ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 008

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第八回

ジョルジュ・バタイユ 『ジル・ド・レ論』

山口昌男 『歴史・祝祭・神話』



「エラい人」はあくまで「エラい人」であって、「エロい人」であってはならない。それが世間の建前である。実際には「エラくてエロい人」もいるわけだが、これがバレて表沙汰になると、週刊誌なんかで叩かれて、たいてい失脚する羽目に陥る。


 権力とエロスは厳しく分断すべしという掟は、社会が身につけた知恵である。この知恵のおかげで我々は、権力者に無理矢理手篭めにされたり、理不尽な理由で性奴隷にされたりすることはなくなったのである。


 だが、エロが好きでたまらないという権力者もたまに出てきて、その度に世間の顰蹙を買う。古くは芸者をかこって首相をクビになった宇野宗佑がそうだったし、セクハラ裁判にかけられた大阪府知事、横山ノックもそうだった。いずれも、みみっちいことこの上なく、もはや哀れというほかない。


 谷崎潤一郎の短編『刺青』ではないが「まだ人々が愚かという尊い徳を持って」いた時代には、権力者は悠々自適、思うさまにエロスの徒花を狂い咲きさせていた。たとえば、この連載タイトルの元ネタとなった、マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日』などは、さしずめその代表格だろう。


 古城に四人の男たちが立てこもり、幾多の性奴隷を監禁していたぶり、淫行と暴虐の限りを尽くすというのが『ソドム百二十日』のあらすじである。のちにこの作品は、イタリアの映画監督、ピエール・パオロ・パゾリーニが、舞台をファシズム政権末期のイタリアに移し、映画化したことでも有名だ。


 この書物を著したサド侯爵は、自分自身の古城を持っていた立派な貴族で、実際にここに娼婦を連れ込み、SMプレイに耽ったりしていた。とはいえ、彼が暴力的なエロスを真に全開にさせたのは、小説の中でだけの話であって、作中に出てくるような残虐な殺人を、彼が本当に行ったわけではない。


 サドが生きたのはフランス革命の時代で、既に人権意識が芽生え始めた時期であった。いかにサドが貴族であっても、そう好き勝手はできなかったのである。このあたりの事情は拙著『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』に詳しく書いているので、興味のある方はご参照いただきたい。


 王侯貴族が思うがままに、エロスと暴虐の限りを尽くせたのは、サドの時代から遡ること三百数十年前、ジル・ド・レ公の時代以前ということになるだろう。この残虐な酒池肉林に明け暮れた、史上おそらく最悪の貴族、ジル・ド・レ公について、フランスの思想家、ジョルジュ・バタイユが綴ったのが、ここに紹介する『ジル・ド・レ論』である。


 ジル・ド・レは小児性愛者の同性愛者で、しかも殺人愛好癖があるという、およそ考えうる限り最悪の人物であった。彼は自分の治める農村の少年をさらってきては、その幼い腹の上に射精し、腹を断ち割って殺害したのである。残虐行為は休むことなく続き、ジルは毎日、少年たちの死体の腹を開いて鑑賞したばかりか、切断した首を見比べては、どれが美しいか品定めしてキスしたという。


 ジル・ド・レはこうした残虐行為以外に、極端な浪費をも好んだ男であり、後年は完全な破産状態に陥った。焦った彼は、いったんは安値で売却した城を、武力で強引に取り戻そうとしてトラブルを起こしたり、破産状態を免れようと錬金術に手を出したり、挙げ句は悪魔との契約を行って、少年たちの遺体の一部を、生け贄に捧げたりしたのであった。


 のちにこうした罪状は、当局側の知るところとなり、彼は火刑に処せられる。だが、彼はその前半生では、イングランド王の侵略にさらされたフランスを、ジャンヌ・ダルクとともに勇猛な戦いぶりで救い、救国の英雄として讃えられていたのである。


 しかもフランスの庶民の間では、のちに「ジル・ド・レ信仰」さえ芽生えていた。文化人類学者の山口昌男は、その著書『歴史・祝祭・神話』のなかで、バタイユの書物を紹介したあと、この奇妙な殺人鬼信仰の存在を報告している。権力とエロスが分離され、理不尽な残虐行為が絶えたのちも、いや、それが社会から消え失せたからこそ、庶民はその暴虐とエロスの記憶を求め、祭り上げたのだろう。


 ちなみに死後、ジルの霊は、不妊治療に御利益がある、ということにされたらしい。これだけ強烈なエロの怪物なら、相当効き目がありそうだ、というわけだ。大衆の欲望は殺人鬼の封建領主をも凌ぐ、恐ろしい貪欲さを備えていたのである。


 こうしたジルの人生を振り返るなら、同じ「残虐さ」という彼の性質が、前半生では英雄の美質として賞賛され、後半生では恐るべき怪物の所業として断罪され、死後には神として称揚されたということになろう。けだしジル・ド・レという人物は、エロスと権力が引き裂かれていく、歴史的分岐点に立っていた人物だったと言えよう。






bataille.jpg#18【ジル・ド・レ論】 (著)ジョルジュ・バタイユ51OueOvqCrL._SL500_AA300_.jpg#19【歴史・祝祭・神話】 (著)山口昌男



樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

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