第一回
ジョルジュ・バタイユ 『エロティシズム』
ジョルジュ・バタイユ 『空の青』
アダルト・ビデオのメーカーに『無垢』という会社があって、そのサイトの冒頭には「シテハイケナイコト。」というコピーが綴られている。「シテハイケナイ」からこそ「シタイ」ことが、当社の作品にはぎっしり詰まってますよ、という宣伝である。ジョルジュ・バタイユの手になる『エロティシズム』は、この「シテハイケナイ」からこそ「シタイ」という、禁止と侵犯のメカニズムからエロティシズムを分析した大著である。
エロに分析など要るか! と思う読者も多かろうが、短気を起こしてはいけない。発情や性行為は犬や猫でもするが、アダルト・メディアやらエロ本やらを発明して、日々エロス文化を堪能するのは人間だけである。セックスそのものは動物的だが、エロスは優れて人間的な文化であり、そこには無意識の法則や論理がある、というのがバタイユの考えだ。
たとえばアダルト・メディアが制服にこだわる理由を、バタイユの唱える「禁止と侵犯」の理論は、ものも見事に説明してくれる。セーラー服も看護婦も、メイドも巫女もOLも、制服は「それを身につけている人には手を出してはいけない」という禁止の記号であり、禁じられているからこそ脱がしたくなるのだ。最初から素っ裸であるよりも、制服を脱がすという侵犯行為にこそ、人はエロスを感じてしまう。「お兄ちゃんやめて」とか「課長いけません」なんてのも同様だ。「シテハイケナイ」から「シタイ」のであり、「シタイ」から「シテハイケナイ」のである。
さて、それでは性にまつわる禁止の最たるものは、なんだろう? 制服だろうか、近親相姦だろうか?姦通だろうか、同性愛だろうか? バタイユは「死」こそ禁止の最たるものであり、それ故にこそ魅力的なのだ、と言ってのける。これがかの有名な「エロティシズムとは死に至るまでの生の称揚である」という言葉である。
度肝を抜かれる断言ではあるが、これはいわゆる「腹上死」を思い浮かべれば合点が行く。以前、解剖学者の上野雅彦氏がテレビで喋っていたのだが、日本ではなんと年間数百人もの人が、腹上死を遂げているらしい。しかも男性の死因は心臓マヒだが、女性の死因は脳溢血だという。かように人間というやつは、ほっとけば「あの世にイク」までセックスを続け、死へと続く聖なる体験を、求めてやまない動物なのである。各種の禁止はこの度外れた欲望に、タガをはめるために生み出されたのに違いあるまい。
さて、バタイユはこうした死と性の表裏一体ぶりを、サド文学からブードゥー教まで持ち出して縦横に論証。性も殺害もオッケーの、侵犯行為に溢れた古代社会から、これを禁止した文明社会へと、人類の社会は変貌してきたのだと述べる。そして、こうした禁止以前の例として彼が紹介するのが、古代ギリシャにおけるディオニュソス信仰である。
ディオニュソス信仰は悪名高い古代の邪教で、同性、異性を問わずセックスに明け暮れ、犠牲のヤギを捌いて血まみれになって食べるという、無茶苦茶な祭りで知られている。ここまで無茶な例は限られるが、古代における性への鷹揚さは、世界に広く見られる現象である。実際、我が国の古事記にも、冒頭から神々のセックスシーンが描かれているし、源氏物語なんてセックスと恋愛とレイプが果てしなく綴られる、途方もないエロティシズム文学なのだから。
こうした鷹揚な性を追放し、性を禁止の暗がりに追いやった犯人は、西欧社会を席巻したキリスト教であった、とバタイユは論じる。だが、こうしたおおらかな性を禁じたのがキリスト教だけだったかというと、そうでもない。たとえば我が国の場合だと、既に江戸時代には売春は厳格な管理下に置かれ、遊女は一定の地域に幽閉されて、外出すら許されなかった。このほか不義密通は死罪だし、享保の改革以降は春画も禁止である。性への厳しい禁止体制は、どこの国にもあったのだ。
だが、こうした江戸幕府の性への禁止を、もしバタイユが知っていたら、おそらく彼は「キリスト教主犯説」を撤回し、新たな理論構築に向かっただろう。彼は机上の空論を何よりも嫌う、苛烈な体験至上主義者だったからだ。事実、バタイユは小説も書いたが、彼はその小説『空の青み』のなかで、登場人物にこんなことを言わせている。
「サドを賞賛する人間はいんちきなんだよ。(中略)やつらは糞を食べたというのかい。ええ、食べたのか、食べなかったのか、どっちなんだ」。
エロティシズムの歴史をひもとけば、禁止と侵犯のメカニズムは古今東西に見つかるし、江戸幕府のエロス禁令は、むしろバタイユの論の射程範囲の広さを物語るものでもある。日本の性の歴史の研究書を、もしバタイユが書いていたら? そんな想像を膨らませながら、私はバタイユを楽しんでいる。
#001【エロティシズム】
(著)ジョルジュ・バタイユ
(訳)澁澤龍彦
#002【死者/空の青み】
(著)ジョルジュ・バタイユ
(訳)伊東守男
樋口ヒロユキ
サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『
死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学
』(冬弓舎)。共著に『
絵金
』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。
【HP】樋口ヒロユキ
【ブログ】少女の掟