第九回
アントナン・アルトー 『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』
古屋兎丸 『ライチ☆光クラブ』
「エラい人」はあくまで「エラい人」であって、「エロい人」であってはならない……ということに、現代の社会ではなっている。だが、実際にはそうではない者もいる。バレると2ちゃんで祭りが起き、ブログが炎上することになる。権力は社会の頭、エロスはその尻であり、権力とエロスを厳しく分断するのが、現代社会の掟なのだ。
だが歴史を遡ると、ワガママ放題の「エロくてエラい権力者」がいっぱいいて、暴虐の限りを尽くしていた事実が目に入る。サド侯爵やジル・ド・レ公など、彼らの残虐な酒池肉林、いや酒「血」肉林の所業を見ていると、まったく現代に生まれてよかった、と思うことしきりである。
さらに歴史を遡るなら、面白半分に人を殺し、放蕩と乱費に明け暮れたカリギュラ帝や、母子相姦に母親殺し、同性との結婚式と、あらゆる悪徳に耽溺した暴君ネロが、その系譜上に浮かび上がる。その昔の権力者たちは、公然とその倒錯ぶりを、満天下に示していたのである。
『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』は、そんな倒錯的権力者の一人、ヘリオガバルス帝の生涯を綴った物語である。この美しい少年は、わずか十四歳で王座に就いたが、王に即位してローマに入城するとき、全隊列を後ろ向きに並べ、後ずさりしながら入城したという。つまり彼はわざわざ「尻」の方から、玉座に就いてみせたのである。彼がいかに尻と権力を結びつけたがったかを、鮮やかに示すエピソードである。
この奇妙な美青年は、公の席では必ずと言ってよいほど女装したばかりか、舞台ではわざわざ全裸になって、女神を演じて喜んだ。ところ構わず指で猥褻な仕草をし、長老議員たちの腹をピタピタと叩きながら「オカマを掘ったことがあるか」と尋ねて回ったというから、実に下品極まりない。
相手が男女のいずれであろうと、自分の体のすべての穴で、淫蕩な行為を働き快楽を貪る。さらには売春婦の身なりで街を歩き、皇帝であるにも関わらず、実際に身を売ることさえあったという。しかも興味深いことに、なぜか彼が好んだのは、辻馬車の御者と交わることであった。おそらくは御者が馬を鞭打つように、彼は自分の尻を叩いて欲しかったのだろう。
とはいえ、この程度の乱行であれば、単にタチの悪いカマキャラであった、というに過ぎない。しかも当時は同性愛も、タブー視されてはいなかった。問題はこの異常な王が、単に自分の趣味としてではなく、ローマ帝国の政治の原理に、エロスを組み込もうとしたことにあった。彼は男根の大小で部下を評価し、巨根の持ち主を大臣にしたのである。
さらにこの暴君は、巨大な男根状の隕石を、神として崇拝することを市民に強要。それ以外の神々の像を、徹底的に破壊した。こと、ここに至って市民はキレた。臣下はいっせいに叛逆を起こし、こともあろうに便所の中で、ヘリオガバルス帝を殺害。バラバラに引き裂いて惨殺したのち、遺体を下水溝に放り込み、河に流して捨ててしまった。享年十八、墓石どころか葬儀さえない、あまりに無惨な最後であった。
ちなみに、この「男根の絶対王政」を夢見た美青年は、なぜか自らの男根を切り落としたいと、常々切望していたそうだ。おそらく彼は、法で世界を支配する「王」でなく、エロスの原理で国家を支配する「女王」をめざしたのだろう。事実、彼の生まれた中東のシリアには、男根状の巨石を信仰する、母系的な王権社会があったという。だが、そんな異形の王権が、ローマ帝国に根付くことはなかったのである。
ちなみに本書はフランスの劇作家、アントナン・アルトーの手になるもので、伝記的事実と哲学的思弁が入り乱れ、どこまでが史実か判然としない。著者のアルトーは、あまりに激烈な思弁と詩作に明け暮れた末、ついに発狂したシュルレアリストだ。本書の述べるヘリオガバルス帝は、アルトーの脳内で醸成された、なかば架空の人物なのである。
この話は作家のイマジネーションをいたく刺激するらしく、多数の作品がここからは生まれている。澁澤龍彦『犬狼都市』所収の小説「陽物神譚」や、飴屋法水主宰の劇団、東京グランギニョルによる演劇作品「ライチ☆光クラブ」、さらにはこれをマンガ化した、古屋兎丸の『ライチ☆光クラブ』は、いずれもヘリオガバルス帝のエピソードを、重要なイメージ源としたものだ。
権力とエロスを強引なまでに融合させた、古代ローマの異形の皇帝。その姿は、時代も場所も超えて作家たちの琴線をくすぐる、不可解な魅力を秘めている。だが、その最期はきわめて悲惨なものであった。やはり「エラい人」は「エロい人」であってはならなかったのである。
#20【ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト】
(著)アントナン・アルトー
#21【ライチ☆光クラブ】
(著)古屋兎丸
樋口ヒロユキ
サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『
死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学
』(冬弓舎)。共著に『
絵金
』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。
【HP】樋口ヒロユキ
【ブログ】少女の掟