樋口ヒロユキ ソドムの百二十冊 #28 A・P・ド・マンディアルグ『城の中のイギリス人』 『薔薇の葬儀』 葛飾北斎『喜能會之故眞通』 三島由紀夫『サド公爵夫人』

000

sodom_top.jpg



第二十八回

A・P・ド・マンディアルグ『城の中のイギリス人』
A・P・ド・マンディアルグ『薔薇の葬儀』
葛飾北斎『喜能會之故眞通』
三島由紀夫『サド公爵夫人』



★日本美を描くシュルレアリスト



 戦後フランスを代表するシュルレアリスム作家にA・P・ド・マンディアルグという人がいる。非常にエロティックな描写の巧い、それでいて常に死の匂いがどこかに漂う、特異な作品で知られた作家だ。
 マンディアルグは何かと日本がお気に入りだった作家のようで、三島由紀夫の熱心な読者でもあり、三島の戯曲『サド公爵夫人』を仏訳したことでも有名だ。一九七九年にジャン=ルイ・バロー劇団が同作を日本で上演することになった折には、公演に併せて来日もしたことがあるという。


 そんなマンディアルグの短編集『薔薇の葬儀』の表題作には、三菱のクルマに乗った「くノ一」の忍者や、男性を拉致して性の祝祭に耽る日本人の老女が登場してくる。このほか暗黒舞踏の白塗りのダンスや平安貴族のイメージも同作には取り入れられている。ちょっとオリエンタリズムの産物じゃないかという気もするが、フランス文学の大家の作品に我が国の文化が影響を与えているのを読むのは、そう悪い気分ではない。
 さて、そんなマンディアルグに『城の中のイギリス人』という作品がある。もちろん現在では澁澤龍彦の手になる翻訳書が普通に流通する合法出版だが、もともとは地下出版の形でピエール・モリオンなる筆名で書かれたポルノグラフィーであり、長らく作者は謎のままだった。


 なにせ主人公の名前は「モンキュ」、つまり日本語でいえば「尻山」である。この尻山氏が海辺の古城に籠って、悪食、強姦、拷問、殺人、そのほかあらゆる悪徳に耽り、最後は破滅していくというのが、この恐ろしい書物のあらすじなのだ。戦後間もない一九五〇年代、本書を実名で出版するのは、まず無理な話だっただろう。
 ちなみに主人公が籠る城の名前は「ガムユーシュ城」というが、ガムユーシュとはフランス語でフェラチオ、ないしはクンニリングスを意味する古語だというから、さしずめ「雁が首城」とでもいったところか。マンディアルグが本作の作者であると名乗り出たのは、七十歳を過ぎてからのことだったそうだ。晩年まで隠しておきたかったのも無理はないことだっただろう。



★北斎、芳年とマンディアルグ



 さて、そんな猥雑極まる本書には、実に珍奇かつにして豪華絢爛たる姦淫の場面が、次から次に登場してくる。しかもそのうちの幾つかのシーンには、きわめて日本的な発想を伺うことができるのだ。
 たとえば、いたいけな少女を無数の蛸が泳ぐ水槽に突き落とし、墨と粘液にまみれながら強姦するという場面。この蛸責めの場面から、読者はあの有名な北斎の浮世絵《蛸と海女》を連想しないだろうか。また本書では「長い男根」よりも「短くても太い男根」の方が賞賛される傾向にあるのだが、これも我が国の歌麿や北斎の描く春画に登場する男根、つまりは長さよりもその極太さに特徴のある、あの雄大な形状の男根を連想させるものとは言えないだろうか。


