死体写真家・釣崎清隆
この国のタナトス
文/辻陽介 写真/藤森洋介
もし貴方がどこかの雑誌で死体写真を目にしたことがあるなら、それは釣崎清隆氏の写真である可能性が極めて高い。
なぜか。答えは至って明快。他に死体写真家がいないのだ。少なくとも現状において、アートとして死体写真を専門に撮影している写真家は釣崎清隆氏ただ一人。日本、否、世界においてさえも。
さて、この釣崎清隆とは一体いかなる人物だろうか。
SMビデオ監督を経て死体写真家としての活動を開始したのが94年。その後、タイ、コロンビア、メキシコ、ロシア、パレスチナなど世界中の危険地帯へと単身赴き、各地で死体写真を撮影(その数1000体以上!)。写真業の傍ら、例えば00年公開のドキュメンタリー映画『死化粧師オロスコ』では監督業を果たし、また今年に入ってすでに二冊の著作を上梓するなど旺盛に文筆業も展開。ジャーナリストとしてではなく、飽くまでもアーティストとしての表現にこだわり、死体というオブジェが秘める豊饒なエロティシズムを追求する、現在、世界で最もラディカルな表現者の一人…。
去る3月、震災後間もない被災地の、半ば瓦礫と化した市街に釣崎氏は立っていた。世界各地の死を見据えてきた写真家の眼に、かの地の「死」は、一体どのように映ったのだろう? 我々は現在東京に滞在している釣崎氏のもとを訪れ、氏の来歴、その類い稀なる表現論を伺うと共に、3.11後、氏が実際に被災地を訪れ目の当たりにした「この国のタナトス」の特異性について、お話を伺った。
(2011 6/15 下北沢)
ー本誌は「性」の再考をメインコンセプトとする媒体なんですが、一方、釣崎さんは死体写真家、つまり「死」の専門家ですよね。
釣崎 いや、俺の中では全くそこに矛盾はないよ。俺はもともとエロ畑の人間だし、今は死体写真を撮ってるけど、自分の中で職種を変えたつもりも全くないから。単にまぁ、映像をやっていた人間がスチールを始めた。そっちの変化の方が大きいかな。
―なるほど、ならば一安心です(笑)。ではまず釣崎さんのキャリアについてお伺いしていきたいんですが…、死体写真家としての活動を始められる前はAV監督をされてたんですよね?
釣崎 シネマジックって会社にいたんですよ。まぁSMビデオ監督だね。
―死体写真家としてのキャリアは94年に始まるわけですが、そこへと至った経緯を聞いてもいいですか?
釣崎 簡単に言えば「死体写真を撮れ」という仕事をもらったっていうのが大きい。AVをやっていた時から付き合いがあった小林小太郎っていう編集者がいて、彼はもともと80年代に『ビリー』っていう、恐ろしいエログロ本を作ってた人でね。実際、俺も中高生の頃に読んでいてかなり影響を受けてはいたんだけど、俺がいたシネマジックの社長が編集者時代に小林さんと同僚だったんですよ。で、その頃シネマジックがCD-ROMで小林さんとエロ写真集みたいなものを作ろうとなって、まぁ俺も製作部としてその企画に絡んでた。その時に軍艦島なんかに行ったりしてさ、その中で外人の女と俺が絡んでたりするんだけどね(笑)
ーへぇ(笑)。釣崎さんの男優姿は是非とも見てみたいですね。
釣崎 だけど、その写真集が発禁をくらっちゃって、幻の作品になっちゃった(笑)。『オルガナイザー』っていう作品なんだけど、俺が男優として、エンジニアブーツを履いて全裸姿で出演してます。
―超貴重写真じゃないですか(笑)
釣崎 90年代前半だね。で、その小林さんが90年代版の『ビリー』をやりたいって考えてたんだよ。エロスとタナトスが同居したような雑誌を90年代にあえて作りたい、と。結局それは『TOO NEGATIVE』って雑誌に結実するんだけど。まぁ小林さんはその雑誌の中でタナトスの部分を担う人間を探していたんだよね。しかし、知り合いの写真家何百人に「死体写真を撮って欲しい」と頼みまわったところで、軒並み全員から断れた、と。
『Billyボーイ』(白夜書房)
『TOO NEGATIVE』(吐夢書房)
―そこで釣崎さんに声がかかった、と。
釣崎 そうだね。かつての『ビリー』にも死体写真が載ってたんだけど、あれはありものの古い死体写真、今回は撮り下ろしでやりたいんだ、じゃないと90年代の意味がない、と。俺はそこに凄い共感してね。
―共感、と言うと?
