第二十五回
ハンス・ベルメール『ザ・ドール』
★ベルメールの「反人形」
さて、前回までは文芸書か人文書ばかりを律儀に取り上げて紹介してきたが、私の本職は美術評論家で、本来は文字を読むより絵や彫刻を眺める方が好きである。そこで今回からしばらくは「エロスの美術館」と称してお気に入りの画集や作品集を取り上げ、エロスと美の間に遊んでみたいと思う。
ここにご紹介するハンス・ベルメールは、20世紀初頭に生まれたシュルレアリストで、いわゆる球体関節人形の元祖として知られている。かなり有名な作家なので、ご存知の方も多いだろう。
ベルメールの人形は、基本的に十代の少女をモデルにしている。膝や肘、腹などの部分に球体状の関節が組み込まれ、自在にポーズを取ることができ、分解、組み立てが可能である。とはいえ腰から下は二対あり、四本の脚がある上に、付け外しの可能な瘤が無数に用意されている。ベルメールはこうした少女人形の部品を、無限に組み立てては解体し、写真に収めていったのである。『ザ・ドール』はその写真を集めた日本独自の編集版で、比較的入手しやすい。
ここに収められた人形の姿を、ここでちょっと素描してみよう。あるものは生身の人間ではありえない角度に、全身がねじ曲がっている。あるものは顔の部分だけが取り外されて、虚ろな内部を曝している。あるものは腹部から二つの股間を生やし、腹部と股間だけという状態で放置されている。
あるいは全身から得体の知れない瘤を生やしたもの。あるいは四本の脚だけで立っているもの。あるいは伝染病のような斑点を全身に浮き上がらせたもの。あるいはバラバラの部品に解体されたもの……。どれもこれも既に人の形をしていない。
その意味で彼の作品には「人形」という形容はふさわしくなく、もはや「反人形」と呼ぶほかない。彼の作品が幼女殺人の代理物であることは、誰の目にも明らかだろう。実際ベルメール自身さえ「もし人形を作っていなかったら、幼女殺人を犯していたかもしれない」と語っているのだから。
★父=ナチスへの叛逆として
彼の人形のモデルは従妹のウルスラという少女だった。彼はこの幼い従妹に、近親相姦的な欲望を抱いていたのだ。それにしても、幼い娘に恋心を抱くだけならまだしも、なぜ殺意までも覚えたのか。以下、ニューヨーク大学で美術史と博物館学を教えるTherese Lichtensteinの『Behind Closed Doors: The Art of Hans Bellmer』から、ベルメールの生い立ちを振り返ろう。
ベルメールが生まれたのはカトヴィーチェという小都市で、現在ではポーランド領になっているが、当時はナチス・ドイツの支配下にあった。ベルメールの父親はポーランド人でありながら、なんとナチスに入党していたのである。
のちにナチスはカトヴィーチェだけでなく、ポーランド全土に侵攻し、アウシュビッツ収容所を建設して大量のユダヤ人を虐殺したほか、ポーランド人もユダヤ人同様、計画的に虐殺していった。ベルメールの父のナチス入党がいかに異様な選択だったか、改めて説明するまでもあるまい。
ベルメールはこの父親から機械技師になるよう強要され、炭坑や製鉄所で働かされたが、この父親は家庭内でも暴君のように振る舞い、芸術や文学を軽んじ、実用的なテクノロジーを賛美する人物だった。ご存知の通りナチスはフォルクスワーゲンを大量生産し、アウトバーンという高速道路網を張り巡らせ、機械のごとく行進する国民を生み出した政党で、ベルメールの父と実によく似た精神構造を持っていた。ベルメールの父親は、ナチスに入党すべくして入党したのである。
ベルメールの少女嗜好は、そうしたナチス=父の見せる機械的強権主義に対する反発であり、国家からは評価されない「女々しさ」や「少女性」のなかに立てこもろうとする行動だったと言えるだろう。実際、彼は少女そのものばかりでなく、レースやリボン、小さなボタンなどといった少女的アイテムを心から愛する少年だったし、のちには「国家に有用な労働のいっさいを放棄する」と宣言して、いったん職に就いていたデザイナーの事務所を辞めてもいる。少女嗜好は父=国家への叛逆行為だったのである。
★「有用でないもの」は暴力で圧殺できない
ただしベルメールはひたすら美しい少女人形を作ったのではなかった。彼は機械の部品を組み込まれて解体されたような、機械的少女の人形を創り上げ、それをカメラという光学器械によって撮影したのである。英語では写真を撮影することを「shoot=銃撃する」というが、ドイツ語でも銃撃するという意味の「schiesen」という言葉を使うそうだ。ベルメールは少女を心底から愛していたはずなのに、その反対物である父を象徴するかのような光学器械によって、少女を射撃し、処刑したのである。
それではなぜベルメールは、そんな矛盾した行動を取ったのだろう。ここにあるのは一種の自傷行為のような心理だろうと私は思う。親との激しい葛藤にさらされた子どもは、しばしば自分の大切なものや自分の肉体そのものを傷つけ、親への復讐を遂げる。たとえば娘にカネだけを与えて愛を与えない親への面当てに、娘が援助交際や売春に走るように。あるいは世間体だけを重んじる親への反抗として、少年が暴走行為を繰り返して自分の命を危険に曝すように。
人形に代表される「少女的世界」は、ベルメールにとって自分の愛する分身であり、父に代表されるナチズムへの対抗原理でもあった。そうした分身である少女人形を、彼はカメラという「父=ナチス的機械」によって、あえて自らの手で処刑する行為に耽った。彼の球体関節人形の写真は、まさに象徴的な自傷行為の産物だったのである。
ナチスに入党したベルメールの父親ほどではなくとも、芸術や文学を小馬鹿にする人はいっぱいいる。こうした人は二言目には国家がどうの忠誠心がどうのと独善的な持論を吐くのが好きで、実務的で「有用な」知識ばかりを称揚する。実際、現代の日本でもこうした人がいて、下手をすると政治家になっていたりする。彼らは自らの問題点を微塵も疑わず、やたらと他人に罵声を浴びせ、自分自身の無知や無教養を恥じない。
こういう政治家を支持する人は、歴史がベルメール父子にどういう審判を下したか、よく見るがいいだろう。ナチの残虐行為が戦後に断罪されたことはご存知の通り。かたやベルメールの作品は、いまではフランスの国立美術センターに収蔵されている。世の中には表面的に「有用でない」ものであっても、大切なものが山ほどある。愛、優しさ、美しさ、エロスもまたそうである。暴力は愛を一時的に圧殺できても、最後は歴史の前で裁かれる。最後に勝つのは愛なのだ。
#44『ザ・ドール』
ハンス・ベルメール
樋口ヒロユキ
サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『
死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学
』(冬弓舎)。共著に『
絵金
』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。
【HP】樋口ヒロユキ
【ブログ】少女の掟