第四十回
森光子『春駒日記 吉原花魁の日々』
★廓で演じられる仮想恋愛
前回は吉原の花魁、森光子の手になる手記『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』をご紹介したが、今回取り上げるのはその続編にあたる書物である。タイトルは『春駒日記 吉原花魁の日々』、やはり著者は花魁の春駒こと森光子で、前著の高い評価を受けて綴られたものだ。底本の『春駒日記』は昭和二年(一九二七)の刊行で、これに雑誌掲載の手記を併録したものが本書である。
そんな本書では著者自身の暮らしぶりを含む、娼妓たちのエピソードが数多く紹介されている。そのころ吉原一の花魁と言われた娼妓の話や、吉原の娼妓たちからさえも賎視されたという千住遊郭の娼妓の物語、著者自身が患った性病の闘病記など、明暗双方のエピソードが紹介されており、それぞれに印象深いものがある。また、光子が脱出して以降、彼女の勤めていた廓で起きた娼妓たちのストライキの顛末なども、著者の友人であった娼妓の手紙を再掲する形で紹介されており、当時の遊里の状況に彼女が一石を投じたようすが伺えて興味深い。
そんな本書で私がもっとも興味を覚えたのは、むしろ娼妓たちよりも、そこで遊ぶ男たちの話である。ただし本書に紹介されるのは、いっぷう変わった奇妙な客のエピソードばかりである。娼妓を抱くどころか話さえせず、玉代だけ払って賛美歌を歌っていたクリスチャンの客。ことあるごとに自分の仕事を自慢する、映画関係者と名乗る男。完全に泥酔して何もせずに眠り込んでしまう客や、登楼してはお経を読み上げている客など、実に不思議な男たちばかりだ。いわば遊郭版「忘れえぬ人々」である。
むろん光子の筆はこうした客の多くを容赦なく斬り、性欲の権化のように書くのだが、よくよく読めばどの客の背後にも、強い孤独感と寂寥感が透けて見える。結局のところ男というのは、女性の身体というより心を買いに遊里にやってくるのだな、と思わないではいられない。乾ききった魂に潤いを与えてくれる刹那的な愛の売買を夢見て、男たちは遊里にやってくるのだろう。
★女形の客、本気の客、美大生の客
こうした仮想恋愛の顧客たちのなかでも特に印象深いのは、浅草で女形をしていた客の話である。この人は浅草の劇場で女役を演じている俳優だったが、舞台の上ばかりでなく私生活でも、ジェンダーやセクシュアリティーの面で相当な混乱を来していたようだ。著者を前にしての態度にしても、同性としてつきあいたいという友愛の情と、男性として彼女たちを抱きたいという欲望、両方が彼のなかでせめぎあっていたようだ。
とはいえ著者はこの人物のことも、最後にはバッサリ切り捨てている。実際にはトランスジェンダーといっても実に様々な形があって、こうした混沌とした性を抱えた人は少なくないのだが、それが彼女には性欲を隠すための欺瞞と映ったらしい。出会った場所が不幸であったと言うほかない。
いっぽう、かなり真に迫った恋愛感情を持つ者もいて、著者自身は幾度かこうした告白を受けたようだ。たとえば兵庫県から来た行商人のお客。この種の店では誰か一人を接客中であっても、他の客からお呼びがかかれば、娼妓はキリのいいところで切り上げて、そちらに出向かなければならないという決まりがある。だが、この行商人は光子を一瞬でも手放すのが耐えられず、襦袢の裾を抑えて引き止め「玉はいくらでも払うからそばにいてくれ」と懇願したという。結局この男は国に帰ってしまうのだが、著者の許にはその後も手紙が届いたそうだ。
そしてもう一つ印象に残るのが、石部と名乗る美大生とのエピソードである。遊郭では娼妓の「乗り換え」は御法度である旨は前節でも紹介したが、この客はほかの娼妓から乗り換えてまで、著者の光子に言い寄ったのである。この美大生は彼女の常連になるだけでは飽きたらず、光子の部屋の掃除をしたり火鉢の火を熾したりして、豆まめしく機嫌を取っていたらしい。ある意味、娼妓冥利に尽きる話と言えるだろう。
とはいえ、光子はこの美大生の愛よりも、廓仲間との友情を優先してしまう。彼女は石部に対して愛想づかしを繰り返し、ことさら邪険に扱ったのである。最終的に彼女は一計を案じ、わざと寝間着のまま髪も梳かさず美大生の前に現れる。以後この美大生は二度と廓に来なくなってしまう。寝間着姿のだらしなさに呆れたというより、故意にだらしない姿を装ってまで愛想づかしをする、彼女のつれなさに諦めたのだろう。
★試し行動にも似た執拗な愛想づかし
のちに彼は廓どころか日本さえ捨てて、はるか満州へと旅立ってしまっている。当時の満州と言えば中国軍閥とソ連(現在のロシア)赤軍が激しく戦火を交え、そこに日本の軍部が謀略を張り巡らすという、混沌とした政治状況にあった。光子への思いが募りに募り、その執着を断ち切るために、あえて危険な満州に渡ったのだろう。それだけ彼の思いは深かったということだ。