釣崎 80年代、中高生だった頃から、俺は白夜書房の雑誌とかを読んでてね、エロ本の中にタナトス的なものが入ってるというのに慣れ親しんでいたんだけど、ただその中で、テキストがいい加減なのに驚いていたわけ。まず作者の記名がない。そもそも写真自体がどっかから適当に拾ってきた写真だった。俺は高1の頃から自主映画を撮ってたりして、アーティストとして生きてこうって意識が強かったから、そこに不満があったんだよ。写真自体は凄いんだけど情報は入ってこない。いい写真なのに誰が撮ったか分からない。
―なるほど。
釣崎 死体写真に限らず、当時から俺はAVなんかを見ていても、個人的には監督に興味がいってたんだよね。でも、監督名が載ってないAVがあったりする。それが俺には意味が分からなかった。でも、大学生の時にAVのレビューを雑誌に書いたりする仕事をしてて、月に60本くらいAVを見ていた中で、AVに凄いロマンを感じるようになり、大学卒業後にAV業界に入った。まぁ結局は幻滅したわけだけど(笑)
―幻滅、というのは?
釣崎 幻滅といってもただ一点だけだよ。「ケシ(ぼかし)はいつなくなるのか」。ケシの消去に前向きな動きもないし、むしろ「それがあるからいいんだ」とかいう話を作家側がしてる。俺から言わせれば、作り手がそんな風に考えルこと自体がおかしい。まぁ先輩の監督とかはみんなそうだったよ。ケシがあるから可愛い子がこの業界に入ってくるんだ、とか。ケシをどういう風に加工するかで作家性が決まるんだ、とかね。
―確かに現在においてもモザイクの美学っていうのはありますね。
釣崎 まぁアーティストとしてやっていこうと思った時に、なんで、と素直に思うわけだよ。ちょうどその時期は日本映画も含め、日本の映像文化が沈滞してドン底の状況だった。その中で、俺はAVこそが日本の映像文化を変えるんだって当時は真剣に思ってたから。
―革命意識をもってAVを撮られていたんですね。
釣崎 作ってる人間もアナーキーな人間が多いだろう、とは思ってた。まぁ実際に業界外部への敵対意識みたいなものを持っている人は多いし、それなりにとんがってはいたんだけど、でもやっぱり基本は保守的だったよね。…で、ここで話を戻せば、会社を辞めて色んなことに丁度嫌気がさしていた時に死体写真の話がきた。小林さんが80年代の写真家たちに声をかけまくったけど、1人も死体写真を取りにいくって奴はいなかった、と。困りに困ってAV会社を辞めたばっかりのAV監督の俺に、死体写真を撮る気はないか、と言ってきたわけ。まぁ相当困ってたんだろうね(笑)
―その時点で釣崎さんの写真家としてのキャリアはゼロですもんね。
釣崎 なんにもない。でも俺は二つ返事で「行ってきます」と。
―いいタイミングだったんですね。
釣崎 そうだね。俺はもともと『ビリー』なんかの読者だったし、映像でいえば『デスファイル』とか、ああいうものを経てきていたから。つまり、既に素地はあった。「俺ならできるかもしれない」、と。それで最初タイに行ったんだけど…、まぁ「撮れちゃった」っていう現実があって(笑)。それがきっかけで「もっと何かないか」って続けてる内にここまで来た感じだよ。
―死体というテーマに違和感は全くなかったんですか?
