ヒロイン手帖 × 内山亜紀 2

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-膨大すぎる連載をたった1人で描き続けた壮絶な10年間の軌跡



驚くことにアシスタントは1人も抱えていなかったという。


「自分自身ね、漫画家さんのところでアシスタントをやったことが少しあったんですよ。そこで思ったんです。自分が漫画家……いわゆるヘッドになった場合、とてもじゃないけどアシスタントは使いこなせないなと。どんなに忙しくても一人でやってるほうが気が楽かなというのがありましたんで、アシスタントという人に助けてもらったことはないんです」


2日に1本の締切という生活が10年くらい続いたという。


「まじめな話、落ち着いてから思ったんですけど、よく死ななかったなと自分のことながら感心しました(笑)。その代わり体重は増えましたね。その頃はもう、トイレとお風呂に入る以外は漫画を描いてましたんでね。10年で20キロくらい太っちゃいました。その点でも、よく糖尿病にならなかったなあと思いましたけど(笑)」


そういう生活の結果、生まれた作品が結果的に“ロリコン漫画”というジャンルで括られ、いつしかカリスマ化されていった。


「ホントにロリコンという言葉すら知りませんでしたから、自分にはそういう感覚はないんでね。だから今でも実感はないし、よくわからない(笑)」


では純粋に「内山さんはロリコンですか?」と聞かれたら何と答える?


「まあ実感はないとはいえ、結果論ですけど“はいそうです”と答えるしかないですかねー(笑)」






-シンプルにして深遠。1つの時代を創り上げた作家が語る少女性愛観





ロリコン漫画家という称号を意図せず頂戴し、あの宮崎事件が発生して世間が賑やかになって、はて自分もロリコンと呼ばれる種族なのだろうかと考えてみた。


「読書家でもないんですけど、昔それなりに読んだ小説の中で、そういう描写が出てくると妙にに引っかかっていましたからね。そういう部分を積極的に探しているんじゃないんだけど、けっこう目に入ってきてたんでね」


それは有名無名にかかわらない。


「高名な小説家の先生の作品にもロリ描写があって。たとえば司馬遼太郎の『国盗り物語』。斎藤道三という、最後は、滅ぼされる主人公の殿様がいるんですけど、その殿様がどう考えてもロリコンでね。普通の殿様だったらそれなりの大人がそばめ(側女)になるんですけど、その殿様は小さい女の子ばかりを集めている。そういう描写があるです。正室は小見の方という普通の大人なんだけど、ある日、斎藤道三が小さい女の子のあそこを一生懸命眺めていると、小見の方がやってきて、なにをしてるのかと咎められると“ここに20年前のおまえがいる”と答えるんです。これ、どう見ても、ロリ漫画そのものだなよなーと(笑)」


山本周五郎の『青べか物語』にもそれらしき記述があるのを発見した。


「手こぎの船で川を下る場面があるんですけど、川にかかっている橋のところにきて見上げると女の子がパンツもはかずにあそこ丸出しで座っている。それを見つけて主人公がおたおたするという」


「安岡章太郎の小説にもあった。兄妹で歩いていて、ふとお兄ちゃんが立ち止まって妹のパンツをさげてあそこをしげしげとみる。それでまたしばらく歩くんだけれども、また思いついたように足を止め、パンツを降ろしてしげしげと眺めるというね。だから、数え上げるときりがないくらい、かなりの作家が、どさくさに紛れてそういう表現をしているんですよね」


だから有名な作家にもロリコンがいる……などと声高に叫ぶつもりは毛頭ない。ただこういう小説を読んだり、本能のまま描いてきた自分の作品が「ロリコン」というジャンルで括られていくなかで、思ったことがある。


「著名な小説ですから、前後の文脈的なところまで読み込めばそのシーンは必然なんだと言われるかもしれませんけど、そこだけを取り上げると充分にロリと言える。だから思ったんです。男には多かれ少なかれ……意識するにしろしないにしろ……量的な問題はあるけれども、誰もが少なからずそういう要素は持っているんじゃないかと。これは感覚的なんですけど、ロリコンに対して過激に反応する人ほど、むしろ量的に多くの要素を持っているんじゃないかと思うんですよね」

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