第十七回
『古事記』(上・中・下)
英雄色を好むと言うけれど、現代の我々が住む社会では「エラい人」はあくまで「エラい人」であって、「エロい人」であってはならない。少なくとも、建前上はそうである。ところが歴史を振り返ると、このタブーを平然と破った権力者たちが、往古の昔にはいっぱいいた。ジル・ド・レ公やヘリオガバルス帝、信長公や後醍醐帝、後白河帝や白河帝といった権力者である。
こうした「エロい権力者」たちは、歴史時代に入ると往々にして、不幸な最期を遂げることが多くなるが、神代の時代にはさにあらず、もっとエロい権力者がいたようである。実際、『古事記』をぱらぱらめくると、神話だかエロ話だか分からない話がこれでもかとばかりに連発されるのに出会って、読者は面食らうことになる。
有名な国生み神話では、男神のイザナギが「自分の体には出来上がりすぎたところがある」と告白し、女神のイザナミが「自分の体には出来上がりきらないところがある」と答える。で、両方の凹凸を突き合わせて、子どもを作りましょう、となるわけだ。
イザナギ、イザナミの夫妻は子だくさんで、日本の国土をなす島々や、森羅万象の神々を生むが、イザナミの死後、イザナギはどうやら後妻を迎えたらしく、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三つの神々を生む。このうちアマテラスとスサノオの姉弟コンビは、いろいろ奇怪なエロ行為を働いて、読む者をまったく飽きさせない。
まずは読者の目を引くのが、二人の交わす「ウケヒ」という行為である。要は両方とも子どもを作って、どちらが男の子を多く作るかで勝ち負けを決めようという賭け事なのだが、その際、スサノオは剣を出し、アマテラスは数珠を差し出して交換し、それを口に含んで子どもを作った、とある。
こういう連載をしているせいか、どうもこのウケヒという行為、性行為の隠喩に見えて仕方がない。剣はペニスの象徴に見えるし、数珠はヴァギナの入り口に思える。要はフェラチオとクンニリングスを、姉弟でやろうというのである。
そのあともスサノオの行動はふるっている。スサノオは俺の勝ちだと大騒ぎした挙げ句、馬の生皮を剥いで、機織りをしているアマテラスの家に投げ込むのである。
現在でも巨根の持ち主を「馬並み」などと言ったりするが、フロイトによると馬というのは、父親の巨大なペニスの象徴なのだそうだ。生皮を剥がれたスサノオの馬は、さしずめ処女の生き血を吸った、巨大なペニスの象徴だろう。それをスサノオは姉の家にぶち込むのである。
アマテラスは連続レイプ魔のスサノオにうんざりして、天の岩戸にお隠れになるが、このあとも古事記には奇妙なエロ話が続々と出てくる。特に好色なのが「大物主」という神様で、さすが「大物」の主というだけあって、しょっちゅう女性に悪さをしては、妊娠ばかりさせている。この神様はスカトロ趣味の気がある上に、多情多根の傾向が強い、非常に奇妙な神様なのだ。
たとえば女性が用便をしている間に、こっそり便所に忍び込み、矢じりに化けてホトを突き、妊娠させて結婚する。あるいはほかの女性の家まで、毎日夜な夜な通ってきて、あっという間に妊娠させる。さらに二人だけでは物足りないのか、ヤマトトトヒモモソヒメという女性のもとをも訪れ、この姫とも愛を交わすのである。
大物主の話で面白いのは、最後の姫とのエピソードである。この姫は夜だけしか会いに来ない大物主を恨んで、昼にも会いたいとせがみだす。大物主は箸箱の中に隠れて会いに来るが、姫がこの箱を開けてみると、中には小さな小蛇がいたという。さしもの大物主の誇る巨根も、昼間だから萎えていた、という隠喩だろうか。
だが、絶倫が自慢の大物主は、昼間の萎えた男根を見られて「恥をかかされた」と怒り狂い、姫の許を去ってしまう。残された姫は悲嘆にくれて、箸で自分のホトを突き、そのまま亡くなってしまうのである。
この姫を葬った古墳は通称「箸墓」と呼ばれ、奈良県の桜井市にいまでもある。この箸墓は先ごろ放射線による測定が行われて、卑弥呼が亡くなった年代と、古墳の造営時期が一致することがわかった。姫の正体は卑弥呼ではないかと、考古学ファンは大騒ぎになったそうだ。だが、もし姫の正体が卑弥呼なら、卑弥呼は精力絶倫な大物主と、愛人関係にあったことになる。卑弥呼もなかなか、好色な女王だったのかもしれない。
かように神話の時代には、権力者も自由自在に、エロスと権力の双方を楽しんでいたことがわかる。「エラい人」が「エロい人」であっても許される時代は、神話の時代のなかにだけ存在するのかもしれない。
#32【古事記】
(上・中・下)
樋口ヒロユキ
サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『
死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学
』(冬弓舎)。共著に『
絵金
』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。
【HP】樋口ヒロユキ
【ブログ】少女の掟