ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 012

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第十二回

真鍋俊照 『邪教・立川流』



 日夜、男女が性交し、セックスによるヨガ修行に明け暮れる。男女合一の姿こそ悟りの境地と触れ回り、ゾウの姿の歓喜天や、キツネに乗った女神のダキニ天といった、異形の神々を信奉する……。そんな最悪の淫祠邪教として、徹底的に弾圧された密教宗派、それが「真言立川流」である。


 立川流の本尊は「髑髏本尊」と呼ばれ、死者のドクロを墓場から掘り起こし、男女の淫水で百二十回塗りかためたもの。完成すれば生者のように口を開き、未来を語ると信じられた。立川流は、そのあまりにスキャンダラスな修行法から、僧侶はことごとく殺害され、教典も燃やされて散逸し、地上から消え失せてしまった。現在にまで残るのは、立川流を批判する立場からの文献ばかりだ。


 前回はその中興の祖とされる僧侶、文観と、文観を重用した後醍醐帝について紹介したが、この項は個人的に興味深いので、今回もその続きを書く。今回ここで紹介する書物は、真鍋俊照の『邪教・立川流』である。


 著者の真鍋は金沢文庫の文庫長を経てコロンビア大学招聘学芸員などを歴任し、現在は四国大学で教鞭を執る、仏教美術の研究者。大学人でありながら、現役の僧侶でもあるらしい。本書のきわめてユニークな点は、立川流を邪法としながらも、金沢文庫を始めとする豊富な原資料を、仏教者の視点でつぶさに読み解き、立川流を構造的、かつ肯定的に描き出した点にある。


 たとえば髑髏本尊への信仰にしても、ひとり立川流だけが、こうした異端的な教義を説いたのではない、と同書は語る。中世にはドクロを用いた密教儀式が、ほかにも多数流行したし、チベットにはドクロに血をなみなみと注いで飲む、密教の秘儀もあったらしい。世界に広く目をやれば、立川流と同様の教義は、多数存在していたのである。


 また、男女の淫水から生命が生まれるのは、単に立川流の妄想ではなく、現在では広く知られた科学的事実である。これを死者のドクロに塗って、未来を語らせようとした行為は、いわば死の象徴に生の象徴を塗り重ねることで、死と再生を演じようとした、錬金術的思考の産物であったと同書は説く。目から鱗が落ちるような指摘である。


 さらに続けて、こうしたエロスとタナトスの結合は、立川流にばかり見られるものでなく、数多くの宗教儀礼、なかでも密教のなかに豊富に見られる、普遍的信仰であると同書は語る。羽黒山などの修験道にも、出産の過程を象徴的に演じる、死と再生のプロセスがあるらしい。いわばエロスとタナトスを巡る、普遍的思索の一つとして立川流は生まれ、中世に隆盛を極めたのである。


 著者は立川流の説くエロス観を、詳細に分析したうえで、結局は密教の本義を踏み誤り、邪法に堕したものであると結論している。だが、エロスの正邪の分かれ道、その間には悩ましい境界領域があることにも触れ、次のように語っている。


「混浴をしていて、湯ぶねの中で、すがすがしい風にあたり、雄大な山河の風景にひたっていたのが、空海以来の正純な密教である。一方、同じ湯ぶねにつかりながら、異性の裸にばかり目をやっていたのが立川流である。しかし生身の人間が、そう簡単に割り切れるものだろうか。平安時代の密教には、この両方の視点があったのではないかと思う。いや両方の視線があったればこそ本当の密教と言えるのではないか」。


 密教ではエロスなどの迷いの世界を「衆生」と呼び、悟りの世界を「法界」と呼んで、エロスの正邪を区別するかに見える。だが我々が生きるこの現実の世界、衆生と法界が混じりあった状態を、密教では「loka」と呼び習わす。世の中、そんな綺麗ごとばかりじゃないよという現実を、密教は真正面から見据えていたのである。


 平安時代の密教は、まさにこの「loka」のなかにあって、衆生のエロスにまみれながら法界を垣間見ようとした「法界的エロス」の思想であったと言える。真言立川流もまた、そうした中世の思想的格闘の、一つの産物だったのである。


 だが、立川流の開祖、仁観は、天皇呪殺未遂の容疑をかけられ、伊豆に配流されたのち、わずか五カ月あまりで自殺。その後、細々と続いた立川流も、徹底的な弾圧に遭って消滅する。エロスと死、そして権力の切り結ぶ法界を夢想した立川流は、歴史によって断罪され、無明の闇へと葬られたのである。


 なお、著者の真鍋俊照は、こうしたエロスの信仰に触れて、今日の前衛芸術や性解放の思想とも共通する、と指摘している。土方巽や笠井叡、田中泯や麿赤児など、いわゆる暗黒舞踏の踊り手たちは、エロスとタナトスの交差する法界に踊る、密教的身体芸術ではなかったか、と。誠にもって興味深い、傾聴に値する指摘といえよう。







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#25【邪教・立川流】
(著)真鍋俊照




樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

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【ブログ】少女の掟