 さらに本書にはもう一つ、浮世絵を連想させる拷問が描かれている。貞淑な人妻をさらってきて、その子どもの全身の皮を、目の前で剥いでしまうという拷問だ。肉体に直接危害を加えるのでなく、相手の子どもに危害を及ぼす陰湿きわまりない拷問だが、注目すべきはその「皮剥ぎ」という手法だ。幕末の浮世絵師、月岡芳年の手になる《直助権兵衛》と題された一枚に描かれているのが、まさにこの「皮剥ぎ」なのである。
 芳年はその兄弟子の落合芳幾と共作で、当時の世間を賑わした残虐事件を描いた連作浮世絵『英名二十八衆句』(一八六六)を発表するが、《直助権兵衛》もその連作のうちの一枚だ。直助権兵衛は江戸時代に実在した殺人犯だが、鶴屋南北の脚色で「四谷怪談」のなかに描かれたほか、草双紙や歌舞伎などのなかで虚実取り混ぜて描かれ、当時を代表する悪役キャラクターの一人になっていく。そんな直助権兵衛の悪行を描いたのが、芳年の皮剥ぎの場面なのである。


 「皮剥ぎ」というモチーフと言えば、ギリシャ神話にも「マルシュアスの皮剥ぎ」という話があって、こちらも非常に有名だが、マンディアルグと日本との縁を考えると『城の中のイギリス人』に描かれる皮剥ぎの場面は、十中八九までは芳年の浮世絵がヒントと考えていいように思える。




★老いてなお盛んな北斎のエロス



 さて、そんな我が国の浮世絵を改めて眺めてみると、バカバカしいほど破天荒なエロスが爆発している。たとえば先述した《蛸と海女》を収録した北斎の春画連作『喜能會之故眞通』(きこえのこまつ)を見てみると、奇々怪々にして抱腹絶倒、奇想的エロスの百花繚乱に驚かされる。
 北斎特有の巨大な男根に、さらにこれでも足りまいとばかりに肥後ズイキを巻き付けて行為に及ぶ男の姿。あるいは男根に何やら墨でいたずら書きをされながら、くすぐったさに耐えながら性交に及ぶ男の姿。さらには二股ティルダで行為に及ぶ、レズビアンのカップルなどなど。ページをめくるごとに奇想天外なエロスの姿が立ち現れ、よくまあこれだけ考えたと呆れるほかない。


 江戸時代に出た本書の初版本は、もともと上中下の三巻セットで、それぞれ表紙は女性の顔のアップとなっている。ところが裏表紙を見てみると、表紙絵の女性の局部のアップが描かれているという趣向。しかも三巻目の表紙にはチリ紙をくわえた女性の顔が描かれており、裏表紙にはチリ紙をあてがった女性器と、萎えた男根が描いてある。これでおしまい、という意味なのだろうが、つくづく洒落た作りの本なのである。
 葛飾北斎は一七六〇年生まれ、一八四九年に没したというから、かのベルサイユ宮殿にロココ文化の花開く頃に生まれ、大革命の激動期に壮年期を送り、そろそろ世紀末のデカダンスが訪れようかという頃に亡くなった人ということになる。ドガやゴッホをはじめとする印象派の画家たちにも、多大な影響を与えたことで有名だ。


 北斎は生涯に三万点を超える浮世絵を発表したことで知られ、なかでも『富嶽三十六景』は、日本人なら知らぬ者の方が珍しい作品だ。三十数回に及ぶ改名を行い、晩年は「画狂老人卍」の号を名乗った。引っ越しマニアとしても有名で、転居すること九十三回を数え、一日に三度引っ越したこともあるというから大変なエネルギーの持ち主だ。
 そんな北斎が「喜能會之故眞通」を出版したのは一八二〇年頃のことだというから、既に六〇代を迎えていたことになる。まさに精力絶倫、老いてなお盛んとはこのことを言うのだろう。ここまで求道的なエロティシズムの追求は常人にはまず無理かもしれないが、画狂老人卍の精力には、我々も是非あやかりたいものである。




shirononaka.jpg
A・P・ド・マンディアルグ『城の中のイギリス人』



baranosougi.jpg
A・P・ド・マンディアルグ『薔薇の葬儀』




hokusai.jpg
葛飾北斎『喜能會之故眞通』





sado.jpg
三島由紀夫『サド公爵夫人』




樋口ヒロユキ

サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『 死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学 』(冬弓舎)。共著に『 絵金 』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。

【HP】樋口ヒロユキ

【ブログ】少女の掟



   sitelogo-2.png