実際、彼は自分が渡満したのち兄を廓に使いにやって、一連の事情を説明させようとしてさえいる。誰が見ても未練タラタラの行動だと言えよう。ところが光子は兄の話をろくに聞こうともしないまま、さっさと奥に引っ込んでしまう。「石部さんがどこへ行こうと妾の知ったことじゃありませんわ」、などと捨て台詞まで吐いて、である。これにはさすがに当の著者自身でさえ、どうしてそんなことをしたのかわからないと書いている。何故そこまでつれなくしたのだろう。
理由の一つは著者自身が書いている通り、廓仲間との友情を優先するあまり、だろう。だが、それだけだろうか。もし単に縁を切りたいだけなら、客が音を上げるまで玉代を吹っかければ良いだけの話だし、その方が経済合理性にも叶っている。だが彼女の取った行動には心理戦的な色彩が強く「どこまでやったら嫌われるかな」と、相手を試しているようにも見える。
カウンセリング方面でよく使われる言葉に「試し行動」というのがあるらしい。主に児童心理の分野で使われる言葉のようだが、子どもが親の愛情がどれほどのものかを確認するため、わざとワガママを言ったり拗ねてみたりする行動のことである。
光子の一連の行動は、どうもこの「試し行動」の一種ではなかったかと私には思える。本書をつらつら読んでいると、光子がこの試し行動に近い行為を、幾度も客に対して行っていたらしいことが読み取れる。それも相手が真剣に自分に愛情を寄せていると思しいときに限って、彼女はこの試し行動を発動させているのである。
★石橋を叩いて叩き壊すような行動
ふつう試し行動は第一次反抗期、つまり二?三歳の子どもが親に対して行うもので、大人になってもこんなことをしていたら、周囲の人は愛想を尽かして人間関係が破綻する。ところが光子は二十歳を超えて、この試し行動を自分の顧客に対して行うのである。普通の職業婦人に置き換えて考えてみると、自分の得意先、しかも自分に好意を持ってくれている客に限って、わざと冷淡な態度を取っているのと同じことだ。かなり異様な行動と言わざるを得ない。
一般的に大人になっても試し行動をするのは、幼少期に親の愛情に恵まれなかった子どもが多いのだという。たとえば幼児期にネグレクト(育児放棄)を受けた子どもは大人になっても、周囲の人への試し行動をやめない場合があるそうだ。彼らは幼児期に親の愛情を確認できなかったため、成人して以降も他者からの愛情に信頼感を抱くことができず、常に「自分は見捨てられるのではないか」という不安に見舞われるのだ。
このため他者が自分を愛してくれているかどうか確認しようとして、彼らは執拗に試し行動を繰り返すことになる。こうした状態は一般に「愛着障害」と言われるそうだが、こうした成人以降の愛着障害における試し行動がやっかいなのは、場合によっては相手との人間関係が完全に破壊されるまで試し行動をやめないところにある。
幼児期の試し行動は、誰もが必ず行うものだ。オモチャを買ってくれとかお菓子を買ってくれと店先でぐずるのは、そうした試し行動の典型である。ところが成人の試し行動は「石橋を叩いて叩き壊す」ところまで行ってしまう。彼らは「ここまでやっても愛してくれるかな、ここまでやっても大丈夫かな」と執拗に相手を試し、相手が愛想を尽かして離れて行くと「やっぱりあの人の愛情は嘘だった」と安心するのである。周囲から見ると奇妙きわまりない行動だが、当人のなかでは「嘘の愛情を見破った」ことになる。このため彼らは相手が離れて行ってはじめて、やっと一安心するのである。
★不可解さの向こうに遊里が見える
とはいえ光子は遊里に入るまではごく平凡かそれ以上の暮らしを営んでおり、比較的に親の情愛にも恵まれていて、いわゆる愛着障害に陥るような境涯とは考えにくい。親から遊里に売られたことを一時的に恨みはするものの、最終的には親との死別に際して、その愛情を疑ったことを詫びてさえいる。なのになぜ彼女は成人して以降、こんな試し行動を取るようになったのだろう。いずれにせよ不可解な話だが、その不可解さが廓という場所特有の「何か」なのだろう。
なお、評論家の紀田順一郎による巻末の解説によると、光子はその脱出を手伝った外務省の下級官吏、西野哲太郎と結婚したが、この著作を刊行して以降の消息は不明だという。最後の最後に掴んだ西野との愛が本物であり、終生二人が添い遂げたのであれば、これほど喜ばしいことはないが、さて実際にはどうだったのだろうか。
森光子『春駒日記 吉原花魁の日々』
樋口ヒロユキ
サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『
死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学
』(冬弓舎)。共著に『
絵金
』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。
【HP】樋口ヒロユキ
【ブログ】少女の掟