樋口ヒロユキ ソドムの百二十冊 #26 丸尾末広 『夢のQ-SAKU』『DDT』『少女椿』『パノラマ島奇譚』

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第二十六回

丸尾末広『夢のQ-SAKU』
丸尾末広『DDT』
丸尾末広『少女椿』
丸尾末広『パノラマ島奇譚』



★旧態依然のエロマンガを突き破った異端児



 その昔のエロ漫画には、とってつけたような筋立てしかないものが多かった。お話そのものを辿っても「面白い!」と思えるポイントがなく、単に登場人物を脱がす口実として事件が用意されているだけ、といった態のものである。
 絵の方もたいていは泥臭い劇画タッチで描かれ、読者の「実用」に貢献しうる程度にはリアルだが概して下手なマンガ家が多く、絵としての魅力に富むものとなると淋しいものだった。石井隆などのごく少数の例外を除けば、物語として面白く絵としても面白い、つまりは作品として論じるべきものはごく少数、という状態である。そうしたエロマンガの「常識」を覆した衝撃的作家が、ここにご紹介する丸尾末広である。

 私が初めて丸尾の作品を目撃したのは一九八二年の初夏のことだった。エロ漫画雑誌『漫画ピラニア』の誌上に掲載された「童貞厠之介・パラダイス」(『夢のQ-SAKU』所収)という作品で、私は中学三年生。エロマンガ雑誌専門の自動販売機(というのがその頃にはあったのだ)で購入した。いわゆる「自販機本」というやつである。
 「童貞厠之介・パラダイス」は、それほど長い話ではない。主人公の童貞厠之介は、尿に催淫効果のある浮浪少年という設定だ。この「催淫効果のある尿」というアイデアに、まずはひっくり返ってしまった。厠之介は女子高生に尿の匂いをかがせて麻痺状態にし、廃墟に拉致して輪姦するのである。一体何なんだ、このマンガ!

 しかも主人公の厠之介は、それまでのエロ漫画の常識を覆す美少年として描かれていた。頭髪は乱れに乱れたパンクカットで、陶器のような白い肌。しかもなぜか戦前の時代劇のヒーロー、丹下左膳のように、片目の潰れた少年なのである。ド派手な女物の着物を腰のところで引きちぎって羽織り、帯の替わりに荒縄で縛るといういでたち。スネまでロールアップした破れパンツにブーツというボトムが、なんともパンクでグラマラスだった。しかも雨というわけでもないのに、常に唐傘を差している。パンクでグラムで和装という、その異様なファッションに、私は完全に度肝を抜かれた。
 輪姦する男たちもまた、暗黒舞踏のダンサーさながらの白塗りに禿頭で全裸の姿。その首領格と思しき男は、作家の稲垣足穂そっくりで、脇にはちゃんと「イナガキタルホ!」と、手描きでキャプションが添えてある。犯される方の少女たちも、戦前の挿絵画家、高畠華宵が描くような、大正風の前髪パッツン美少女たちである。

 ロック、時代劇、舞踏、文学、それに少女雑誌の挿絵。わずか数ページに無数の引用がこれでもかとばかりに埋め込まれ、暗黒のエロティシズムの坩堝で溶融している。しかもこうした暗黒のエロスが、スネ毛や服の皺、後れ毛の一本一本まで描き込まれ、月岡芳年の浮世絵のような、殺気を孕んだ極細線で描かれているのだ。丸尾末広というその作家に、私は一発で虜になった。



★エログロ、SF、笑い、伝奇ロマン……。



 翌年、マンガ雑誌『ガロ』の版元として有名だった青林堂という出版社から、丸尾の『DDT』という単行本が出ているのを知って即座に買った。まだ高校生で小遣いも乏しかったが、以降はすべての作品を、やりくりして工面しながら買い求めた。
 パンクバンド「スターリン」のレコード・ジャケットを丸尾が手掛けていることを知り、こちらもすぐに買って大ファンになった。のちにスターリンのボーカル、遠藤ミチロウはソロに転向し、童貞厠之介そっくりのいでたちでステージに立つ。衣装を担当したのは沢田研二の衣装担当で知られた異能のスタイリスト、早川タケジ。鬼才ばかりが三つ巴でぶつかったステージには、震えが来るほど熱狂したのを覚えている。

