ヒロイン手帖 その11
斎田石也
ロリータ出版業界の生き証人が満を持して登場
文/荒玉みちお 構成/うぶモード特ロリ班
伝説のロリータ専門誌『アリスクラブ』の編集執筆、ビデオや写真集のプロデュースなどロリコン業界をリードしてきた第一人者。肩身の狭い性癖を抱え込むのではなく、表現者として世間に発信してきた異人が語る少女愛とは!?
?高校生の時、公園を歩いてたら、小学生の女の子が隅っこでオシッコしていました。それを見て自分の嗜好に気が付いたんです
「いわゆる業界の人間、みたいな形になったのは『CANDY』というビニ本に小説を投稿したのがきっかけです。それまであちこちに投稿はしてたんですけど。純文学誌とかコバルトとか手広く。でもそっちは箸にも棒にもかからなくてね。『CANDY』だけが相手にしてくれた。不動産屋の営業マンが公園で小学4年生の女の子と公園で出会い、最終的には女の子の部屋に遊びに行って、ことを致すという内容の小説です。要するに強引ではなく、女の子のペースで大人の男が導かれるという、和姦です。僕の書いたものに強姦ってひとつもない。好奇心少女がいて、後半にはちょっと変態少女みたいな姿をさらすような。ちょうどその頃、僕自身が不動産屋の営業だったんで、手っ取り早い妄想で書いてました。昭和50年代の終わりぐらいの話ですね」
数年前から繁栄してきたビニ本時代の、終わりの頃の話。その頃のロリコン関連誌は、写真と読み物が中心だった。
「そうこうしているうちに、なんで名前が知れたのかわからないんだけど、三和出版の『ロリコンHOUSE』の創刊誌がうちに送られてきたんです。それで“原稿お待ちしています”と、投稿を促されて1本投稿し、2回目からは依頼が来て書いてました」
書き手から徐々に編集者として活動を開めた。
「そのあと、自分でもサークル社とか桜桃書房とかでビニ本を作るようになって。同時に、マドンナメイトから小説を何冊か出したりしてました。少年出版社(※小社の前身)さんにもずいぶんお世話になりましたよ。高田馬場に「ぺぺ」というブルセラショップがあったんだけど、そこに出入りしてるときに『クラスメイトjr』の編集Kさんがやってきて、実写版『制服図鑑』みたいなものをつくろうという話になった。それからはずっと少年出版社さんの専属みたいな立場で、暇を見て他の出版社の仕事をやるという感じになりましたね。ある編集部にいると“こっちの締切は今日ですけど”って、別の雑誌の編集者がやってきて、その場で原稿書いたりとか」
そもそもの目覚めは何だったのだろうか。
「僕の場合は直接的に写真集で影響を受けたとか刺激を受けたってわけでもない。それ以前からですからね」
自覚したのは高校時代。
「友達と3人で公園を歩いていたら、隅っこでパンツを降ろしてオシッコしている少女がいた。思わず足を止めて見た。でも他の友達は“なんだ、ガキじゃねえかよ”と言うわけです。その当時、まあ当たり前の光景でしたからね。でも僕はそこできた。それから意識的に観察していると、たとえば車止めに跨ってぐりぐりしてる少女がいたりしてね。あれって気持ちいいからやってるんだろうなと、考えるようになった。お医者さんごっこだって、女の子のほうが積極的ですからね。それで徐々に興味を持っていった」
ちょうどその頃、『ニンフェット』という1冊の写真集が出た。ニンフェットとは、ナボコフの小説『ロリータ』において、主人公の博士が9歳から14歳の少女を指した言葉として、その後、定着した専門用語である。