたいですよね。

佐々木 例えばアメリカやイギリスなんかでは、日本でいう援助交際みたいなことをするのがすごい重罪で、レイプなんかしようものなら、頭の辺にGPSとか埋め込まれたりするわけじゃないですか。で、あれはなんでそれほど厳しいのかと言うと、そもそもそういう犯罪が多いし、再犯率が高いからなんだよね。で、そういうタブー感のインフラになっているものは、おそらくキリスト教的なものであったりするわけで、で、同時にキリスト教的なタブーみたいなものが、結果的にそういう欲望を引き起こしているってことも起きているんだろうと思うんですよ。「強く禁止されているからこそしたい」みたいな話ですよね。

―バタイユ的なエロ原理ですね(笑)

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