ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 020

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第二十回

小島てるみ 『ヘルマフロディテの体温』



 ギリシャ神話の世界には、エロティックな物語が溢れている。主神ゼウスは強姦を繰り返すレイプ魔だし、ケンタウロスは神と馬が交わってできた獣姦の産物。酒の神ディオニュソスの祭儀では、男女を問わぬ乱交が演じられたし、そもそもエロスという言葉自体、ギリシャ神話の恋の神から来ている。


 不倫にスカトロ、人形愛と、ギリシャ神話はヤってはいけない、性愛のカタログのようなものである。エロの根源はギリシャ神話にあり、と言っても過言ではない。そんなギリシャ神話の中には、両性具有の神の姿も、きっちり描き込まれている。ヘルマフロディテがそれである。


 ヘルマフロディテは名前の通り、旅人の神ヘルメスと、美の神、アフロディーテの間に生まれた子である。なにせ美の女神の息子なので、血統書付きの美声年だったが、泉で水浴びをしていたところ、泉の精のニンフに襲われて、逆強姦されてしまった。ヘルマフロディテとニンフの体は水中で溶け合い、男とも女ともつかぬ体となった。これがその誕生の由来である。


 作家の小島てるみの手になる『ヘルマフロディテの体温』は、この物語に想を得て書かれた中編小説である。さほど分量が多いわけではない。だが、その内容たるや、ちょっとした大長編にも匹敵するほど錯綜をきわめ、両性具有についての博物学的記述に溢れた、バロック的な構成を持つ。


 小説の舞台はイタリアのナポリ。どういうわけか「フェミニエロ」と呼ばれる、女装者や性転換者の多いこの街が『ヘルマフロディテの体温』の舞台である。


 主人公の青年、シルビオは、郊外の田舎町から、ナポリに医学を学びに来た若者だ。だが、彼には秘密がある。女装してマスターベーションを行うという奇癖である。実は彼が思春期を迎える頃、母親が性転換して出奔する、という事件を経験。以来、シルビオは母親を憎みながらも、この奇癖を辞められないのでいるのだ。


 母親を憎み、自分を憎み、フェミニエロの多いナポリを憎むシルビオだが、医学校での胎生学の講義で、彼は奇妙な人物と出会う。真性半陰陽で性転換手術の権威、ゼータ教授である。ところが、このゼータ教授こそ、シルビオの母に性転換の手術を行った、張本人だったと判明するのである。


 講義中に声を荒げ、性転換についての批判を繰り返すシルビオ。だが、ある夜、女装姿で外出した彼は、夜の街で暴漢に襲われそうになる。しかも間一髪、そこに通りかかってシルビオを救った人物こそ、誰あろうゼータ教授だったのである。


 かくて貞操の危機を免れたものの、女装姿をゼータ教授に目撃され、写真にまで収められたシルビオは、教授のアシスタントとして「問題」を解くことを余儀なくされる。教授がシルビオに出した問題は、フェミニエロの起源を探り、最初のフェミニエロを見つけ出し、自分が女装する理由を探って、それを「物語」にすることだった……。


 ここまででも十分に、一編の長編が書けそうな内容だが、これはほんの導入部に過ぎない。以降はフェミニエロたちへのインタビューや、ナポリに伝わる両性具有の神話、そしてシルビオが紡ぎだした架空の物語が、入れ子状になって展開され、しかもその間をびっしりと、両性具有についての博物学的記述が埋めていくのである。


 作者の小島てるみはイタリアへの留学経験を持ち、翻訳業を経てデビューした作家で、イタリア語での小説発表の経験もあるなど、彼の地についての該博な知識と語学力を持つ作家らしい。作中における主人公、シルビオの経験も、かなりの部分が小島自身の体験に基づくものではあるまいか。


 大きな物語に複数の物語が入り込んだキメラ的な本作の構成は、それ自体が複数の性が入り交じる、両性具有のメタファーになっているし、迷宮のような地下トンネルを持つという、ナポリの都市構造とも照応する。精妙緻密にして気宇壮大、近来まれに見るほどの、優れた綺想文学である。


 作中教えられたところによると、半陰陽は約二千人に一人の割合で、必ず生まれるものだそうだ。二千人に一人なら、半陰陽の人口は日本国内に限っても、約六万人にも及ぶはずだ。もはや「第三の性」として考えるべき数字ではないかと思う。


 フェミニエロが公然と闊歩するナポリの街にあってさえ、タブー視されるという半陰陽をテーマに据え、ここまで高度な文学に高めた小島の手腕には、敬服するよりほかにない。同時に、そうした禁断の「第三の性」を、はるか古代の昔から、物語に織り込んでいたギリシャ神話の凄みにも、改めて本作は気づかせてくれる。ギリシャ神話のエロスの深みは、とことんまで深いのである。







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#37【ヘルマフロフディテの体温】
(著)小島てるみ



樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

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【ブログ】少女の掟