ソドムの百二十冊 樋口ヒロユキ 021

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第二十一回

倉橋由美子 『大人のための残酷童話』



 エロスとはもともとギリシャ神話に登場する神の名で、ローマ風にいうとキューピットとなる。人の心に恋心と欲情を植え付ける、あの弓矢の持ち主である。


 エロスは人間の娘のプシュケと恋に落ちるが、プシュケはさまざまな苦難を乗り越えて、ついにエロスと結ばれる。このエピソードは、以前にも本欄で紹介した。エロスは性愛、プシュケは魂を意味する言葉だが、性愛が魂と結ばれて真の愛になるには、艱難辛苦を経なければならないのだろう。


 だが、このエロス=キューピットは、翼を生やした赤ん坊の神として描かれる。肉欲などまだ芽生えもしない赤ん坊が、なぜエロスなのだろうか? プシュケがいくら純真だったとはいえ、こんな赤ん坊と満足のいく夫婦生活を営めたのだろうか?


 ここに疑問を感じたのが、作家の倉橋由美子である。彼女によると、プシュケがつまんでも引っ張っても、エロスの下半身は男性の印を見せることはなく、二人は結ばれることはなかったのだそうだ。神話とはまるで逆の結末であり、倉橋はこの変奏曲を、こんな言葉で結んでいる。


 「教訓 坊やには恋をする資格はないのです」


 この物語が収録されているのは、倉橋由美子の短編集『大人のための残酷童話』。同書は残酷な話ばかりでなく、エロティックな話も多数収録している。ギリシャ神話を筆頭に、グリム童話やアンデルセン童話、日本昔話や今昔物語、カフカの『変身』のような現代文学まで、そのネタ元は実に多岐に渡る。エロスと残酷のつづれ織りとくれば、本欄で紹介しないわけにはいかない。


 たとえばアンデルセン童話をもとにした「人魚の涙」。この作品には元の童話と同様に人魚が登場するが、その姿はふつうの人魚とは逆に、上半身が魚、下半身が人間。つまり人魚ならぬ「魚人」なのである!


 このグロテスクな人魚姫、遭難して溺れた王子を救い上げるところまでは同じだが、童話と違ってその下半身で、気絶した王子とまぐわってしまう。そこからさらに話は捩じれて、奇想天外な結末を迎えるのだが、ここでは伏せておくとしよう。


 あるいは、日本の昔話に題材を採った「一寸法師の恋」。こちらは外見上ほぼ原作通り、小指ほどの背丈の一寸法師が登場するが、これがとんだ好き者の一寸法師。お姫様の「一番大事なところ」に潜り込み、夜な夜な姫を慰めるのである。


 この一寸法師、全身で姫の秘所に潜り込んでいるうちは、姫にも喜んでもらえたものの、打出の小槌で人間並みの姿になってみると、肝心のところは小人サイズのままだった、というオチがついている。結びはさらにナンセンスな場面で終わっているが、そこは是非ご自身でお読みいただきたい。


 ギリシャ神話に限らないことだが、多くの人が共有する神話や昔話には、ひどく残酷なものやエロティックなものが多い。現代に流布する教科書的な童話集は、そうした毒の部分を取り去った「調理済み」の、衛生的なものである。本来のナマの民話や昔話は、まるで倉橋童話に出てくるような、グロテスクで奇怪な姿をしていたのだ。


 倉橋の作品にはいつもどこかに、グロテスクな神話的エロスが漂っている。切断された首を愛でる女を描いた短編『ポポイ』は、聖書に出てくるサロメの伝説を彷彿とさせるし、彼女には『聖少女』をはじめとして、近親相姦をモチーフとした、ギリシャ神話的な作品が少なくない。


 人間という生き物は、淫乱で残酷で貪欲で、差別が好きで見栄っ張りなのだろう。そんな人間が物語を語れば、自然とエゲツない筋立てになるのに違いない。ギリシャ神話もまた人間の欲望をあからさまに描く物語の体系であり、倉橋は心のどこかに、そうした神話的な放埒さを秘めていたのだろう。


 ちなみに九〇年代末に出た桐生操の『本当は恐ろしいグリム童話』も、こうしたナマの民話の姿に想を得たもので、エロティッックな要素を孕むが、その文体は「テニヲハ」すら怪しく、とうてい「大人のための」童話と呼べる水準にない。桐生操は女性二人の共同ペンネームだそうだが、両名ともフランス留学の経験があるという。日本語の乱れがひどいのはそのためだろうか。大人のための童話は、やはり倉橋作品に限るようだ。







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#38【大人のための残酷童話】
(著)倉橋由美子




樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

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【ブログ】少女の掟