釣崎 全くなかった。必然といってもいい。まあその後、『BURST』とかが登場して俺の作品が載ることになるんだけど、俺の存在があの雑誌を特徴付けた部分もあったと思う。
―僕自身『BURST』で釣崎さんを知った口ですね。
釣崎 まぁ世代的にもそうだろうね。『BURST』は一番売れてた時期で実売が4万数千部とかだったけど、実は大した部数ではないよね。
『BURST』(コアマガジン)
―ただ圧倒的な存在感がありましたよね。それこそ中学生ぐらいの多感な少年にとっては、ツタヤなんかで一般誌の中に紛れて『BURST』があったわけですから、インパクトはでかい。
釣崎 俺が中学生の時にサブカルエロ本を読んでたのと感覚的には同じなんだと思うよ。
―ところで実際にタイに行って初めて死体写真を撮った時はどんな印象でした?
釣崎 基本的に同じだよ、SMビデオやってる感覚と。エクストリームなものを現場で作り上げて撮るのか、あるいは足を使って探り当てて撮るのか、プロセスこそ違っていても、感覚的には同じ。まぁ何が同じって言われると、難しいけれど。世代感覚もあるだろうしね。俺の死体写真を好きと言ってくれる人の中でも、僕とほぼ同じ意識で見てくれる人もいれば、全く違うアプローチで見る人もいる。ネット経由で俺の写真を知った人は特にそう。エロの部分を全く見ないというかね。
―エロトス的な視点がないんですね。
釣崎 それがエロティシズムと不可分であることを知る環境にない。例えば今回の震災において近親者のむごい死にざまとかを目撃してしまった小さな子供たちが、その後、死をエロと結びつけられるかといったら、なかなか難しいだろうなと。人それぞれの環境によってとらえ方も違う。俺の辿ってきたプロセスと君が辿ってきたプロセスもまた違うわけだ。
ーそうですね。『BURST』が非エロ本であるという点においても、少なからずズレはありますから。
釣崎 大体さ、『BURST』を引き合いに出せば、なんでタトゥーとハードコアパンクと死体が一緒くたなんだよ、と。でも、たとえ恣意的だとしても、一度そのように纏められてしまうと、読み手側はごく自然にそれらが一緒のものだって思っちゃうっていう。そこが肝だよね。
―大いにありますね。それがメディアの力だと思います。
釣崎 俺は小学生の頃にヤコペッティのショックメンタリーを見たんだけど、現代美術と蛮族の奇習と死体が、同列に扱われてる。その根底にはヤコペッティの個人的な嗅覚や美意識があるんだとは思うけど、一本の映画としてそれを享受した時、いち小学生としては「そういうもんだ」と思うしかないというね。葬儀なんかで実際の死体に触れてもその考えからは抜けられない。
―作家の特権ですよね。今は情報が細分化している分、その恣意的な同列化が行いづらい部分もあるかもしれませんが…。ところで、釣崎さんは死体写真を撮るという行為、あるいはその写真をメディアに載せるという行為に、どのような意味を感じています?
釣崎 まずこの仕事がイケると確信したのは、死体を通して生の社会全体を見ることができる、と考えたから。死というのはオルタナティヴな視線そのものなんだよね。あえて死を媒介することによって、この世界を語る上での説得力を獲得したかった。自分が手にした表現手段として、自分なりの言葉を手にした感覚はありますよ。実際、「死をとらえる」ことはいままでほとんど誰もやってこなかった。それは日本ならず世界においてもそう。その点では「やる意味」と言うよりも、「やる奴がいないよりいた方がいいだろ」っていう考えもある。表現の幅を広げるという意味においてもね。
―今もし釣崎さんが撮るのを止めたらその時点で日本のメディアから死体写真は消えるわけですからね。考えてみると凄い話です。
釣崎 少なくともアートの領域においてはね。メキシコやタイでは、センセーショナリズムのメディアが報道の一環として死体写真を掲載していたりするんだけど、それはどこまでもジャーナリスティックな視点なんだよ。俺はそういう立ち位置とは違う。あくまでアートとしてやりたいっていう部分がある。「こんな悲惨なことがありました、皆さんどうですか?」ってだけの写真じゃ余りにも面白くない。
―確かに。
釣崎 悲惨な事象があったとして、それが「どれだけ悲惨か」を分かりやすく伝えるために写真を使うだけじゃ、死体の一面だけしか語れない。タナトスからエロスへっていう流れは生じないんだよ。要するに、ジャーナリズムにおいては死体は全くエロくないわけ。エロくしちゃいけないわけ。アートという分野はそこをこじ開けていく世界だと思う。俺はオマンコをクリアーにはしてこなかったけど、死体においてはそれなりに表現の戦いをしてきたつもりでいるんだよね。
―オマンコをクリアーに出来なかったことへのリベンジでもある、と?
