ヒロイン手帖 × 愛☆まどんな

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ヒロイン手帖 その10

愛☆まどんなとは何者なのか? 


文/荒玉みちお 構成/うぶモード特ロリ班


女なのに女キャラが好き。女なのに少女が好き。
自分でもセーラー服を着たりするが、基本的にそれはパフォーマンスの一環。いわゆるコスプレマニアの美少女キャラおたくではない。実物を紹介できないのが残念だが、美人である。興味津々に取材敢行



セーラー服は日本女子の誇るべき一張羅です



ロリコンというマイノリティな抑えきれない性癖を、表現者として処理しているアーティストたち。今回もそのような匂いを漂わせている美術家が主役なのだが、事情が少し違う。「愛☆まどんな」とは、女性なのだ。しかも美人。短絡的な発想で「レズ系ロリータ?」と疑問が沸く人もいるだろうから先に結論だけ言っておくと、いたって普通の性癖を持った(つまり人並みに男性に恋をする)女性なのである。


なぜ? どうしてこんな絵を描く? 人間とはやっかいだ。大衆と異なる匂いを持った人や現象に対してその理由を求めたがる。当然、取材陣はその作品の源泉を探るべく「どうして?」の質問攻めをする。しかしそのたびに「なぜと言われても……」と、戸惑うのであった。


「単純に趣味が偏っちゃっただけです。14歳~19歳くらいの少女が好きですね。もの心ついた頃からそうだったんで理由がわからない。きれいで官能的だなって。思春期を迎える女の子のカラダの変化には神秘を感じます。女の子を描いてるとすごく癒されるんです」


絵を描くときのイメージは中高生。


「私はセーラー服が好きです。厳かで格好いい。日本女子の誇るべき一張羅だと思います」


本人は現役(中高生)の頃、制服を着る機会はなかったという。


「でも秋葉原でのパフォーマンス活動をやっていた時期は、衣装として着ていました」


制服を着て、路上やクラブでライブペインティングなどを展開しているのだ。


「私は外に出るのが苦手だったので、部屋でコソコソ作品を作ってるタイプだったんです。ギャラリーやイベントなど美術の枠の中だけで作品の発表をしていました。ある時、美術家の友人が〝君の絵はもっとオモテに出るべきだ〟と言ってくれて、それで、好奇心が沸いて外に飛びだそうと思ったんです」


選んだ場所は秋葉原。時代を象徴する忌まわしい事件が起きる前のことだ。


「最初の2週間くらいは毎日一人で秋葉原に行って描いてました。モデルの女の子、DJ、VJとか、仲間が徐々に増えてプロジェクトとしてパフォーマンスをするようになりました。毎週日曜日、昼間は歩行者天国で、夜は駅前で。あの頃の活動は私を大きく変えました」


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セーラー服を着て路上に立ち、工事現場などの壁一面にキャンパスを敷いて美少女絵画を描きまくるライブペインティングを展開していた。固定ファンもついてかなり盛り上がっていた。しかし、あの事件が起きる。ホコ天は中止となり、街は一変。秋葉原での活動は終止符を打つ。


「あの地で活動していた以上、私達も責任を感じました。パフォーマンスの観客中に事件に関係した人達がいたかもしれないし。決して無視できない事態でした」


師匠は会田誠さん。このコーナーの第一回に登場してくれた芸術家。


「私は中学の頃から会田さんのファンだったんです。その頃、『コミッカーズ』という雑誌に、会田さんが〝学校では教えてくれない美術〟みたいな内容の連載をしていて、よく愛読していました」



『コミッカーズ』とは、プロを目指す美術家・漫画家の卵たちを読者層にした雑誌で、現在も『コミッカーズ・アートスタイル』と改名して半年に1回の敢行ペースで続いている。※注、現在は休刊。


「高校を卒業して芸大を受けたんです。でも落ちた。浪人はしたくなかったんでウロウロ調べてるうち、会田さんが美学校で講師をしてると知って、これはいかなければと」


先生と生徒の関係? 師弟関係?


「影響は凄く受けています。会田さんの授業は8割が飲み会になっちゃうんですけど、美術の現場によく生徒を連れ出してくれました。当時私は画風の違う絵を学校では描いてたんですけど(プロフィール欄にあるような絵らしい)、会田さんに〝こういう絵、よくあるよね〟と言われて以降、かなりヘコんじゃって素直になれない作品ばっかり作ってました。女の子の絵は恥ずかしくて誰にも見せられず、人前では描いていなかったんです。授業の最終課題が会田さんのグループ展に参加するコトだったんですけど、最後の最後まで何していいのか分からなくて、会場の隅っこでコソコソ女の子の絵描いて独りで楽しんでいたんです。そしたら偶然会田さんに見つかって、〝君はコレを描くべきだ〟と言われて。一気に火がつきましたね。美少女を描いて描いて描きまくった。そっからです、女の子の絵を表に向けて描くようになったのは」


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