第四十三回
山崎朋子『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』
★北ボルネオへ売られた娼婦、おサキの生涯
ここまでは吉原を中心に遊里をめぐる書物をご紹介してきたが、ここでは少し吉原を離れ、海外に目を転じてみたい。かつて幕末から明治、大正中期までの頃、我が国から海外の諸都市へと渡った娼婦たちがいた。こうした人々は「からゆきさん」と呼ばれ、北はシベリア、西は中国や東南アジア、南は遠くインドやアフリカにまで出かけ、春をひさいでいたのだという。
ここに紹介する山崎朋子の『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』は、かつて「からゆきさん」の一人として北ボルネオ(現・マレーシア)の商都、サンダカンへと渡り、そこで娼妓として働いた老女「おサキさん」への聞き書きを中心に、からゆきさんの姿に迫ったドキュメンタリーである。
おサキは戸籍上だと明治四十二(一九〇九)年生まれだが、実際の年齢は十歳ほど上。からゆきさんは日本全国から出たが、特に九州の天草、島原の出身者に多かったと言われ、おサキもそんな天草出身のからゆきさんである。博打好きだった父の代に土地を失い、父の病没とともに暮らしが窮迫。しかも母が子どもたちを見捨てて再婚してしまった。子どもたちだけでの経済的自立は難しく、まずは姉のヨシがミャンマーのラングーンに売られ、次いでおサキも十歳で、北ボルネオに売られて行ったのだという。
ちなみに当時の北ボルネオは、実質的なイギリスの植民地であった。かつてインドを支配した東インド会社のように、ロンドンに本拠を置く北ボルネオ会社という会社組織によって、国家そのものが支配されていたのである。そんな北ボルネオの植民地経済の富、ゴム農園などのプランテーション農業から生まれる富をめざして、からゆきさんははるばる海を渡ったわけだ。実際、外地での生活は豊かだったようで、おサキは毎日三度白米を食べられる生活を喜んだという。
★一時帰国とサンダカン八番娼館の終焉
だが、そんな喜びも長くは続かなかった。初めて客を取らされたのは初潮前の十三歳。生理中でも病気でも客を取らされ、着物代や化粧代などが自分持ちになるのは内地の遊郭と同じである。しかも港町のサンダカンは、大きな船が着くと一気に客が押し寄せる。このため多いときだと一晩三十人もの客を取らされたという。しかもその数年後、おサキはさらに他の小さな島へと転売される。これ以上の僻地に行かされてはたまらぬと島を脱走、サンダカンへと舞い戻ったおサキは、八番館の楼主「サンダカンのおクニ」に保護を求める。当時の北ボルネオで、娼婦を束ねる女傑として知られた女性である。
おクニが楼主を務める八番館は、天国のような場所だったそうだ。食事に豚肉が出る、鶏肉が出る、黒鯛の刺身が出る。しかも経営者と娼妓たちが同じものを食べ、決して見下すことはなかったという。困って訪ねてくる者があれば人種や国籍を問わず世話を焼き、サンダカンで死んだ日本人を弔うために、海の見える丘を切り拓いて日本人墓地まで作ったおクニ。おサキはそんな彼女のことを、実の母のように慕ったという。しかもおサキはこの八番館で過ごすうち「ミスター・ホーム」と名乗る英国人の妾になる。
実は妾とは言ってもこれは偽装で、ホームが夫のある女性と結んだ不倫関係を隠すためのダミーであり、彼は愛情のかけらも見せなかったそうだ。とはいえホームは北ボルネオ会社の運営する税関の官吏で、からゆきさんとしては相当の立身出世である。実際この頃おサキは大金を手土産に、一時帰国を果たしている。ところがそんな彼女を待ち受けていたのは、故郷の冷たい仕打ちだった。
自分と姉の仕送りで建てたと思しき兄の家、ところがそこには嫁がいて、家の中に居場所がない。結局おサキはカネのあらかたを親類に配り終えると、残りを料理屋での芸者遊びにつぎ込んでしまい、再びサンダカンへと戻ってしまう。ところが戻ったサンダカンでおサキが見たのは、左前になった八番館と、高齢で体調を崩したおクニの姿だった。おサキは経営の傾いた八番館を処分し、おクニの最期を看取るが、そのショックで重度のうつ状態に。医師の診断を聞いた主人のホームは、まとまった額の手切れ金を渡しておサキを帰国させるのである。
★満州、敗戦、そして困窮生活へ
今度も待つのは以前同様のつれない仕打ちだ。ホームから貰った多額の手切れ金は、おサキが心神耗弱状態にあるのを良いことに、親族が寄ってたかって騙し取り、兄嫁は険のある目つきで睨みつける。逃げ込む先は結局のところ芸者遊びだが、それがまた保守的な村の倫理感を逆なでする。そんな芸者遊びで知り合った男といったんは所帯を持つものの、殴る蹴るの毎日が続く。もはや日本に居場所はないと悟ったおサキは、かつての朋輩を誘って満州をめざすのである。
今度は娼妓ではなく飲食店での酌婦として満州に赴き、そこでトランク職人の男と所帯を持ったおサキは、今度こそ生活を軌道に乗せる。めでたく子宝に恵まれたのが昭和九(一九三四)年、さらに夫婦ともども仕事に精を出し、二人はオンドルつきで二階建ての家まで持つ。ところが間もなく日本の敗戦。一家は築き上げた財産のほとんどを失い、命からがら帰国するのである。
三人は夫の生地であった京都に落ち着き、夫は郵便配達夫、おサキは掃除や洗濯、子守りなどをして、遮二無二働く日々を送る。ところが十数年後、夫が病没して息子が成人してしばらくすると、息子は再三おサキに向かって、天草に帰るよう薦めたという。仕方なしに独居を始めた彼女の許に、息子が嫁をもらったという便りが来たのは、それからしばらくのちだった。彼女がからゆきさんであった過去が、結婚の障害になると考えての別離だったのである。
