身体改造ジャーナリスト
ケロッピー前田 インタビュー
日本人の女の子には身体改造がすごく似合う
取材/辻陽介
身体改造ジャーナリスト・ケロッピー前田。
日本における身体改造文化の揺籃期より深くこの文化にコミットしていたパイオニアであり、また自ら海外へと赴き最先端の情報をレポートすることで、日本の身体改造シーンの成長と発展を支えた立役者。
いま我々が当然のように身体改造について語ることができるということ自体、他ならぬこの人物の業績の賜物であると言える。
そんなケロッピー前田の写真展「BODY MOD」が4月18日より原宿アストアロボットにてスタートする。また、4月20日には氏主催によるイベント「THE フッカーズ・ナイト」の開催も決定している。(いずれも既に終了している)
このインタビューは、これら2つのイベントの開催を機に、あらためて日本の身体改造シーンについて、またケロッピー前田という人物について知識を深めるべく行われたのだが、氏いわく、現在、日本の身体改造文化は海外から非常に高い注目を浴びているという。
その理由とは果たして? 日本の身体改造文化の特異性とは?
身体改造文化の現在、過去、未来を生き証人が語った。
?身体改造の現在、過去、未来
?本誌ではすでにお馴染みのケロッピー前田さんですが、余り前田さんについて多くを知らない読者の方もいらっしゃるかと思いますので、まずは前田さんが身体改造ジャーナリストへとなるに至った経緯をお聞きかせ願えますか。
「もともと僕は学生時代から出版社でアルバイトをしていて編集の仕事をしていたんですよ。その後、コアマガジンに編集者として入社し、最初はパチンコ漫画の雑誌に配属されたんですが、途中で「エロがやりたい」と思い、アダルト誌の編集部に移動したんです。その時というのは素人投稿雑誌である「ニャン2倶楽部」が増刊から創刊になるタイミングで、僕は「ニャン2倶楽部」に創刊準備から携わることができたんです。
その中で、「何かコーナーの企画を」と言われ、僕はピアスの企画を出したんです。それが92年。なぜピアスであったのかというと、すでにその頃、性器にピアスをしている人気投稿者がいて、読者からも「ピアスってどうやってするんですか」という問い合わせがしばしばあったんです。その時代というのは海外からボンテージなどSMライクなファッション、あるいはラバーなどのフェティッシュ文化が日本に入ってきていた時期だったので、僕個人も興味を持っていたんです。
まずは体験取材という形で左の乳首にピアスを開け、それを記事にしたんですね。すると読者の人からもそれなりに反響があった。そこで、その後、誌上ピアッシングを行ったり、またタトゥーに関する質問の問い合わせなどもあったので、タトゥーの記事も書くようになっていったんです」
―その後、前田さんは会社から独立してフリーになられてますよね?
「その時期が僕にとって大きなターニングポイントです。5年勤めフリーでやっていこうと独立した時に、コアマガジンから「BUBKA」や「BURST」が創刊したんです。また独立した頃に、僕個人もパソコンを購入し本格的にネットと接続したんですね。まず見たかったのが「BME」というボディ・モディフィケーションのホームページ。そのサイトから、ピアスやタトゥーよりも更に難易度の高いボディ・モディフィケーション、つまり身体改造の世界がネットの中で動き始めていることを知ったんです。それが96年ですね。そして翌年の97年にインプラントの実践のためにアリゾナへ行き、さらにBMEを主催しているシャノン・ララット氏に会いにカナダやフィラデルフィアに行ったんです」
ー当時は身体改造に関する情報は海外発信のものに頼る他はなかったんですか?
photo by keroppy maeda
「僕が初めてピアスに触れた92年当時も、投稿者の人達が見よう見まねで行っていたり、あるいは間宮さん(※)のところでピアッシング・ジュエリーが販売されていたというのはあったんだけど、入ってくる情報はまだ限られていたんです。国内におけるピアス情報は1年から2年ですぐ集められました。そこで、もっと最前線をレポートしようということで94年から海外取材を始めたんですね。そこで得た情報を基に94年に『完全ボディピアスマニュアル』というのを作り、その翌年、『完全ボディピアスマニュアル2』を作ったんです。
その後、会社から独立した後に1と2を合わせた『コンプリートピアス&タトゥーマニュアル』というのを作るという風に流れていった。本を作るという前提があって海外取材をおこなっていた感じです」
―当初はどのような層からの反響が大きかったですか?
「最初の頃においてピアッシングの衝撃で最も大きかったのはやはり性器ピアスでしたね」
―SMファンやマニアの世界の人達に支持されたということですか?
「そうですね。フェティッシュファッションであったり、どちらかと言えばエロのフィールドから入ってきた人達が多かった。その後、タトゥーなどの紹介も行っていくことで少しずつ間口が広がってきた感じですね。それこそ「BURST」におけるタトゥーの記事などは反響が大きかった。「BURST」はタトゥーをフィーチャーしたことで一つの時代を作った雑誌ですから」
―様々な層からの支持が得られるようになったわけですね。
「これはタトゥーにおいて特に顕著なんだけど、「こういうものを好きな人はこういうタイプの人」みたいなありがちな思考から外れてるんです。身体を改造することの面白さはそこにもあるんだけど、そういった類型に縛られずにアクセスしてくる感じが強いですね。僕がこのジャンルをやっていて凄く面白いことの一つは、様々な人がこのシーンに関わっていることなんです。すごい固そうな銀行員が実は性器ピアスのマニアであったり、美術家やアーティストの人達が自らの変態性の表現として身体中を改造していたり。雑誌メディアとしてシンプルなエロだけをやっていると男性向けのファンタジーに即して作ってしまうから、女性には届かない部分があるんです。ただ、このジャンルは男性読者が面白いと思う一方で、実は女の子にも人気があって、愛好者の男女比率が均衡しているんですよね」
photo by keroppy maeda
―享受のされ方が非常に多様なんですね。
「例えばファッションにおいては「こういう格好をしている人はこういう車に乗るだろう」とかいった、ある種の類型のようなものがあるけど、そういうものから逸脱している部分が最初からある。逆に言えば、そういうものから逸脱したい人がこの文化を好きになるのかもしれないっていうのはありますよね」