 そんな丸尾の『少女椿』は、薄幸の美少女「みどりちゃん」の半生を描く物語だ。病気の母はネズミに食われて亡くなってしまい、畸形のサーカス団に拉致されて犯され、飼っていた犬は鍋にして食わされ、交際相手の小人からは暴力を振るわれ……、といった具合に、不幸の曼荼羅のような物語が続くのだが、それが丸尾の手にかかると、一幕の夢のような幻想奇譚に見えてくる。
 この作品は一九九二年にアニメ化され、自前で劇場を建てて各地を巡業するという特異なスタイルで上映が続けられたが、この作品の関西での上映に際しては、矢も楯もたまらずプロデュースを名乗り出た。いまにして思えば無茶なことをしたものだが、そのくらい丸尾が好きだったのだ。

 以後の丸尾作品も、どれもこれもが大好きで、正直甲乙が付け難い。内容もエログロナンセンスはもちろん、SFありお笑いあり伝奇ミステリあり、なかには昭和史の暗部に取材した重厚な作品もあって、全部をここに紹介したいくらいだ。
 そんな彼の傑作郡の中から、あえて一つだけ挙げるなら『パノラマ島奇譚』になるかもしれない。ご存知、江戸川乱歩の同名小説を漫画化した作品である。




★息を飲む水族館の描写の凄まじさ



 あらすじは原作とほぼ同じだ。売れない作家の人見広介が、自分と瓜二つの大富豪、菰田源三郎の死を知って、菰田その人になりすます。永年、人工楽園をテーマに小説を書き綴ってきた人見は、菰田が営々として築いた富を投入。洋上に浮かぶ孤島の上に、壮大な人工楽園を建設する。
 乱歩の原作、丸尾版ともに、パノラマ島の描写には、あらゆる奇想が凝らされているが、丸尾版で度肝を抜かれるのは、その凄まじいまでの画力である。たとえば本作にはガラス張りの海底通路が登場するが、ガラスの海底通路など、いまでは多くの水族館に見られるものであって珍しくも何ともない。ところが丸尾の極度に張りつめた硬質な線で描かれると、我々は海底通路というものが本来持っていた異様なインパクトに、改めて直面せざるを得ないのである。

 たとえば水中で放射状に翻る、無数の魚たちの群れ。水流の中で揺れ動く、イソギンチャクの卑猥な肉襞。ガラスの壁面にへばりつく、大蛸の吸盤のいやらしさ。淫猥にもつれあい絡みあう、多種多様な海藻のうねり。こうした海底の光景を、氷結させたかのような筆遣いで丸尾は描くのだ。
 こうしたものを映像で撮っても、もはや私たちの目には「よくある水族館の光景」としか映るまい。よく「絵にも描けない美しさ」というけれども、ここに描かれる海底通路は、写真や肉眼では絶対に見えない「絵でしか描けない美しさ」であり、丸尾の絵であればこそ可能になった光景なのだ。

 このほか巧みな引用を凝らして描かれるパノラマ島の奇観には、誰もが息を飲むほかないだろう。あちらにはローマの古代遺跡やマニエリスム時代の廃墟庭園があり、こちらにはボマルツォの怪物庭園があり、その彼方にはボッシュの三連祭壇画と思しき風景が覗く。ここまでの描写は江戸川乱歩の原作にも登場しない。あらゆるイメージが縦横に紡ぎ合わされた光景は、丸尾ならではの「絵でしか描けない美しさ」である。
 なお、本作は二〇〇九年、手塚治虫文化賞において、新生賞を受賞している。斬新なマンガ表現、画期的なテーマなど、新しい才能を示した作品に与えられるものだそうで、まさに本作にこそふさわしい。

 それにしても、かつて自販機本でデビューしたエロマンガ家が、時を経て手塚治虫文化賞を受賞しようとは、一体誰が予想しただろうか。エロスもただひたすらに突き詰めれば、やがて芸術になるという見本のような作品である。是非お手許に置いて愛蔵し、幾度も見返していただきたい。





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丸尾末広『夢のQ-SAKU』
丸尾末広『DDT』
丸尾末広『少女椿』
丸尾末広『パノラマ島奇譚』




樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



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