母に捨てられ兄に捨てられ、親族や息子からも捨てられて、孤絶の中で暮らしていたおサキ。著者の山崎はそんな彼女を訪ね、三週間にも渡って寝食を共にしながら、この長大な物語を書き綴るが、その家は壮絶な有様だったようだ。茅葺き屋根は堆肥のように腐っており、壁は崩れ、襖や障子は骨だけの状態。畳も腐って百足の巣になっていた。家には井戸も水道もなく、風呂は甥の家で貰い風呂、大小ともに裏の崖で用を足す。食事は米と麦が半々、それに屑芋を塩と味噌で煮たものだけ。山崎はそんなおサキと同じものを食べ、同じ家に泊まってこの書物を書き、帰京後も送金を続けたのである。
★「性的労働者の輸出」を引き起こしたもの
出会って間もない頃の著者に向かって、おサキはこう語っている。村内の身内の者でも縁側に腰をかけるのがせいぜいで上がろうとせず、実の息子でさえ一日泊まるのがやっとのこの汚い家に、あなたはこうして寝てくれた。天草に来ることがあれば、是非またこの家に寄って欲しい、あなたのことは死ぬまで忘れない、と。
おサキの生涯を振り返ると、見事なまでに肉親からは裏切られ、身も知らぬアカの他人に助けられて生きてきたようすが伺える。昨今、児童虐待などのニュースを根拠に、戦後は家族のありようが崩壊した、戦前の家族は素晴らしかったという論をよく耳にする。だが悲しいかな、戦前であれ戦後であれ、貧しさと欲得が絡み合うと、人は身内に対してでも鬼になりうるのである。とはいえ逆にまったくの無縁の人でも、ときとして人は菩薩になりうる。サンダカンのおクニや、本書の著者はその好例と言えようか。
さて、本書ではマルクス主義史観、階級闘争史観の上に立って、からゆきさんという歴史的現象が分析されており、そこではこうした「性的労働者の輸出」が、何よりも貧困から生まれることが指摘されている。著者はさらに天草がもともと農業にも漁業にも不適な地帯であったにもかかわらず、江戸期に流刑地として罪人たちを送り込まれ続けたため、土地の生産力に比して過剰な人口を抱え込んだことを指摘。こうした貧困の根絶こそが、からゆきさんのような奴隷的な性的労働を断ち切る方法だと結論づけている。
だが本書の真の核心部分は、そうした経済的な分析にあるわけではないように思う。実際、本書のタイトルはあくまで『サンダカン八番娼館』であり、あのサンダカンのおクニが経営した娼館の名前、おサキをして「天国」と言わしめた場所が書名になっている。私はここに著者本人も意識していなかった、本書の核心があるように思う。
★性的労働者の保護に「魂」をこめる
前節でも見たように、日本では幾度となく廃娼令が出されているが、その実態はと言えば建前ばかりで、実際には深刻な人権侵害が当局公認で行われていた。そうしたなかで娼婦たちの心身を守るセーフティーネットとなったのは法律ではなく、むしろ大店の持つ文化的機能や格式、そこに敬意を感じて粋な遊びをする、客たちの不文律であったと言えよう。だが内地における歌や踊りといった文化的伝統から遠く離れ、こうした格式を持ち得ない外地にあっては、こうした文化的セーフティーネットはない。替わって娼妓たちを守った拠り所こそ、おクニの「義侠心」だったのである。
本書ではおクニの養女であるおサクへの聞き書きも収められている。このおサクの証言によれば、おクニは月に一度は餅をついて近隣に配ったほか、鶏を丸ごと使ったカレーを作って振る舞うなど、ことあるごとに椀飯振る舞いを行ったそうだ。人種や国籍も問わず誰彼構わず仕事の世話をし、そのもてなしぶりも相当の広範囲に及んだという。なかでも台湾総督府からは、年に一度必ず贈答品が届いたほどだったそうだ。このため悪辣な女衒といえどもおクニが睨めば、そう無茶はできなかったという。つまりは彼女の義侠心が、娼妓たちを守ったのである。
いくら制度的、法的に娼婦の保護が謳われても、そうした制度に魂を入れる「何か」がなくては、制度は生きたものにはならない。また、経済的な状況の改善も、確かに待遇の底上げにはつながるだろうが、それだけでは充分ではあるまい。制度に魂を入れる「何か」とは、ある場合には「格式」と呼ばれるだろうし、ある場合には「義侠心」と呼ばれることになるだろう。つまり性的労働者に対する真摯な心を持たなければ、いくらカネを使ったり制度をいじったりしてみても、根本に横たわる問題は解けないのだ。
おクニの死とともに露と消えた娼婦の天国、サンダカン八番娼館。おそらく著者はおサキやおサクへの聞き書きを通じて、その残像を見つめようとしたのだ、と私は思う。はるか南洋に沈んだその残照は、いま私たちの許に届いているだろうか。私たちは性的労働者への真摯な気持ちを、真に持ちえているだろうか。そのことを本書は無言のままに問いかけているのだと思う。
山崎朋子『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』
樋口ヒロユキ
サブカルチャー/美術評論家。専門学校、美大などで講師を務める傍ら、現代美術とサブカルチャーを幅広く紹介。1967年福岡県生まれ、関西学院大学文学部美学科卒。単著に『
死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学
』(冬弓舎)。共著に『
絵金
』(パルコ出版)、『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)など。
【HP】樋口ヒロユキ
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