釣崎 そういうわけではないけど、いちエロの世界に携わっていた人間として、責任を感じてる部分は大いにある。死の表現に関して、幼い頃に感じていた息苦しさをこじ開けていくための作業をやってきたわけだけど、その感覚はエロに対しても同じでさ、つまり「な~んで、ここが見えないのよ」と。
―めちゃくちゃ素朴な疑問ですよね(笑)
釣崎 ね(笑)。俺は小学生の頃から映像で身を立てたいって思ってて、そういう視点から例えば『エマニエル夫人』とか見てたわけで。で、「なんでここにボカシがかかってんのかな」って、素朴な疑問を感じた。俺が大きくなってもこれがずっと残ってたら嫌だなって思うわけだよね。それは誰しもが一度は感じてるはずで、ただ馴致されてしまう。
―気付かないところで、その状況に馴らされてるところはありますよね。
釣崎 それは敗北だよ。業界の人間でさえそう。今のAVの業界はさ、言っちゃ悪いけど志し高いやつなんて殆どいない。エクストリームな人間はいっぱいいるんだけど、他に能がないからそこにいる、みたいなね。エロ本業界もそういうとこはあると思うけど。
―あると思いますよ。ただ僕らの世代の出版人からすると、それこそ90年代の出版界なんて、ある種、憧れの的であったりもするわけです。特にエロにおいては、非常に元気があったし、表現もキレてた。
釣崎 大したことねぇよ、あんなの。「できた」だけじゃん、単に。それが許されていた時代であった、ってだけ。マンコにケシさえ入ってれば他は何をやったっていいんだって時代が確かにあったんだよ。代表的な例は野外露出だよね。90年代頭と終りを見比べると天地の差がある。それは完全に俺らの世代に責任があるんだよ。許されていた時代に何も行動を起こさなかったっていうね。駅のホームで放尿させるとか、今ではありえなない…、いや「今ではありえない」って言葉を発している時点で、俺らは権力に教化されてるわけなんだよ。
―残念ながらそうですよね(笑)
釣崎 俺より上の世代の人間なんかはエロを革命と位置づけたわけでしょ。「だったらお前、最後まで責任とれよ」って。裁判になって軒並み負けて、そこで積み残した問題を俺たちに丸投げしたわけだ。まぁ言い訳するわけではなく、それに対して何もできなかった俺らの世代は罪深いよ。でも一方で、90年代の半ばくらいに別の業界からポーンと入ってきて事も無げにヘアー解禁をやってのけられてしまった。内部からは何もできなかったのにもかかわらず。そういう忸怩たる思いはすごいある。
―一方で時代は進行し、今ではネットさえあればケシ無しの映像がいくれでも見れる、という状況になってますから。これも外部からきてぽーんとやられた感じですよね。
釣崎 二極化してるよね。要するにマーケットで流通している旧態依然とした表のエロの傍らで、裏では完全に解禁されたエロが享受できるという。行政もこれをほぼ放置している。つまり、この国には表立った表現の解禁などをやるつもりはない、ってことが明らかになっちゃったわけだよ。ただ、たとえ行き遅れたのだとしても、作家側、作り手側はさ、規制に対しては戦っていかないといけないと思うよ。これは自戒を込めてね。俺らは何もしてこなかったし、まして俺は途中でその世界を抜けた人間だから。