ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 004

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第四回

石井隆 『名美・イン・ブルー』

石井隆 『おんなの街』(Ⅰ)(Ⅱ)



「劇画」と言っても若い人だと、何のことだかわからないかもしれない。通常のマンガよりリアルで泥臭いタッチで描かれた、青年以上向けのコミックを劇画という。『ゴルゴ13』で有名な、さいとう・たかをのような画風を思い浮かべれば良い。「マンガは子どもの読むもの」と思われていたその昔、大人向きのテーマの作品は、みんな劇画タッチだった。国際政治、過激なアクション、社会的テーマのあるもの、などなど……。要するに大人向けのテーマのものは、およそ劇画タッチで描かれていたのである。


 だからマンガでエロティシズムを描きたいと思えば、作家は否応なく劇画を選ぶことになった。どんなに高尚で文学的な意図で描く際にも、どんなに低俗な助平根性で描く場合も、エロスを描くなら劇画というのが、七〇年代までの状況だった。オタクふうのかわいい絵でエロを描くなど、考えられもしない時代があったのだ。


 いまでは『花と蛇』などの映画監督として有名な石井隆もまた、そんな劇画からキャリアを始めた人だった。だが「エロ劇画家」としての石井隆は、ひどく奇妙な作家だった。途中までは普通に濡れ場が描かれていて、しかも滅法、絵が巧い。だが、読者の気分が盛り上がってきた最高潮のあたりで、突然、主人公の男女いずれかが、血まみれになって死んでしまう。エロスの頂点に至ったところで、突然「死」が噴出するのである。


 たとえば『名美・イン・ブルー』所収の「紫陽花の咲く頃」では、強姦魔に犯されかかった主人公の女が、死んでしまった強姦魔の死体に自ら股がり、彼の亡がらを屍姦する。雷鳴の響く紫陽花の茂みで、屍姦に喘ぐ彼女の姿。彼女の姿は死とエロティシズムの錯綜によって、雷鳴を呼び起こしているかのように見えるのである。


 エロティシズムは「シテハイケナイ」からこそ「シタイ」こと、つまり禁止への侵犯であり、人間は死ぬまでこれを追求する動物だとバタイユは書いた。バタイユに限らず、西欧圏のポルノグラフィーには、エロスの裏側にある死の側面、エロスと死が交錯する瞬間を描いたものが少なくない。石井はそんなエロスと死の交錯を、執拗なまでに描き続けたのだ、と言える。


 だが石井の作品には、西欧圏のエロス美学とは十把一絡げにできない、日本的で昭和的な「哀しみ」の感覚が溢れている。彼の劇画のほとんどには、いつも「村木」と「名美」という名の、男と女が登場する。毎回同じ顔のこの二人は、まったく異なる設定、役柄で登場するが、常に激しく交わり、愛憎をぶちまけ、そして血まみれで死んでいく。そうした作品をいくつも通読するうちに、読者は男と女の避けがたい運命や哀しみを、二人の上に幻視してしまうのである。


 たとえば『おんなの街』所収の中編「雨のエトランゼ」には、名美はエロ本のモデル、村木はエロ本の編集者として登場する。名美は村木と男女の関係を結ぶが、村木に妻のあることを知り、村木の前から姿を消してしまうのである。


 村木と別れた名美が走ったのは、ヒモ体質のカメラマン、川島の許だった。名美は川島の写真に潜む芸術性を見抜き、彼を支えようと決心するが、マニア向けの本番撮影会に売り飛ばされて輪姦され、結局は川島の許をも去ることになる。やがて彼女は名前を変え、ポルノ女優から一般映画へ、さらにはテレビの深夜枠にまで進出する。だが、当時の名美のフィルムを持つ川島は、週刊誌にフィルムを売り払い、再び名美はスキャンダルに沈む。川島は名美の存在を、骨の髄までしゃぶったのである。


 こうして何もかも失った名美は、ある雨の降る夜に、再び村木のいる編集部に現れる。人気のない深夜の雑然とした編集部で、激しく愛を交わしあう村木と名美。二人は無人の机の上で、ラジオの歌謡曲を伴奏に、裸でチークダンスを踊る。そして二人は問わず語りに、互いの過去を語り合うのである(ちなみにこの場面は、本誌の発行元であるコアマガジンの親会社、白夜書房の事務所で実際にロケをして描かれている)。


 だが、「トイレに行ってくる」と部屋を出た名美は、そのままビルの屋上から身を投げて死んでしまう。村木が最後に見た名美の姿は、まさに地上へ墜ちていく瞬間の彼女だった。雑多な資料で埋め尽くされた編集部の窓から、二人は一閃のまなざしを交わし、永遠に引き裂かれてしまうのである。


 欧州圏のエロティシズム文芸の多くが、死とエロスの一瞬の交錯を描いたのだとすれば、石井は死によって断ち切られるエロスの哀しみ、やるせなさを描いたのだと言える。しばしば彼の作品の背景に流れる昭和の歌謡曲と同様、そこには涙で湿った昭和の性愛、エロスの哀しき叙情が漂っているのである。






なみいんふ゛るー.jpg#07【名美・イン・ブルー】 (著)石井隆おんなの街1.jpg#08【おんなの街】 (著)石井隆おんなの街2.jpg




樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

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【ブログ】少女の掟